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 振り込め詐欺の心理学――2.何が問題なのか

はじめに

 今から6年半ほど前に、「振り込め詐欺の心理学――特に、“オレオレ詐欺” について」という論考を当サイトに掲載しました。この論考は、この種の詐欺に遭ってしまう人たちの行動や心の動きを説明するものでした。詳細については、そのページを参照していただくとして、箇条書きで説明すると、その内容はおおよそ次のようなものでした。

 以上のような理由から、その論考では、主としてオレオレ詐欺に焦点を当てて、幸福否定理論から眺めた被害者の心の動きを詳細に検討しました。そのうえで、この種の詐欺の存在を周知徹底させるだけではほとんど効果がないことを指摘したわけです。現に、それから6年以上が経過した現在、その指摘が妥当なものであったことがますます明らかになってきました。それは、ひとつには、本年(2018年)8月2日の朝日新聞に掲載された、全国の警察が集計した結果です。その集計によると、警察に届け出のあった特殊詐欺(「振り込め詐欺」および「振り込め類似詐欺」)による上半期の被害総額は174億円で、前年同期と比較して7%ほど減少したのですが、オレオレ記事に限ると、23パーセント近くも増加しているのです。

 もうひとつは、この種の詐欺について知っているにもかかわらず、被害に遭った者の比率が非常に高いことです。10年ほど前(2008年)に警視庁が行なった調査でも、300万円以上を振り込んだ429人の被害者の全員が、振り込め詐欺の存在を知っていたことが明らかになっています(2008年10月12日付、中日新聞)が、最近では、その「手口を知っていた」にもかかわらず詐欺に遭った人たちもたくさんいることがわかっているのです。大阪府警特殊詐欺対策室が、昨(2017)年10月から12月までの3ヵ月間に、不審な電話を受けたことがある府内の居住者を対象にして行なった聞きとり調査によれば、20代から80代の男女247人の回答者のうち、特殊詐欺に遭った57人の8割が、手口を知っていたにもかかわらず、詐欺に遭っているのだそうです。

 NHKは、「ストップ詐欺被害 私はだまされない」という、特殊詐欺被害を未然に防ぐための情報番組を日常的に放映していますが、そうした知識は要するに、被害を食い止める役には立っていないということです。それは、とりもなおさず、全く別の対応法を必要としているということでしょう。この現象は、一部の人たちに限って観察されるものとはいえ、また、大きな犠牲を強いるものではありますが、人間の心の動きを浮き彫りにしてくれる壮大な実験のようなものです。そうした観点から考えれば、膨大な数の犠牲者のためにも、その原因を明らかにして、被害を食い止めるための方法を早急に編み出す必要があるはずでます。

 年配の被害者が貴重な蓄えを、実にあっさりと振り込んでしまうのは、あるいは見ず知らずの他人にあっさり手渡してしまうのは、自分の不安や恐怖心をなだめるためであり、わが子に対する愛情のためではありません。息子と思い込んだ相手から話を聞かされるうちに、悪い想像が急速にふくれあがるとともに強い不安に襲われ、ふと気づいた時には、「通帳と印鑑を持って近くの金融機関に駆け込み、200万円を振り込んでいた」((NHKスペシャル「職業 “詐欺”」取材班、2009年、168ページ)という結果になっているからです。

 わが子の成長や進歩を心から願っているのであれば、息子が不祥事を働いたということなのですから、そこで手を出すべきではありません。わが子が交通事故の後遺症のためにリハビリをしているとして、痛いと言っていやがる姿をかわいそうで見ていることができず、リハビリをやめさせてしまうのと同じで、それでは子どもが進歩することはありません。その時には、親は黙って見ていなければならないのです。つまり、真の愛情があれば、息子にその責任をとらせなければならないということです。

 先の論考は、公開直後の2012年3月19日の時点で、Yahoo! ニュースのトップ・ページにとりあげられました。ところが、ネット検索をしてみればわかりますが、その後はほぼ完全に無視されて現在に至っているのです。これは、非常に興味深い現象と言わなければなりません。振り込め詐欺撲滅キャンペーンを日常的に続けていても、また、阻止に成功する例が少なからずあるとはいえ、2009年以降は、詐欺被害者や被害額が減るどころかほぼ増加の一途をたどっているわけです。そうした状況を考えると、従来のものとは異質な対応法を考えなければならないはずです。にもかかわらず、そうした動きがいっこうに見られないのはなぜなのでしょうか。

 本論考では、もう少し具体的な対応法が提示できるかどうかを検討したいと思います。

問題の核心は何か――1.愛情否定に基づく仮説再考

 現在の “原因論” では、電話をかけてきた相手を本当の息子と思い込むことが、問題の核心とされています。その結果として、そのような意味でだまされないようにするためのさまざまな方策が推奨されているわけです。しかしながら、本当にそれが問題の核心なのでしょうか。仮に本当の息子が電話してきたのだとしても、また、その不祥事が本当に起こったことだとしても、現金を渡すことで解決がつくかどうかはわからないはずです。にもかかわらず、相手の懇願や要求や指示に応じる形で、正当性の乏しい唐突な要求に素直に従ってしまうのです。

 実際に現金を振り込むという行動を起こすまでには、いくつもの関門があります。前論考に掲載したものですが、それらをあらためて示すと次のようになります(語句や言いまわしや段落は少々変更しています)。

 これらをさらに要約すると、次のようになります。(@)電話の相手を息子となぜか思い込んだ結果、それと矛盾する点に気づいたとしても、それを積極的に無視していること。(A)自分の息子を真の意味では信頼していないこと。(B)自分の不安や恐怖感のほうを優先させ、現実を二の次にしていること。これらの関門をすべて通り抜けて初めて、振り込め詐欺被害に遭うという結果が生ずるわけです。まさに思い込みや現実否認の連続なので、客観的に見ると、本来は達成が相当に難しいものであることがわかるでしょう。

 このような角度から見ると、それが可能な人たちが一部にせよいるという事実のほうが、逆に驚くべきことのように思えてきます。それが可能なのは、直接には、「このまま放置していたら、息子が大変なことになる」という不安や恐怖心が意識の上にあり、それを解消したいという強い思いがあるためです。そうした不安や恐怖心は、当の息子だけではなく、警察官や弁護士を名乗る人物が、次つぎと電話に登場することで、さらに高まりやすくなるように工夫されているわけです。

 では、そうした不安や恐怖心の原因はどこにあるのでしょうか。その原因を探るうえで必要なのは、質的に異なる2種類の感情を区別することです。一般にも、専門家の間でもほとんど知られていませんが、感情には、本当の感情と、自分の意識を説得するために無意識的に作りあげた “偽りの感情” とがあります。その違いがどこにあるのかと言えば、本当の感情には真の根拠があるのに対して、偽りの感情には、何かの幸福を否定するための手段として作りあげられるものなので、その根拠となるものが(当人の理屈づけ以外には)存在しないことです。漠然とした不安などがその一例です。では、振り込め詐欺の場合の不安や恐怖心はどちらなのでしょうか。一見すると根拠のある感情のように思われるかもしれませんが、実際にはこれは、偽りの感情に当たるのです[註1]

 そのことは、子どもが誘拐されて身代金を要求された時と比較するとわかりやすいでしょう。これは、子どもの生命が実際に危ぶまれる状況です。しかしながら、警察に知らせると子どもの命はないと誘拐犯から脅されても、自分たちだけではいかんともしがたいので、迅速に、あるいは迷ったあげく、警察に通報するでしょう。この時に両親や家族に見られる不安や恐怖心が、本当の感情です。この時には、子どもに非はありません。したがって、オレオレ詐欺の場合と違って、息子が不祥事を働いたわけではないので、世間体を気にする必要もありません。

 たとえば、同じように息子を装ってかけてきた電話で、「俺だけど、実は会社の金を使い込んで、その穴埋めのために借金したんだけど、その返済に苦労してて、来月の生活費もないような状態で困ってるんだ。それで20万円ほど俺の口座に振り込んでくれないか」と涙ながらに訴えたとしたら、どうなるでしょうか。もちろん、“人のよい” 母親であれば、その懇願に負けるかもしれませんが、急を要するわけではないので、また、金額が低いこともあって、冷静な対応をとる可能性が高そうです。それでは振り込め詐欺は成立しません。そうすると、実行犯側からすれば、緊急に行動しなければならないと被害者が思い込みやすい状況を作りあげる必要のあることが、あらためてわかります。

 また別の状況を考えてみましょう。たとえば、会社の金を実際に使い込んだ息子が目の前に来たとします。そして、「お母さん、実は会社の金を使い込んじゃったんだ。今日中に戻しておかないと、使い込みがばれて首になっちゃうよ」と、涙ながらに訴えたとしたら、どうなるでしょうか。それを聞いた母親が、世間体などを気にして、オレオレ詐欺の場合と同程度の不安や恐怖心を抱いたとすれば、同じような展開になるのかもしれませんが、その可能性は低いように思います。

 その場合には、息子を容易には突き放せない親であっても、やはり息子から事情をよく聞いたうえで、多少なりとも冷静に対応するのではないでしょうか。その時に出る不安は、やはりれっきとした根拠があるので、本当の感情の場合が多いでしょう。ふしぎに感じられるかもしれませんが、作られた感情よりも本当の感情のほうが、根拠がある分だけ対応しやすいのです。では、振り込め詐欺の電話を受けた時に作りあげられる不安や恐怖心は、何が原因になっているのでしょうか。

 その場面の特徴は、切迫感や緊迫感がある中で、即座の対応を一方的に求められることです。ある実行犯は、まさにこの問題について、電話で「臨場感とか出していくのは、こっちがテンション上げてかないとダメだから。冷静な話し合いモードに持っていかれると引くね」(竹山、2007年、116ページ)と証言しています。そうすると、実行犯側が、法外な金額を要求することなどにより切迫感や緊迫感を盛りあげようとした時に、被害者側は、それに呼応した対応を求められていることになります。その結果、相手に乗せられる形ではありますが、要求された金額の大きさなどをもとにして、自分のほうから勝手に不安や恐怖心を高めてゆくことになるわけです。では、被害者側がそのような対応をする動機は、どこにあるのでしょうか。

 ここで実行犯が被害者側に迫っているのは、要するに、「要求した金額を渡してくれないと、自分の息子が大変な目に遭うことになるが、それでもいいのか」どうかを判断することです。しかも、たいていの場合はそれを、自分ひとりで判断し、すぐに実行しなければならない状況に追い込まれている(実は、自分で自分を追い込んでいる)わけです。その場合、実行犯側は、息子の生命に危険が及ぶと言っているわけではありません。最悪の場合であっても、警察に逮捕されたり、裁判にかけられたりする程度のことです。しかもそれは、息子が不祥事を働いた結果なのですから、自業自得ということになるわけです。

 ここで、ふたつの選択肢があります。

  ● もとはと言えば、息子が不祥事を働いたためなので、本人に責任をとらせる
  ● 自分の感情をなだめるために、前後の見境なく、要求された金額を相手に渡す

 先の実行犯は、「『警察に電話しますよ』とか言われても、『じゃあ電話してください』って引かないヤツ」は、実際に相手にならないことを認めています(竹山、2007年、116ページ)。要するに、息子が不祥事を働いたと思い込んだとしても、それは本人の責任であり、親の体面という問題をいちおう別にすれば、自分で責任をとるよう息子を突き放すことができるかどうかが、実際に詐欺に遭うかどうかの分かれ目になるということです。

 ふつうは、子どもよりも親が先に死ぬものです。そうすると、その後は手を出したくても出せなくなります。動物の母親が示す子別れの行動を見るとわかりますが、子育てとは、親が手を出さなくても、子どもが自力で生きて行けるようにすることです。いつまでも手を出していたのでは、子どもは成長しません。子どもの成長を見守るという言葉がありますが、手を出すことは、子どもの成長を妨げようとしている以外の何ものでもありません。「私が生きてる間だけかわいがれればいい」という発言を、ふたりの母親から聞いたことがありますが、これがその典型例です。そうすると、実行犯が親に迫っているのは、子どもに対して真の愛情があるかどうかをはっきりさせよ、ということです。これは、一種の踏み絵ということになるでしょう。

 ここで、先ほどの疑問に戻ります。被害者側が、相手に乗せられる形ではあっても、自分のほうから不安や恐怖心を高めてゆく動機はどこにあるのか、という問題でした。ここまでの考察で浮かび上がるのは、わが子に対して、その際に突き放せるだけの強い愛情をもっていることを、自分で認めることに対する抵抗の存在です。そうすると、本当は、息子に対して強い愛情をもっていることを認めたくないあまりに、その抵抗の結果として不安感や恐怖心を(内心が)意識の上に作りあげたという可能性が浮上します[註2]。求められた金額を振り込むか手渡すかすると、その不安感や恐怖心はいちおう消えるので、当人の意識から見ると、苦しんでいる息子に手を差し伸べることが、やはりわが子に愛情をもっていることの証拠になるわけです[註3]

 そして、現金を振り込んだり手渡したりして一段落した後に、当の息子に連絡をとり、ことの次第を知って愕然として目が覚めるという経過をたどるのです。この状態は、自己催眠から覚めたようなものでしょう。さらには、「どうして俺がそんなことをする人間だと思ったんだ。俺を信用していないのか」と、息子に強く叱られて、自分のとった行動がいかに現実離れした愚かしいものであったかを思い知らされるのです。その結果、被害に遭った母親は、よかれと思ってしたことが、実際には自分本位の勇み足であり、誰にとってもマイナスにしかならなかったことを知って、悔やんでも悔やみきれない思いに駆られることになるわけです。

 もしそこに教訓があるとすれば、大事なお金をだまし取られたこと自体ではないでしょう。それよりも、わが子に対して、真の愛情を認めていなかったために、さらには自分が体面にこだわったためもあって被害に遭った、という事実を突きつけられたことにあるのではないでしょうか。そのように受け止めない限り、こうした経験が生きることはありません。

 以上の推測はあまりに奇妙に思われるかもしれませんが、この推測をもとにすれば、オレオレ詐欺への新たな対策を考え出すことができそうです。ひとことで言えば、それは、そうした状況に置かれた時であっても、親がわが子を突き放せるようにすることです。もちろん、これは、特に被害に遭いやすい人たちにとっては簡単なことではありませんが、目標がはっきりしている分だけ対応はしやすいはずです。

 わが国では、庶民は、しばらく前まで貧困状態に置かれていたため、経済的な余裕はほとんどありませんでした。ところが、現在はそうではありません。その結果として、さまざまな問題が発生するようになりました。振り込め詐欺という犯罪が成立するようになったことも、そのひとつです。自分の自由になるお金がなければ、出したくても出せないわけですが、今は、出すか出さないかの選択ができるようになったということです。そのおかげで、不祥事を働いたわが子に手を差し伸べたいという自らの “甘美な誘惑” に屈する人たちが、少なからず出てきたのです。

 電話で話している相手が、本当の息子だと思い込み、次つぎに登場する弁護士や警察官を自称する者たちの主張を鵜呑みにしたとしても、自分の息子の成長を真に望んでさえいれば、また、体面にこだわりさえしなければ、この種の詐欺に遭うことはないことが、以上の検討によって明らかになったと思います。では、問題はこれだけかというと、そうではありません。前論考ではあまり強調しませんでしたが、実は他にも重要な条件があるのです。

問題の核心は何か――2.権威に対して正当な主張をすることに対する抵抗

 ごく最近、オレオレ詐欺の被害に遭ったという女性から聞いた話を、その後まもなく、その友人から伝え聞きました。これは、この種の詐欺に遭うもうひとつの理由を明らかにするうえで、きわめて重要な事例と言えるでしょう。この被害者も、やはり老齢の女性なのですが、息子を装った実行犯から、会社の金をなくしたので、キャッシュカードを貸してほしいと頼まれました。そして、例によって、これから同僚がとりに行くので渡してほしいと言われたのだそうです。

 電話がいったん切れたので、その女性は、当の息子に電話して確かめるという、かねてから推奨されている対応を珍しくとりました。その話を突然に聞かされて驚いた息子は、当然のことながら、「お母さん、それは詐欺だ。絶対に渡しちゃだめだよ」と厳重に注意したそうです。息子は、それで、母親が被害に遭うのをかろうじて食い止めることができたと思い、ひと安心したはずです。ところが豈はからんや、その後は、全く予想外の展開になってしまったのです。

 息子からその注意を受けた後に、息子の同僚を名乗る人物が、通告どおり自宅にやって来ました。従来の対応法が正しければ、この状況で詐欺被害に遭うはずはありません。ところがその女性は、あろうことか、キャッシュカードを暗証番号とともにその相手に渡してしまったのです。その結果、200万円ほどが引き出されてしまったのだそうです。うそのような話ですが、本当に起こった出来事だそうです。したがって、このような女性がいること自体はまちがいありません。

 オレオレ詐欺グループを率いていたという20代半ばの男性は、電話を「二百件かけて1、2件当たればいい方じゃない」(中溝、2004年、15ページ)と語っています。獲得額を考えればわかるように、実行犯側にとっては、それで十分だということです。そうすると、本例を特殊な事例として片づけてしまってよいわけではありません。次の図は、前論考からの再掲ですが、振り込め詐欺の被害者が相手の要求に従った時点で、それを振り込め詐欺と知っていたかどうかを警察庁が調査した結果です。

図1 犯人から電話等があった際の被害者の心境に関する質問
      図1 犯人から電話等があった際の被害者の心境に関する質問に対する回答。平成21年警察白書より引用。

 これを見ると、被害者の3割ほどは、振り込め詐欺ではないかと、多かれ少なかれ疑いながら要求額を振り込んでいることがわかります。知識は、自らの行動を変える力をもっていないことが、この統計によってあらためてはっきりします。これは、驚くべき結果であると言わざるをえませんが、それよりも問題が大きいのは、当の息子から確認を得たうえで被害に遭った先の事例です。しかしながら、両者は、頭でわかっていてもそれが抑止力にならなかったという点で完全に共通しています。

 この女性が詐欺に遭ったのは、老齢のため判断力が鈍っていたためだとして片づけることはできません[註4]。少なくとも、息子に電話をかけて確認するという、他の被害者にはまず見られない適切な対応を実際にとっているからです。にもかかわらず、キャッシュカードを渡してしまったわけですが、それはなぜなのでしょうか。

 この女性は、キャッシュカードを不正に受けとりに来た人物に渡さないという対応をとるべきでした。にもかかわらず、それとは正反対の行動をとってしまったわけです。では、渡さないという正当かつ適切な選択をしなかったのはなぜなのでしょうか。この場合は、困り果てている息子に手を差し伸べたいという誘惑もなければ、体面に対するこだわりもないので、別の理由があるはずです。

 人間は一般に、不当な主張をするのは簡単であるのに対して、正当な主張は難しいという特性をもっています[註5]。これは、幸福否定の一環として現われる根強い傾向で、長年にわたって心理療法を続ける中で、経験的にわかってきたことです。精神分裂病(統合失調症)の人たちには、その傾向が顕著な形で見られます。べてるの家の当事者たちの証言を見ればわかるように、特に両親に対しては、不当な主張はいくらでもするのですが、たとえば「好きなものを食べたい」という、実に些細に見えることであってもそれが本当に素直な気持ちであれば、その主張をしなければならない段になると、極度に遠慮がちになり、さまざまな理屈をつけてそれを避けてしまうのです(たとえば、浦河べてるの家、2005年、90、133ページ参照)。

 あるいは、他人のためには正当な主張を、矢面に立つまでして堂々と繰り広げることができるにもかかわらず、いざ自分のことになると、完全に、あるいは大幅に引いてしまうという形をとる場合もあります。これは、なぜか、がんの人たちに特徴的に見られる傾向です。

 繰り返しになりますが、この女性の問題は、詐欺の実行犯( “受け子” )がキャッシュカードを受けとりに来た時、その完全に不当な要求(この場合は、犯罪)に全面的に屈してしまったことです。逆に言えば、肝心な時に正当な主張ができなかったことになります。自宅にひとりでいたために怖かったとしても、それは理由になりません。また、パニックになっていたとしても、パニックのために屈したという説明も成立しません[註6]。実際に息子と連絡がとれているのであるし、受け子が来たとしても、そこでとれた対応はいくつかあったはずだからです。当然のことですが、まず、玄関のドアを開けるべきではありませんでした。そして、その間に警察に通報すればよかったのです。それを知っただけで受け子は、女性に危害を加えることなく逃げ去るでしょう。ところがこの女性は、そのような正当かつ有効な対応を、なぜかとらなかったのです。

 話が変わるようですが、催眠という現象があることは誰もが知っているでしょう。たとえば、手足にいぼがある人に催眠をかけ、「手のいぼが消えます」という暗示を与えると、足のいぼのほうはそのままなのに、手のいぼだけがいつのまにか消えてしまうという現象のことです。アメリカの研究者が調べたところによると、言葉による暗示でいぼが消える比率は、5割から7割ほどにのぼるそうです(たとえば、スパノス他、2002年)。これは、考えてみれば、実に不思議な現象です。

 この場合に必要な前提条件は、催眠暗示をかける者を、相手に権威(の代行者)と思い込ませることです(たとえば、Hunt, 1979)。それができさえすれば、その権威の求めに応じて、たいていのことなら、自らの「能力の限界を超えるところまで自らを駆り立て」て、進んで実行してしまうのです(Mason, 1994, pp. 653-54)。しかしながら、いわゆる催眠状態にはなくても、同様の現象が起こることは少なくないようです(バーバー、1975年参照)。その場合でも、権威の指示に、時にはそれが極度に不当で理不尽なことであっても忠実に従ってしまうのです(ミルグラム、1975年)。

 オレオレ詐欺では、息子を自称する人物しか登場しない、いわば古典的な事例でも、その裏に必ず権威の存在を知らせる演出が施されています。会社で使い込みをして解雇されるという物語の場合には、会社や、場合によっては法律や警察がその権威に当たりますし、飲酒運転をして事故を起こしたり、誰かに暴力を振るったり、痴漢行為をしたという物語では、法律や警察や裁判所がそれに当たります。そして、昨今の手の込んだものでは、警察官や弁護士を名乗る人物が、矢継ぎ早に電話に登場するわけです。その結果として、パニックのようになり、場合によっては銀行にいる行員や警察官の制止を振り切ってまでして、前後の見境なく相手の要求に応じてしまう人たちがいるのです(2010年3月25日付、読売新聞)。

問題の核心は何か――3.体面へのこだわり

 犯罪被害に遭っても、警察に届けない人たちが一定の比率で存在することは、周知の事実です。実際に、オレオレ詐欺の実行犯の少年は、「世の中には『警察に行かないタイプ』がいるんで、俺たちが食えるんですよ」(竹山、2007年、109ページ)と発言しています。この人たちは、犯罪被害の “暗数” と呼ばれます。次の図2は、警察庁が実施した調査の結果に基づいた、犯罪被害の暗数の比率を示すグラフです。
図2 犯罪被害実態(暗数)調査について
 図2 犯罪被害実態(暗数)調査の結果。警察庁「平成25年版 犯罪被害者白書 」中の「犯罪被害実態(暗数)調査について」図2を編集して引用。()内は対象者数。

 わかりやすくするため、この図では、「届出なし」が一件もない「自動車盗」と、非常に多い「性的事件」の両極と比較しやすいように、その部分だけをとり出して表示しています。対象者が少ないので、これだけで単純な結論は出すことはできませんが、振り込め詐欺で警察に届ける者は、おそらく被害者全体の3分の1程度であることが推定されます。被害金額が大きいにもかかわらず、このような結果になっているのです。届け出をしない理由はいくつかありますが、振り込め詐欺の場合に大きな役割を演ずるのが、おそらく、これまでにも何度か出てきている「体面へのこだわり」です。

 この要因も、オレオレ詐欺が成立するための重要な条件です。人間は一般に、自分が恥と思うことを他人に知られたくないという性向を多かれ少なかれもっています。世間体が悪い、面子がつぶれる、人聞きが悪い、沽券にかかわる、体裁にこだわる、面汚し、家名に傷がつく、虚栄心が強い、見栄を張るなどの言いまわしが、この性向に関連した表現であることは、今さら説明するまでもないでしょう。要するにこれは、他者との勝ち負けに対するとらわれに由来する性向ということです。

 体面へのこだわりを捨て去るのは、誰にとっても難しいものです。“我執” を捨て、勝ち負けに対するとらわれから自分を解放することこそが、“悟り” に至る道だと言われていることを考えると、そのことがよくわかります。黒澤明監督の映画「羅生門」は、まさに人間のこの側面を扱ったものでした。その部分の原作は、『今昔物語集』を下敷きにして書かれたという芥川龍之介の小説「藪の中」ですが、映画では、その原作を越えて、人間は死んだ後ですら自分をよく見せたいという欲求を捨てきれないものであることが、みごとに描き出されています。人間は、それほど我執の強いものなので、それから抜け出すのは大変です。

 かくして、オレオレ詐欺の被害に遭った後に恥ずかしさを覚えるため、警察に届けない人たちが少なからずいるのは確かです。その一方で、銀行で振り込みをする際に醜態をさらしても平気な人たちが少なからずいることから推定すると、実際には、愛情否定のほうが上位の要因になる場合が多いのではないかと思います。この性向は、これまで見てきたように、被害に遭う理由にも関係しているはずです。息子が不祥事を起こしたことを知られたくないという気持ちが働くため、できることなら何とか穏便にすませたい、事件を表面化させたくないという願望が起こり、相手の “甘言” に乗る形で、まんまとだまされてしまうわけです。

 体面へのこだわりは、先述のように、人との勝ち負けへのこだわりに関係しています。このこだわりを完全に捨てるのは非常に難しいわけですが、この場合に重要なのは、お金を出すことで息子の不祥事を隠すことができたとしても、息子が不祥事を働いたこと自体については、否定することも消し去ることもできないということです。それどころか、犯罪や悪行のもみ消しを図ったことになり、うしろ暗い気持ちが残ることになるでしょう。もうひとつは、大変な犠牲を払って息子を窮地から救い出したところで、それは、誰に対しても胸を張って話せるようなことではなく、せいぜいのところ自分の自己満足にすぎないということです。

 以上の検討の結果、オレオレ詐欺の成立には、多かれ少なかれ次の条件が関係していることが、あらためて明らかになりました。

  ● わが子に対する愛情否定の潜在
  ● 権威やその代行者への服従ないし承服
  ● 体面へのこだわり
  ● 切迫した状況

 したがって、オレオレ詐欺とは、幸福否定のために、(1)窮状にあるわが子に手を差し伸べることこそが愛情の現われだと自分に言い聞かせようとして、さらには(2)背景に権威の存在が見える状況の中で、不当で理不尽な要求に対して正当な主張をするのを避けようとするあまり、さらには(3)体面を気にするためもあって、相手の要求に進んで従ってしまう現象ということになるでしょう。その場合、要求された金額の大きさを利用して、実行犯側ともども切迫した状況を作りあげ、矛盾に気づいてもそれをあえて無視するわけです。息子に確認した後に受け子にクレジットカードを渡してしまった先述の女性の場合は、(2)の条件だけで、相手の犯罪に協力する形で成立した、オレオレ詐欺被害にあらざる、いわば不全型ということになるでしょう。

 次の図3を見ると、やはりオレオレ詐欺の被害(認知)件数が突出していることがわかります。

図3 犯人から電話等があった際の被害者の心境に関する質問
      図3 振り込め詐欺の認知件数。警察庁「特殊詐欺対策」中の「被害発生状況」より引用。

 オレオレ詐欺と架空請求詐欺の認知件数の差は、愛情否定という要因と、それ以外の要因による発生件数の違いをおおまかに表わしているのではないかと思います。これを見ると、両者への対応法もおのずと明らかになってきます。では次に、これらの条件をもとにして、特にオレオレ詐欺への対応を具体的に考えてみることにしましょう。

では、どうすればよいのか

 オレオレ詐欺に遭わないようにするための第一の関門は、以前から言われているように、電話の相手は息子ではないことを見破ることです。それができれば、詐欺に遭うことはまずありません。それどころか、警察の「だまされたふり作戦」に協力するほどのこともできるでしょう。この方法で十分な人たちもいるのでしょうが、実際には被害の拡大を防ぐことができていないので、よほど好意的に見ても、この方法が不十分なものであることは既に明らかです。

 次なる方策として、ここで提案できるのは、愛情否定の潜在、権威を思わせる存在、体面へのこだわり、切迫感という上記の4条件を成立させないようにすることです。ただし、この4条件は、互いに独立しているわけではなく、従属関係にあるものもあります。そのことを念頭に置きながら、最初に、愛情否定という条件を再検討してみましょう。

 息子を名乗る実行犯が、背景に会社や法律や警察があることを被害者に明に暗に伝え、法外な金額を提示することで切迫した状況へと被害者ともども盛りあげて行くわけですが、親が相手を本当に息子だと思い込んだとしても、息子に対する愛情否定が潜在していなければ、それほどの問題は起こらないでしょう。「どうぞおかまいなく」とでも言えばそれですんでしまい、詐欺に遭うことはまずないはずだからです。体面ないし世間体という要因については後述します。

 ただし、先の女性のように、いざ相手が目の前に現われると、いわば「蛇に見込まれた蛙」のようになってしまい、詐欺であることを完全に承知しながらも拒否することができず、そのまま被害に遭ってしまう事例もないわけではありません。とはいえ、この場合、少々難しい条件が必要になるので、この種の事例はかなり少ないはずです。その条件とは、受け子として現われた、おそらく若い男性を、わが子の声を打ち消すに足るほどの権威の代行者と見なす必要があるということです。

 また、詐欺を疑いながらも相手の要求に応じてしまう人たちが3分の1ほどの比率で存在するわけですが、圧倒的に多い(全体の3分の2ほどを占める)のは、やはり「詐欺とは全く考えなかった」人たちです。前者のうちの全員がオレオレ詐欺の被害者というわけではないでしょうから、簡単に一般化することはできませんが、その中では、権威を思わせる存在に屈した者の比率が相当に高そうです。そうすると、権威の存在が、オレオレ詐欺で大きな役割を演ずるのは、愛情否定が先在する場合にほぼ限られるという結論になりそうです。

 では、「切迫した状況」についてはどうなのでしょうか。息子に対する愛情否定が潜在しなければ、切迫した状況に置かれても、「警察へでもどこへでも行ってください」などと突っぱねることが難なくできるはずなので、この条件だけでオレオレ詐欺が成立することは、やはり考えにくいでしょう。これは、息子を助けてあげたいという、愛情否定に基づく強い欲求や体面へのこだわりを基盤として作りあげられる二次的な条件とみてよいでしょうから、愛情否定がなければ、そもそも切迫した状況にまで到達することは考えにくいように思います。

 体面へのこだわりについては、先ほど検討したとおりで、お金を出して息子の不祥事を隠しても、犯罪や悪行のもみ消しを図ったことになり、うしろ暗い気持ちが残るため、苦労して息子を窮地から救ったところで、人に堂々と話せるようなことではなく、自己満足にしかならないということです。権力が跋扈した時代であれば、そういうことを人に自慢することもできたのかもしれませんが、今はそういう時代ではありません。

 オレオレ詐欺の被害に遭う人は、大金を失うだけでなく、助けたつもりの息子から強く叱責され、家族に大きな迷惑や負担を負わせ、場合によっては老後の生活に困るような状況にも陥るわけです。しかも、その被害を誰にも話せない。それは、もとはといえば、わが子に対する真の愛情を否定しており、権威に対して従順で、体面を気にして、誰にも相談することなく、かつ前後の見境なく自分本位の行動をとることで必然的に起こる結果なのです。そして、それは他の誰のせいでもないという、冷厳な事実だけが残るのです。

 以上のことは、被害者に対してずいぶん酷な発言であるように聞こえるかもしれません。しかしながら、事実を明らかにしない限り、実際に被害を食い止めることができないのはまちがいないのです。

 では、オレオレ詐欺という犯罪を食い止めるためには、どうすればよいのでしょうか。もしその電話をかけてきたのが自分の息子だと思い込んだとしても、被害に遭わない方法はあるのです。それは、わが子を年齢相応に扱い、何ごとが起こったとしてもその解決は本人に任せ、何よりも、自分たちの生活を優先するという、当たりまえの生活を常日頃から続けることです。これは、人によっては「言うは易し、行なうは難し」の典型例なのですが、決して不可能なことではありません[註7]

 結局は、親として当たり前のことができてさえいれば、オレオレ詐欺の被害に遭う可能性はかなり低くなるはずだという、一見するとどうということのない結論に辿り着きました。とはいえ、本論考では、権威とされる存在への積極的服従および体面へのこだわりという要因と愛情否定との位置づけが、多少なりとも明確にできたように思います。

[註1]幸福否定の結果として作りあげられた感情については、拙著『幸せを拒む病』(2016年、フォレスト新書)第2章を参照してください。
[註2]納得しにくいことをあえて承知で説明すれば、ここで起こるパニックや不安などは、正常な反応ではなく一種の症状であり、その原因は、後ほどふれるように、幸福否定に基づくわが子に対する愛情の否定です。つまり、実行犯から、突然に、息子を突き放すよう迫られたことによって、それを実行してしまうと息子への真の愛情を自分がもっていることが、自分の意識にはっきりしてしまうため、それを極力避ける必要が生じ、どうしても手を出さざるをえないように自分からもっていってしまうということです。
[註3]別の表現をすれば、これは、いわゆる押しつけの愛情に当たります。とはいえ、これだけでは納得しにくいでしょうから、関心のある方は、拙著『懲りない・困らない症候群』第4章をご覧ください。
[註4]オレオレ詐欺を含む振り込め詐欺の被害者に、圧倒的に老齢の女性が多い(70歳以上の女性が70パーセント以上を占める)のは事実ですが、それは、働き盛りの息子や、青年期にある孫がいる年齢に当たるためなのかもしれません。実際に、他の特殊詐欺の場合の被害者は、20代の男女が最も多いという結果が得られています(「振り込め詐欺の心理学」表3参照)。したがって、加齢自体が詐欺に遭う理由になっているかどうかは、別に検討する必要があるように思います。
[註5]一般の心理学では、個人の主張という行動をとりあげる場合、それが強いか弱いかを問題にするだけで、それが正当なものかどうか、誰のためにその主張を行なっているのかという点を問題にすることはほとんどありません。しかしながら、この区別は非常に重要なのです。
[註6]このあたりの論理も、やはり納得しにくいかもしれません。その点については、上の[註2]や、拙著『幸せを拒む病』(2016年、フォレスト新書)第2章を参照してください。
[註7]それを実現するための方法としては、幸福否定理論に基づく “感情の演技” という方法が最も効果的だと思います。具体的なやりかたについては、当サイトのトップページや拙著(『幸せを拒む病』第4章、『本心と抵抗』、『幸福否定の構造』)を参照してください。

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