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幸福否定とは何か 4

 親に対するうらみ

 ある難病を持つ五十代の男性は、心理療法の中で母親に対するうらみを探っている時、実家に保管されていた幼少期のアルバムを持参し、その中に貼られている一枚の写真を見せながら、「これがわかりますか。これがわからなきゃ心理学者じゃない」と、興奮のあまり体を震わせながら私に詰問した。見ると、そこには、たぶん小学校の入学式の朝に、自宅の玄関前に立っている本人の姿が写っていた。きちんとしたブレザーコートと半ズボンを身につけ、りっぱな革靴をはき、帽子をかぶり、ランドセルを背負って上履き袋を持っている姿は、今でもそのまま新入生で通用するほどのものであるが、それが昭和の初期であることを考えると、非常に恵まれた小学生であったことがわかる。しかし、本人が興奮している理由はどうしてもわからなかったので、そのことを伝えると、本人は、こんなことがどうしてわからないのかという表情で、私の無能力にあきれながら、「靴が小さいんですよ!」とどなるように言ったのである。

 この男性は、第2次大戦後まもなく、旧制高校を卒業したが、「母親に対する復讐のために、母親の期待を裏切って」修道院に入り、それ以降ずっと修道生活を送っていた。父親と学生結婚し、共稼ぎをしていた母親は、長男の本人が小学校に入学する直前に、勤め先から帰宅する途中で靴とランドセルを買ってきた。ところが、その靴が小さく、足がひどく痛かったというのである。また、母親は、慶応の幼稚舎にあこがれていたため、そこの児童がかぶるのに似た帽子も買ってきたという。そして、入学式の当日に父親が写したのがその写真だというのである。靴が小さかったことや、その帽子をかぶるのがいやだったことをなぜ母親に言わなかったのかという質問に対して、この男性は、「そんなこと言ったら、あの恐ろしい母親は何するかわからない」と、強い調子で答えている。

 この経過が本当であれば、いわゆる抑圧的な母親が、本人に対する押しつけの愛情のため、母親の趣味で、本人の体のサイズに合うかどうかも頓着せず、入学用品を勝手に買い揃えてしまった結果、子どもは、痛い思いやつらい思いをさせられたということになるのかもしれない。しかし、それにしても、痛いほど小さな靴をずっと履き続けることができたとは思われないし、それほど小さな靴を、小学校低学年の子どもがむりに毎日履き続けていることに家族が気づかなかった、というのもかなり不自然であるし、どこかの時点で別の靴に履き換えた時に、家族がどういう反応をしたのかも不明である。それほど子どものことに無関心だったのではないか、と考える方もあろうが、実際には、やはりこの記憶はどうやらまちがっていたことが、後に判明するのである。

 本人がようやく思い出したところによれば、母親は勤め帰りにひとりで入学用品を買ってきたのではなかった。本人をつれて、日本橋の三越に行き、そこでランドセルや革靴を買い揃えていたのである。そうなると、本人の言う小さな革靴だったという主張が崩れてくる。デパートの店員が、わざわざ小さな靴を売るはずがないからである。そして、最終的に、次のような推測が成立した。母親は長男の小学校入学を楽しみにしていた。そこで、一方では何らかのけちをつけたにせよ、本人を三越までつれて行って入学用品を揃えてくれた。本人は、母親がそこまで自分の入学を喜んでいるのを見て、それを否定するため、慣れない革靴が足に当たって痛いことに着目し、痛いのは小さいからだ、小さい靴を母親が買ったのは、ひとりで勝手に買ってきたからだ、というふうに、いわゆる無意識のうちに話を作りあげてしまった。そして、それを、母親をうらむ口実にしたのである。

 このような事例を見ると、本人がうらみの根拠としている出来事が変形されてしまっていることや、その裏にある真の記憶が隠蔽されていることがわかる。このように、隠された記憶とは、フロイト以来の常識的推定とは逆に、幸福心を呼び起こすはずのものなのである。

二種類のうらみ――正当なうらみと逆うらみ

 今から十数年前までは、私も従来的な考え方を取っており、主として母親に対する患者のうらみを探る毎日を送っていた。なぜそうしたかと言えば、特に母親に対するうらみが出てくると、そのとたんに症状が消えたり、表情が明るくなったり、態度が自然になったりなどの変化が観察されるからであった。この点は、一般常識とは逆のように思われる。たとえば、アトピー性皮膚炎を持つ、表情の乏しい二十代前半の女性は、私が貸した内観療法のテープを聞いている最中に、母親に対するうらみをたまたま表出させ、それとともにかなりの変化を見せた。それまでは、きわめて中性的な服装や髪型をしており、化粧も全然していなかったのに、その直後から表情が明るくなるとともに、女性的な髪型と服装に変わり、化粧もするようになったのである。

 スカートをはき、化粧をすることに(化粧をしないのが主義である場合は別として)抵抗のある女性は珍しくないが、本例のように、母親に対するうらみが意識に昇っただけで、いわば女性性の否定をやめるほどの変化をする人たちもある。精神分析などでは、抑圧された(それまで、自分の意識で認めたくなかった)感情が出てくると症状が消えると言われるが、それは、このような観察事実からも裏づけられる。

 ところで、これまで紹介した実例からもおわかりいただけるであろうが、どの患者が意識に表出させたうらみの中にも、本人の主張とは裏腹に、他人を説得できるほど大きな出来事は含まれていないことに、私も徐々に気づかされてきた。最初は、それはたぶん患者たちがうらみを小出しにしているためであり、いずれ大きなうらみが出てくるに違いない、と思い込んでいたわけであるが、そうしたうらみは、何年経ってもいっこうに出てこなかった。それどころか、不思議なことに、たとえば生後一歳頃に養女に出された(にもかかわらず、つれて行かれる時も全く泣いていない)女性の場合、養女に出される場面の記憶と比べると、何ヵ月か後に母親がつれ戻しに来た時の記憶の方が、はるかに蘇りにくかったのである。いずれにせよ、意識に表出したうらみは、次のような特徴を持っていることが次第にわかってきた。

 一方、たとえば自宅に押し入り、何の非もない息子を刺し殺した強盗を遺族がうらむという、明らかに正当なうらみを考えると、少なくとも最初の3条件は当てはまらないことがわかる。さらには、ある公共バス放火事件の被害者のように、場合によっては、自分の人生を大きく狂わせた加害者を許すこともある。つまり、正当なうらみは意外に長続きしない場合があるのである。

 したがって、心理療法で問題になるのは、要するに逆うらみ≠ニいうことになる。事実、二十代のある男性は、「たとえば、おかあさんが、夫婦げんかのやつ当たりで、たまたま目の前にいた子どもをひどく殴ったとすると、それはうらみとして残るだろうか」という私の質問に対して、「それじゃ、うらんでもおもしろくないので、そういうのはないと思います」と答えている。

 その結果、きわめて不可思議な現象が起こる。二十代前半のある女性は、母親を殺したいくらい憎らしいと言っていたにもかかわらず、「では、おかあさんを好きか嫌いか」という私の質問に対して、「大好きです」と答えたのであった。これは、精神分析ではアンビヴァレンツ――ひとことで言えば、ひとりの人物に対して、愛憎が混在している状態――として知られている現象である。ただし、精神分析のように、愛とうらみとが並列的に存在すると考えるのは正しくない。つまり、それは、うらみという愛情否定のために作りあげられた感情を、表面的な偽りの愛情で包み隠そうとしているものの、それにあまり成功していない状態と考えるべきなのであろう。

 ところで、日常生活では、正当なうらみと逆うらみとを区別しているのに対して、精神分析をはじめとする、これまでの心理療法では、その区別すらしていない。それはなぜなのであろうか。


【『なぜあの人は懲りないのか困らないのか――日常生活の精神病理学』〔春秋社〕第3、4章より】
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