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幸福否定とは何か 5

 いわゆる押しつけの愛情

 多くの子どもが母親に対する愛情を否定しているとすれば、母親の中にも、子どもに対する愛情否定をしている者の多いことが、当然のことながら推測される。確かに、子どもを必要以上にいじめたり、せっかんしたり、虐待したりする母親は決して少なくない。それとは逆に、子どもをペットのごとく扱っているように見える母親も、少なからず存在する。子どもの要求は拒絶し、自分がよかれと思うことを子どもに押しつけ、それを愛情と勘違いしているような母親や、何らかの条件を満たした時にだけ子どもをかわいがるような母親のことである。次に、その点について検討するが、その前に、なぜ父親ではなく母親との関係が問題なのかという点に簡単に触れておかなければならない。

 いわゆる進歩的な人たちの中には、育児という仕事も双方の親が等分に分担すべきであり、したがって、母親だけが育児の責任を取らされるのは不平等だと考える方もあるかもしれないが、残念ながらそれは、人間が生物であるという事実や子どもの自然な感情を無視した観念論と言わなければならない。分担できる部分については、その主張は正しいかもしれないが、出産を父親が代行できないのと同じように、育児についても、父親が代行できない部分が少なからずあり、しかもそれは、子どもにとってきわめて重要な部分なのである。言うまでもないが、その中で最も大きいのは、子どもに対する母親の素直な愛情であり、母親の存在がある限りは、いかなる父親といえども、それを肩代わりすることはできない。

 ところで、相手が望んでいない時に、自分がよかれと思うことを相手にしてあげることと比べると、相手が要求したことを叶えてあげたり、相手が望んでいることをしてあげたりすることの方が、自分に感じられる喜びは、はるかに大きいであろう。そのため、幸福の否定があると、どうしても相手の要求や望みを叶えることに抵抗が起こる。

 ある主婦は、ふだんは大変気前がよく、近所の友人たちと一緒にした食事の代金をはじめ、かなり高額であっても、それを負担することには全く抵抗がないのに対して、たとえば、同じ相手が夕方、調味料を切らしているのでちょっと貸してほしいと言って来た時には、金額的にはわずかなものなのに、快く貸してあげることがどうしてもできなかった。また、ある女性は、自分の主導で子どもと遊ぶことはかろうじてできたが、子どもが遊びを要求した時にはどうしてもできなかったのである。

 二十数年前のことであるが、六十代後半の女性が、私の勤務していた精神科の外来を訪れ、同居している息子がおかしいので来てほしいと訴えた。話を聞いてみると、この女性の二十六歳になるひとり息子が、異常な言動をするようになり、母親を自宅から追い出し、中に入れてくれないというのである。しかし、食事時になると、食事を作らせるためにだけ呼び入れるのだという。とはいえ、自宅は二軒長屋のようになっていて、隣に長女一家が住んでいるので、母親は長女宅に避難していればよいのであった。なお、父親は既に他界していた。同僚の医師とふたりでその家庭を訪問してみると、その息子は、幻聴や被害・関係妄想があり、精神分裂病(の初発)のようであった。そして、母親を追い出す理由を聞いてみても、母親に対してうらみがましい気持ちがあることを言うのみで、はっきりした理由は不明であった。

 実は、この家庭を訪問する前に、この男性については、ある程度の情報が得られていた。小さな町では珍しくないが、この男性の勤務先の会社の経営者が、たまたま私の同僚の親戚だったため、次のような事情が判明していたのである。母親がこの会社に来て、「うちの息子は、たぶん全然仕事をしないので、一番安い給料でいいから雇ってくれませんか」と懇願した。このような虫のよい依頼に対しては謝絶するのが当然なのに、この会社の経営者はなぜかその懇願を受け入れ、何と、仕事をしなくてよいという条件で、この息子を雇ったのである。

 母親の言葉通り、この息子はほとんど仕事をせず、ボーッとして勤務時間の大半を過ごしていた。そのような状態が続いていた時に、この男性の直属の上司は、それでは他の社員にしめしがつかないと判断し、仕事をほとんどしないことでこの男性を強く注意した。ところが、それに腹を立てたこの男性は、上司がうしろを向いたすきに、上司の首を絞め、気絶させてしまったのである。この上司は、柔道の段位を持っていたが、大男にいきなりうしろから首を絞められたため、防ぎようがなかったのであった。その結果、この男性は即刻解雇を申し渡された。精神分裂病の患者の場合には珍しくないが、その出来事が本人の発病の原因に関係しているようであった。いかにも分裂病患者らしく、きわめてプライドの高い本人は、解雇されたことを認めず、「こんな会社になんか、いてやるか。あとで辞表を出してやる」と捨てぜりふを吐いて出て行った。そして、帰宅後に母親を自宅から追い出したのである。

 このような情報を事前に得ていた私たちは、本人に惑わされることなく、経過を明らかにして症状を鎮静させるための作業を進めることができた。最初、私たちは、本人を入院させなければなるまいと考えながら、この家庭を訪問していたわけであるが、いわゆる病識のない本人は、最初の段階では入院を強く拒絶していた。一方、私たちにそのあたりをつつかれたため、本人の分裂病症状は次第に落ち着きを見せてきた。私たちは、その状態を見て、本人を入院させずに治療する方針に傾いた。ところが、本人は、そうした現状から逃避したいためもあって、少なくとも当時の精神科では、特に入院経験のない者ではきわめて珍しいことであったが、自分から入院すると言い始め、譲らなくなってしまったのである。そこで、私たちは、入院中はきちんと心理療法を受けることなど、入院に条件をつけ、それを承諾させてから、しかたなく本人を入院させた。

 本人の入院後、母親が面会に来たおり、私は、精神医学ソーシャルワーカーらとともに母親に面接した。この母親も、精神分裂病患者一般の母親と同じく、将来、分裂病を発病することになる息子に、異常なまでに手をかけていることがわかった。高校卒業後、大阪の大学に進学したこの男性は、1年生の夏休みに帰省したおり、手の甲にやけどの痕があるのを母親に見とがめられたため、同じ下宿の学生にたばこを押しつけられたことを漏らしたところ、びっくりした母親は、そんなに恐ろしいところなら、もう大阪なんかにいるんじゃないと言った。それを聞いた本人は、夏休みが終わって下宿に戻ると、荷物をまとめて帰郷してしまい、そのまま大学を中退してしまったのである。その後、本人は、大学を中退させて自分の一生をだいなしにしたとして、延々と母親を責め続けることになる。

 それからは、母親がアルバイトを見つけてくると、しぶしぶ本人はその職場に出かけるもののほとんど仕事をせず、まもなく解雇されるということを繰り返していた。プライドの高いこの男性は、「大学まで行っている俺が、中卒や高卒の連中ばかり働いている工場の単純作業なんかできるか」という態度をいつも取っていたのであった。

 そうこうするうち、息子も年頃になったと判断した母親は、本人に見合いをさせた。本人によれば、結婚式の招待状が発送されてしまったので、婚約を取り消すことができず、やむなくその女性と結婚したという。そして、本人の希望もあって母親と同居することになった。つまり、それまで暮らしていた手狭な自宅に、妻となる女性が入ってきたのである。しばらく同居し、義母のあまりのうるささに音をあげた妻は、本人に義母との別居を迫った。それを息子から聞かされた母親は、歩いて数分のところに一軒家を見つけ、そこにふたりを別居させる。ところが、その2週間後、本人はひとりで実家に戻って来てしまった。にもかかわらず、それを母親は、「よく戻ってきたね」と言って迎え入れるのである。このような形で離婚した後も、母親が探してきたアルバイト先に本人がいやいや出かけ、まもなく解雇されるというパターンが繰り返された。問題の会社は、このようにして母親が見つけた会社のひとつだったのである。

 このような状況が判明した段階で、ソーシャルワーカーは、「失礼ですが、お母さんがそこまでしてあげていると、お母さんが亡くなった後、ご本人がひとりでは何もできなくて困るのじゃありませんか」と母親に質した。それに対して、この母親は、そこに同席していた全員が仰天して思わず顔を見合わせたほどの、驚くべき言葉を吐いた。それは、「私が生きてる間だけかわいがれればいいんです」という言葉であった。私たちは、たぶんそうだろうとは思っていたが、母親がそれを意識で考えているとまでは予測していなかったし、ましてや、それが母親の口から平然と語られるとは夢にも思わなかったのである。

 この事例とよく似ているのは、やはり精神分裂病の娘を持つ母親が、娘の勤務先を探す際に、うちの娘はあまり仕事ができないので、私の方が給料分のお金を出すから、娘を雇ってほしい、それを娘に渡して、そちらから給料を受け取っているように思わせてほしいと持ちかけ、福祉施設に娘を勤めさせた女性の事例である。

 面倒を見すぎるという点では同じでも、おおまかに言えば、分裂病患者の母親と一部の心身症や神経症の患者の母親とでは、天と地ほどの違いがある。たとえば、気管支喘息の母親を持つ潰瘍性大腸炎の三十代の女性は、やはり喘息を持つ4歳のひとり娘に対して、いつも何かしてあげていないと気がすまなかった。たとえば、ふたりでテレビを見ている時でも、黙って見ていることができないためお手玉をしてあげたり、病院の待合室で待っている時でも、黙って待っていることができないため絵本を読んであげたりなど、必要以上に手をかけていた。そうした様子をたまたま見かけた私が、そのことを指摘すると、「私としてはまだ、したりないと思っているから、そういうふうに言われても、わからないんです」と答えている。いずれにせよ、心身症や神経症の患者の母親では、このように手出ししすぎるきらいはあるものの、子どもの自立を極度に妨げているように見える態度を取ることはほとんどないと言える。


【『なぜあの人は懲りないのか困らないのか――日常生活の精神病理学』〔春秋社〕第3、4章より】
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