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 小中学生のための超心理学入門 8


超ESP仮説

 死後生存の科学的研究は、1882年、ロンドンに心霊研究協会(SPR)が設立された時に始まったと考えてよい。主として、ケンブリッジ大学の学者たちが集まって、ESPや念力の研究とともに、人間は死後にも魂か何かとして生き残るかどうかを真剣に研究するようになったのだ。その中には、今では考えにくいが、ノーベル賞をもらった科学者や研究者が何人か入っていた。当時は催眠(さいみん)も研究の対象になっていたが、これはその後、心理学の中で扱われるようになった。

 当時の死後生存研究の中心は、霊姿(れいし)と精神霊媒の研究だった。霊姿の研究では、体験者の証言を集め、その裏付けを取り、厳密に検討するという方法が多く取られた。精神霊媒の研究では、交霊会の中で霊媒が語る、死者からの言葉とされるものが事実かどうかを、やはり厳密に検討している。

 当時は、生まれ変わりや真性異言の研究は、厳密に検討できる事例が知られていなかったため、ほとんど行われていなかった。また、体脱体験や臨死体験の研究も行われてはいたが、今から百年以上も前のことなので、研究法も限られ、厳密な検討はどうしてもできなかった。

 そのうえ、ふつうの人間にもESPや念力があることがアメリカのJ・B・ラインらによって証明されてくると、死後生存の研究は非常に難しくなり、研究者の数が次第に少なくなって行った。

 死後生存研究があらためて注目を浴びるようになったのは、1960年代に入ってからだ。その頃になると、アメリカ心霊研究協会のカーリス・オシスやヴァージニア大学のイアン・スティーヴンソンらが中心になり、新たに使えるようになった研究法を駆使して、厳密な死後生存研究が再開された。このようにして、現在では死後生存研究が、超心理学=心霊研究の重要な分野として認められるようになったのだ。

 死後生存研究はこうして盛んになったが、その一方で大きな問題は相変わらず残されていた。いちばん大きいのは、超ESP仮説と呼ばれる考え方だ。

 ESP(超感覚的知覚)は、テレパシー、透視、予知の3種類を含むが、それらは時間や距離を超越するとされている。しかも、その限界がわかっていない。つまり、予知で言えば何年先までわかるのかとか、テレパシーや透視で言えばどのくらい遠くのことまでわかるのかがわかっていないということだ。“ノストラダムスの予言”のように、何百年か先のことまで本当に予知できるのだろうか。また、地球の裏側だけでなく、宇宙空間からのESPも働くのだろうか。

 もうひとつの問題は、ESPの精度(正確さ)だ。これまでの証拠からすると、ESPはあまり正確な情報を伝えてくれないし、いつも伝わるわけではない。ESP能力者と呼ばれる人たちですら、いつも能力が発揮できるわけではない。

 このような、まだよくわかっていないESPの限界をすべて取り払い、ESPによって何でもわかると考えるのが超ESP仮説だ。このような超ESP仮説を使えば、死後生存の証拠とされているものがほとんど説明できてしまう。前世の記憶らしきものも、その人物を知っている人間から超ESPによって情報を得たことになるし、霊媒が死者からの通信として語ったことがらも、その故人を知っている人間からやはり超ESPによって得た情報をそれらしく語っているにすぎないことになる。

 このように、超ESP仮説は万能(ばんのう)のように見えるが、大きな欠点がふたつある。ひとつは、超ESPと呼べるほどの能力を持った人間が本当にいることがわかっていないことだ。先ほど書いたように、ESP能力者といっても、それほど強力な能力を持っているわけではない。もうひとつは、超ESPはESPと質的には同じものなので、ESPによって伝わらないものは伝わらないことだ。そのため、真性異言や生まれつき持っている何らかの技能は、超ESPでは説明できない。そのために超心理学者は、真性異言や、習ったことのない技能を生まれつき持っている子どもの研究を重視しているのだ。

 死後生存研究でこれまで得られている証拠を厳密に検討してみよう。

 まず第一に問題になるのは、その証拠が、うそやかん違いなどによるものかどうかだ。真性異言の場合には、昔習ったことや聞いたことがあったのに、そのことを忘れていて、あるいはそのことをかくして、まるで知らない外国語を話してでもいるかのようにふるまっている、という可能性だ。ヴァージニア大学のスティーヴンソンは、特にこのような可能性を徹底的に調べあげ、その可能性がほとんど否定できた事例だけを発表している。

 うそやかん違いではないことがわかったとして、次に問題となるのがESPや超ESPだ。しかし、ESPや超ESPでは、これまで何度も書いてきたように、真性異言や、習ったことのない楽器を演奏できる能力を説明することはできない。また、前世の記憶を持つ子どもが、前世時代に受けた手術の痕(あと)だとして説明した生まれつきのあざが、その子どもの前世の人物として突き止められた者に本当にあったことが確認できた場合なども、やはり超ESPによっては説明できない。

 アメリカや日本の臨死体験でも、肉体のある場所からはわからないはずのところで起こった出来事がわかった、という例が知られているが、このようなものはESPで説明することが可能だ。しかし、インドの臨死体験のように、死んだ後に“閻魔(えんま)”大王のところへ行き、そこで“人違い”だとわかって送り返されたところ、同じ病院に入院していた同姓同名の患者が入れ替わるように死亡した、という事例は、超ESPでは説明できにくい。

 スティーヴンソンは、死後生存研究を20年ほど続けた後、次のように述べている。「私は現在、人間の死後生存の証拠は、その証拠を根拠に死後生存を信ずることが可能なほど有力であると考えている。ところがこの証拠は、現段階ではまだ不完全なので、説得力が乏しいことは確かである」。

 この言葉は、かなり控えめなものだが、だからこそ逆に説得力を持っているといえるかもしれない。


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