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 神経心理学と心理的要因 2.自閉症という症候群(1)

自閉症とはどういうものか

自閉症をもつ人たちとじかに接する意味

 今回は、自閉症と呼ばれる症候群をとりあげ、それらをもつ人たちに観察される、興味深くも重要な側面を詳しく紹介し、それが神経学的な原因によるものなのか、それとも心理的原因によるものなのかという角度から、あるいは、どこまでその線引きが可能なのかという問題について検討することにします。ただし、あまりに長くなってしまうことがわかったので、2回に分け、その検討は後半で行なうことにします。

 サックス先生はこの種の問題に関連して、「どれくらいまでが器質的な原因によるもので、『動機』の問題がどれくらいまでかかわっているか見きわめるのは不可能」(サックス、1992年、381-382ページ)と述べています。これは、両側頭葉に重度の障害を抱える、発話のない青年について語ったものですが、器質性障害をもつ人たち全般に当てはまる発言だと思います。そうであるとしても、環境という漠然とした非主体的要因よりも、動機という、当事者の主体性に関係する要因を重視したのは、やはりサックス先生の慧眼によるものでしょう。

 私が初めて自閉症(小児自閉症)をもつ子どもたちに接したのは、大学の自閉症児研究会に入った1968年のことですから、今から 50 年近く前になります。サックス先生が自閉症と最初に接したのは1960年代半ばだそうです(サックス、2001年、339ページ)から、これは、比較的早い時期に当たることになるようです。その自閉症児研究会は、既に活動家として知られていて、後に京都精華大学の学長となる片桐充(=中尾ハジメ)が中心となって運営されていました[註1]。数名しかいなかった中核メンバーは、その後、医学部教授を含め、ほとんどが大学の教授職についています。今では数が多すぎて不可能ですが、片桐さんは、その当時、欧米で出ていた自閉症関係の主要な著書や論文のほとんどに目を通していて、私たちは、その恩恵におおいに浴していました。

 片桐さんがどれほど自閉症文献に通じていたかは、お茶の水女子大学の小児科医、平井信義先生(1919-2006年)が1968年に出版した、自閉症を扱ったわが国初の成書『小児自閉症』の「自序」を見るとわかります。そこには、1967年の初夏に「ロンドンの Wing 編の『早期小児自閉症〔Early Childhood Autism, ed. by J.K. Wing〕』を片桐君(早大心理学科学生)から拝借して読み、深く感動」し、この編著書のおかげで意欲をかき立てられたと書かれている(平井、1968年、Y ページ)のです。この編著書には、編者の妻である、英国の児童精神科医、ローナ・ウィングの論文ももちろん収録されています。ローナ・ウィングは、後にカナー一辺倒の自閉症研究を一変させた研究者ですから、それを専門家よりも早く読んでいた片桐さんの実力のほどがわかろうというものです。また、片桐さんは、わが国の専門家の論文に掲載されている参考文献リストを見て、それを執筆した専門家が、それぞれの文献を本当に読んでいるのか、それとも権威づけのために載せているだけなのかを推断するようなこともしていました。

 その頃は、このように、自閉症と言えばカナー型の自閉症を指していて、発病率は5万人にひとりなどと世間で言われていたほど珍しい疾患でした(実際には、ウィング(1928-2014年)が1964年に行なった調査から、1万人に4、5人程度と推定されていたようです〔ウィング、1975年、10ページ〕。ただし、これは、カナーが唱えた概念に適合する狭義の自閉症です)。アスペルガー症候群は、以下に述べる理由から、概念としては既に知られていて、当時は自閉的精神病質とかアスペルガー型自閉症と呼ばれていました。このふたつの自閉症概念がわが国に導入された経緯は、次のような事情から、アメリカや英国と違って少々特殊だったようです。

 平井先生は、1962年に、ドイツで開催されたふたつの学会に招待された折に、ウィーン大学の小児科医、ハンス・アスペルガー(1906-1980年)の知遇を得たうえ、学会終了後にウィーン大学を訪問して、アスペルガーとさらに親交を深めました。その際にアスペルガーは、機会をみて訪日することを約束してくれたのです。3年後の1965年11月、アスペルガーは、東京で開催された第 12 回国際小児科学会に出席するため来日することになりました。一方の平井先生は、時を同じくして開催される第6回日本児童精神医学会(現、日本児童青年精神医学会)の会長をおりよく務めることになったため、アスペルガーに依頼して、総会で特別講演をしてもらったのでした(平井、1968年、Xページ)。それは、「Probleme des Autismus im Kindesalter 乳幼児期に於ける自閉症の諸問題」と題する講演でした(Asperger, 1966)[註2]。

 一方、慶応大学の児童精神科医、牧田清志先生は、ジョンズ・ホプキンズ大学の精神科医、レオ・カナー(1894-1981年)のもとへ留学していた(牧田、1963年、152ページ)ことから、両者の間で、「真の自閉症はカナーのものかアスペルガーのものか」という論争が起こったわけです(小澤、2010年、130-133ページ)。そのような事情から、当時、ふたつの概念が入り乱れていたため、牧田先生は、1969 年3月に京都で開催された自閉症研究会議の席上で、この論争に終止符を打つべく、「自閉的特徴を主症状とする患児を包括して『自閉児』と呼ぶ」ことを提案したのでした(寺山、東條、2002年、5ページ)。それによって「一応の共通理解に達した」(牧田、1969年、33ページ)らしく、それからしばらくの間は、アスペルガーの名前は消えてしまったようです。

 この論争は、ヨーロッパ大陸を除けば、珍しいものでした。アスペルガーは、1950年に6週間ほどアメリカに滞在していたことがあった(Feinstern, 2010, p. 18)ので、自閉的精神病質という概念をそこで発表しているのではないかと思われるのですが、そうであったとしても、注目する研究者はあまりいなかったということなのでしょう。加えて、アメリカや英国では、英語以外の論文は、特にドイツ語はナチ問題という事情もあってほとんど読まれないため、アスペルガーの概念は、ローナ・ウィングが1981年に “再発見” する(Wing, 1981b)までは、アメリカや英国ではほとんど知られていませんでした(Lyons & Fitzgerald, 2007)。そのような事情から、そうした論争は起こりようがなかったのです[註3]。

 その頃の治療施設は、東京近辺では都立梅ヶ丘病院や武蔵野赤十字病院(こどもの相談室。斉藤慶子室長。平井信義顧問)など、ごく少数でした。また、日本社会福祉大学は、石井哲夫先生を中心にして既に子どもや家族の支援を始めていました。後の東京都自閉症協会の前身に当たる東京自閉症児親の会が結成されたのは、私が初めて自閉症に接した1968年の前年でした(須田、1999年、138ページ)。

 少なくとも当時の自閉症児の家族の多くは、ほぼカナーの言う通りの特徴(Kanner, 1943, p. 217)をもっていて、父親には大学院(当時のことなので、多くは旧制)を修了したほどの高学歴者が多く、大学教授や医師、弁護士、科学技術研究者などが目立っていました。私は、ふたりの自閉症児(いずれも小学校低学年の男児)を見ていたのですが、それぞれの父親は、東京帝国大学大学院と京都帝国大学大学院を出ていて、ふたりとも科学技術の優秀な研究者でした。そのうちのひとりは、著名な数学者の親友で、その後、大きな会社の社長になっています。そのような歴史的背景に照らすと、現在は、ウィングの貢献を通じたDSMによる診断基準の変更のためなのかもしれませんが、数が爆発的に増え(Baron-Cohen, 2008, Chap. 2)、自閉症という疾患の “庶民化” が起こった感じがします。自閉症連続体の幅が大きく広がったということです。

 私たちは、それぞれの家庭に入って、外出する母親の代わりに面倒を見るアルバイトという形で、子どもたちと接していました。そして、その観察を、週に2回程度ではありましたが、2年近くにわたって続けていたわけです。仲間たちが見ている子どもやその親たちとの合同合宿もありました。それは、未熟なレベルのものには違いないとしても、まさに条件としては理想的な「関与しながらの観察」でした。その中で、自閉症児たちは、本拠地である家庭ではどのような生活をしているのか、どのような時にどのような反応をするのか、どのような症状がどのような時に出現するのか、どのような特異能力をもっているのか、両親や兄弟姉妹との関係はどうなっているのかなどを、一緒に遊んだり、散歩したり、食事したり、入浴したりすることを通じて、自分の眼でじかに観察することができたのです。振り返って考えると、これは、当時思っていた以上に、非常に貴重な経験なのでした。

 今でも忘れませんが、担当した子どものひとりと初日に散歩に出かけた時のことです。振り返って考えれば、母親が何も注意しないまま私たちを外出させたのはふしぎなのですが、その子は、自宅から出るとすぐに近くの一軒家に飛び込んだのです。近くなので、私はてっきり知り合いの家だと思ったのですが、さにあらず、その家の中から女性の叫び声があがったのです。狐につままれた思いで玄関を入ると、目の前の部屋で、その子が灰皿にあったタバコの吸い殻を何本か口の中に入れようとしているのを、その家の主婦らしき女性が必死になって止めているところでした。しかしながら、その甲斐もなく、一部は飲みこまれてしまったようでした。私は、あまりのことに驚くばかりでした。私の自閉症児体験は、こうして始まったのです。

 もうひとつ印象的だったのは、武蔵野赤十字病院こどもの相談室のプレイルームで、数名の自閉症児を観察していた時の出来事です。私がプレイルームの電灯の壁スイッチを入れたところ、その瞬間に、その場にいた5、6歳くらいの男児が、カチッという音がしたほうへ、一瞬でしたが視線を向けたのです。自閉症の子どもは、音に全く反応しない場合があって、その子も、そのような事情のため聴覚障害を疑われていたのです。そのことをあらかじめ職員から聞いていたので、もしかすると音に反応するのではないかと思って、その子の様子をうかがいながら電灯のスイッチを入れてみたのでした。その出来事から、その子は本当は音が聞こえているらしいことが初めてわかったわけです。

 他にも、初歩的なことではありますが、いろいろなことを経験的に知りました。たとえば、どのように努力しても――顔を両手で押さえて視線を合わせようとしてすら――必ず別の方向を見てしまって、絶対に視線を合わせようとしないことや、散歩のコースやその中で行なう儀式的行動がかなり厳密に決まっていること、一定の場面や状況になるとパニックを起こす場合が多いこと、私が見ていたうちのひとりは当時の乗用車の車種を(おそらく)すべて見分けることができたこと、消防車やごみ収集車のように作りが複雑な車輛でも、関心がある場合には何も見ずに即座に描けることなどが、さらには、“遅延性反響言語” や “同一性の保持” や “クレーン現象” などの自閉症特有とされる症状がどのようなものかということも、知識としてではなく経験としてわかったのです。

 サックス先生の『火星の人類学者』にも、自閉症の研究史が簡単に記されていますが、調べてみるとその頃は、欧米では既に当初のカナー流の環境因論から脳障害説へと、原因論の根本的な変更が起こった後なのでした。しかしながら、当時のわが国では、アメリカの心理学者、バーナード・リムランド(1928-2006年)が1964年に提唱した、神経発達障害を原因とする仮説(Rimland, 1964)や英国の児童精神科医、マイケル・ラターによる脳障害説(Rutter, 1968)は知られてはいたものの、まだ研究者も少なく、カナーやアメリカの精神分析医、ブルーノ・ベッテルハイムが主唱した親の養育法に起因する疾患という位置づけが主流だったように思います。

 リムランドは、自分たちの子どもが自閉症だったことから、相当の時間をかけて文献を真剣に調べるようになり、その結果として、心因論よりも脳神経の発達障害を原因と考えたほうが理に適っていることを主張したのです。カナーは、リムランドの考えを認めて、親の養育法を原因としていた自らの考えかたを撤回し、自閉症の親たちに対して謝罪したそうです。そのような事情から、リムランドのその著書には、カナーが序文を寄せています。

 確かに、家庭内での私たちの観察からも、親子の身体的接触が少ないという印象はありましたが、発病がはっきりするまでの生後1、2年という短い間に、本人や家族の一生を大きく左右するほど重度の自閉症という疾患が、それだけで起こるものかどうかは、おおいに疑問でした。その後まもなく、わが国でも、リムランドやラターが提起した考えかたが主流になり、現在では、脳の器質的異常による疾患という位置づけがほぼ定着しているようです。

自閉症研究の現状

 アメリカの社会学者、バーナード・ギャラガーら(Gallagher, Jones & Byrne, 1990)は、アメリカ精神医学協会(APA)会員である精神科医たちを対象にして、早期小児自閉症の原因についてどう考えているかを調べました。同協会の会員名簿からランダムに選び出した 1400 名に調査票を送ったところ、全体の 16 パーセント弱に当たる 221 名から回答を得ることができました。回答率が低かったのは、この疾患の数が少ないためと考えられました。次の表は、関連項目に回答した 171 通の結果を集計したものです

図 自閉症の原因論
アメリカで行なわれた自閉症の原因論に関する調査の結果。学派別に集計されている。Gallagher, Jones & Byrne, 1990, p. 937 の表2をもとに再構成。

 この表を見ると、今から二十数年前の1990年の時点で、小児自閉症の原因として “環境的要因” を考える専門家は、どの学派にしても、非常に少なくなっている(全体の4パーセントにすぎない)ことがわかります。環境的要因も含めた複合的要因を考える者が 26 名(15 パーセント)いたとはいえ、精神分析の立場に立つ者でも、圧倒的多数が生物学的要因を想定しており、環境的要因をその原因と考える者は、49 名のうちわずか3名(6パーセント)しかいなかったのです。脳損傷説を唱えたラターですら、こうした器質的要因で説明できるのは、自閉症の中でも一部の事例にすぎないとして、慎重な態度をとっていた[註4]にもかかわらず、現状はこのようになってしまっているということです。双生児研究などを通じて、遺伝的要因が大きく関与している可能性が指摘されている(たとえば、Folstein & Rutter, 1977; Bailey et al., 1995)とともに、このように神経心理学的要因が強く疑われているのはまちがいない[註5]わけですが、その原因は依然として不明なのです。

 私たちは、自分で見ている子どもたちがいずれ成人に達した時、いったいどのような生活をするようになるのかという問題に、強い関心をもっていました。その子どもたちは、1960年頃に生まれていますから、今では 60 歳に近い年齢になっているはずです。その子どもたちとは、その後まもなく接触がなくなっていましたから、現在、どのような生活をしているのかは、残念ながらわかりません。

 成人になった自閉症患者についての調査研究はまだ少ないようですが、それらを見る限り、やはり自閉症の予後は、特にカナー型と言われる中核群の場合には、よいなどとはとても言えない状況にあります。都立梅ヶ丘病院の中根晃先生(1931-2013年)が1988年にまとめた「自閉症の長期予後」(中根、1988年)という総説論文にも、「大部分の調査は自閉症の予後が極めてきびしいことを指摘しており、一部の良好な経過をたどるものはもともと知的水準の高い症例であることで一致している」(同書、498ページ)と明記されていますし、結婚に至っては、「自閉症者が結婚生活を送るようになることはほとんどないと考えられている」(同書、612ページ)と書かれています。

 1943年にカナーは、後に早期小児自閉症と名づけることになる 11 例の事例を、小児分裂病とは異なる病像を示す疾患として報告した(Kanner, 1943, p. 248)わけですが、その 30 年ほど後に当たる1972年に、その 11 例の追跡調査の結果を、共同研究者とともに発表しています(Kanner, Rodriguez & Ashenden, 1972)。実際に追跡できたのは9例だけでしたが、そのうちの2例では、てんかん発作が見られるようになり、残る7例のうちの4例は施設に収容されていました。このように、9例中6例で予後が悪かったのに対して、他の3例の予後は比較的よく、そのうちのひとりは農家に預けられて大学を卒業しています。もうひとりは、作業所で職業訓練を受け、その技術を生かしてまじめに仕事をしていたということです。しかし、結婚した者はひとりもいなかったようです。

 最近の調査研究でも、同じような結果になっているようです。シンガポールの研究者らが、 これまで発表されている 25 件の調査(自閉症およびアスペルガー症候群。総計 2043 名)をまとめた報告によれば、半数以上が依然として何らかの支援を受けて生活しており、友人や恋人のいる者はほとんどおらず、仕事に就いて自立した生活をしている者の比率も低いことが明らかになったそうです(Magiati, Tay & Howlin, 2014, p. 83)。やはり、対人的、社会的な障害は、なかなか解消されないということでしょう。

 ただし、ヨーロッパの研究者たちが、正常な知能をもつ 112 名の成人の自閉症患者を対象に行なった調査によれば、短大や四年制大学を卒業した者は 24 パーセント、常勤の仕事についている者は 43 パーセントであり、半数が、支援を受けながらではありますが、親元を離れて生活していました。また、結婚生活や同居生活を長期にわたって続けている者は 16 パーセント(19 名)ほどだったそうです(Hofvander et al., 2009)。平均的な知能をもつ、いわゆる高機能自閉症ですら、そのような状況にあるということです。

 では次に、このような厳しい現状を踏まえたうえで、自閉症スペクトラムに入るとされている何人かの実例を、主として、それぞれの自伝的著作を通じて見てゆくことにします。そうした著作があるということは、予後がきわめてよかった人たちということになります。

事例 1.テンプル・グランディン

サックス先生とグランディンさんの対面

 サックス先生は、『火星の人類学者』の最終章で、有名なテンプル・グランディンさん(1947年ー)をとりあげています。『火星の人類学者』というふしぎなタイトルは、グランディンさんが自分をたとえて使った言葉なのでした。火星のような全く未知の世界になぜかやって来て、人類学者のような立場でそこの住民に接しているという意味で、自分が人間の習慣や行動や感情をどれほど実感できないものであるかを端的に示そうとした表現なのです。

 この著書の中で、サックス先生は、グランディンさんの病歴に加えて、著名な自閉症研究者であるドイツ出身の英国の発達心理学者、ウタ・フリスの勧めで、グランディンさんを仕事場や自宅に訪ねた時の様子を詳しく紹介しています(グランディンさんが世界的に有名になったのは、サックス先生のこの著書のおかげのようです)。実像を知るには、著書や論文を読んだだけではだめで、やはり街頭神経学の精神をもって、本人の暮らしぶりを自分の目で見たり、実生活の中でじかに接したりする必要があるということです。

 グランディンさんは、自閉症と診断されながらも、自らの障害を克服する努力を続け、大学では心理学を学び、さらには大学院に進学して動物学の博士号を取得しました。大学卒業後は、牧場や家畜飼育場などで働き、現在は自ら会社を経営し、大きな成功を収めていることに加えて、大学の教授職にもついています。そのように、経済的にも社会的にも完全に自立しているのです。この点でグランディンさんは、世界的に見てきわめて珍しい存在と言えるでしょう。このことは、最初の著書 Emergence: Labeled Autistic(邦訳、『我、自閉症に生まれて』〔1994年、学習研究社刊〕)にバーナード・リムランドが寄せた「巻頭の辞」を見るとはっきりします。リムランドは、その中で、グランディンさんの経歴にひたすら驚嘆しているのです。

 ちなみに、同書を一読して思うのは、自閉症とADHD(注意欠陥・多動性障害)やトゥレット症候群との間には、症状の共通性ということ以上に、連続性があるのではないかということです。仮にこの印象が正しいとした場合、自閉症スペクトラム障害というものが実在し、その中の症状として多動や不注意やチックや汚言症などがあると考えるべきなのでしょうか。それとも、もっと根本的な “疾患単位” を別に模索すべきなのでしょうか。そのような根源的な疑念を抱かせることからしても、グランディンさんの位置づけは非常に重要であるように思います。

 グランディンさんは、小学校の時に知能指数が 137 もあった(グランディン、1994年、80ページ)ことに加えて、練習することなく製図が引けたりなどの、サヴァン的な能力ももっています(サックス、2001年、361ページ)。したがって、診断という点では、自閉症であるとしても、相当に高い能力をもった高機能自閉症やアスペルガー症候群ということになるのでしょうが、それにしても、経済的、社会的に自立しているという点で非常に珍しいことに変わりはありません。

 自閉症と診断されていることからもわかるように、グランディンさんは、対人的、社会的な関係を苦手としています。とはいえ、自閉症の患者としては珍しく、幼稚園時代から次々と友人を作っているのみならず、その友人たちと協調的な行動もしているのです。また、他の子どもたちにからかわれると、強い怒りを覚え、相手を叩いたり何かを投げつけたりするなどの暴力行為に走ってもいます。そして、そうした復讐心を満足させるために、他人を陥れるような嘘も自覚しながら平然とつくという、自閉症児としては非常に高度に思えることもしているのです(グランディン、1994年、52-53ページ)。このように、友人が何人もいることや、他人と協調的な行動がとれること、怒りや復讐心などの感情をもっていること、嘘を目的的についていることなどは、いずれも、自閉症の特性とされる傾向からは、かなり逸脱していることになるはずです。

 また、同書を読む限り、対人恐怖症的な側面はあったとしても、小学校時代からコミュニケーションにはそれほど不自由していないように見えますし、母親の証言によれば、その頃には自宅での問題はほとんどなくなっていたそうです(同書、62ページ)。症状が状況によって変化していたということです。これらの点を総合すると、本人の大変な努力があったのはまちがいないとしても、グランディンさんの自閉症は、相当に軽症なものと判断せざるをえないでしょう。

 グランディンさんは、鈍感で世間ずれしていないため、実社会に出た後も、最初のうちはよく人にごまかされたり利用されたりしたそうです。ただし、サックス先生によれば、その状態は、「ふつうの倫理的美徳から生まれるのではなく、ごまかしやいんちきを理解できないところから生じるもので、自閉症の人たちにはほとんど例外なくみられる」ものです。グランディンさん自身は、この問題について次のように考えているそうです。『火星の人類学者』からの引用なので、サックス先生の立場で書かれています。

 長年のうちに、「ライブラリー」を参照するという間接的な方法で、世の中の仕組みを多少学んだ。彼女は自分で会社を設立し、また家畜用施設専門のコンサルタント兼設計士として世界を舞台に仕事をしている。専門家という点では彼女は大成功をおさめたが、人間的なつきあい――社会的、性的な関係――のほうは、「獲得」できなかった。「仕事がわたしの人生のすべてです」と彼女は何度か言った。「ほかのことはほとんどありません」(サックス、2001年、353ページ)

 引用文中の「ライブラリー」とは、複雑な人間の動機や意図や感情を理解するために、グランディンさんが心の中に作りあげている、膨大な経験の記憶体系のことです。必要に応じてそれを参照することで、どのような時にどのような対応をしたらよいのかを知るわけです。人間関係のきびが、実感として直接にわからないと、現実の人間関係ばかりでなく、人間関係が描かれた小説や映画などのフィクションであっても、それが複雑であればあるほど理解できないことになります。ただし、これも自閉症特有の症状と言えるものではありません。その時に置かれている状況や「ライブラリー」の大きさを問わなければ、それほど珍しい現象ではないからです。

自閉症と “心の理論”

 自閉症をもつ人々は “心の理論”[註6]をもっていないと言われるように、他者の考えていることを推測するのが難しいとされています。しかしながらグランディンさんは、他者の考えが推測できなければ不可能なはずの行動も繰り返しとっています。たとえば、小学校低学年の時、いとこ(男児)の家に遊びに行った時のことです。ふたりで玄関先に座って話している時、いとこは、隣家の庭を近道に使っているのを見とがめられたことに腹を立てていて、隣の家に仕返ししたいとグランディンさんに訴えたのです。それまでの経験から、グランディンさんをあてにできると考えたのでしょうか。

 それに対してグランディンさんは、もち前のいたずら心を発揮して、ごみをまき散らしたり熊手で芝生を掘り返したりして「庭をめちゃめちゃにしてやればいいじゃない」と提案したのです。そして、イヌがしたように見せかけるべく工作しながら、ふたりでその着想を実行に移したというのです(グランディン、1994年、53-54ページ)。このいたずらは、相手の心の動きがわからないとできないことです。それに加えて、この行為は、驚くべきことにグランディンさん自身の主導によるものなのです。

 その一方で、サックス先生が書いているように、グランディンさんは、それとは質的に異なる態度も見せています。サックス先生と初めて対面した時、遠路はるばる訪ねてきたサックス先生の立場や、疲労や空腹という状態を思いやることが全くできなかったようなのです。社交辞令や前置きもなく、いきなり仕事の話を始め、「へとへとになった」サックス先生は、やむなく自分のほうからコーヒーを所望せざるをえなくなったのでした。サックス先生は、グランディンさんとの初対面の様子を次のように書いています。

 それに対して「すみません、気づかなくて」といった言葉もなければ、いたわりも愛想もなかった。彼女はただ、わたしをいつも熱いコーヒーポットが用意してある上階の秘書室に連れていった。そこで、秘書たちにどちらかというとぶっきらぼうに紹介された。わたしはまたも、ある状況で「どう行動するか」をおおざっぱに学びはしたが、ほかのひとの気持ち、ニュアンスや微妙な対人関係を思いやる感覚はあまりない人物を感じた。(同書、349ページ)

 サックス先生は、他の場面でも似たような経験を立て続けにすることになるわけです。そうすると、グランディンさんは、状況によって、相手の心が読める場合もあれば読めない場合もあるという結論になるようです。自閉症スペクトラム障害をもつ人たちは他者の心を読むことができないというふうに、一律に考えてはならないということでしょう。

 先ほどの、復讐心を満足させる行動にしても、他人の庭にいたずらをする行動にしても、相手を困らせる目的をもって行なわれるものであり、それによって相手が嫌がることが推測されています。それに対して、遠路はるばる訪ねて来てくれたサックス先生をもてなす場合には、自分本位の立場を離れて、サックス先生の立場に立って考える必要があります。この場合は、好意的な方向で相手の立場に立たなければならないわけですが、それが、グランディンさんには難しいということになるようです。

 いたずらをする時にも、遠来の客を、それも著名人を迎える時にも、同じく自分本位の行動をとったと考えれば、とりあえずこの矛盾は解消されそうです。後者の場合、対人的な不安や緊張の結果、そこまで思い至らなかったということであるとしても同じです。いずれにせよ、これではかなり幼児的な対応ということになってしまいます。世間一般の社会人であれば、相手に失礼にならないようにと考え、それなりの準備を事前にしておくものだからです。ましてや、秘書たちが近くにいるのですから、自分だけでは難しければ、その協力を得ればよいのです。この種の問題に関連して、グランディンさんは、サックス先生と対面する何年も前に書いた最初の著書(『我、自閉症に生まれて』)の中で、次のように述べています。

 たった一度のわずかに粗暴な行為がすべてを壊すことになる。不注意なたったひと言が、何か月もかかって築いた信頼、尊敬、信用を他人から失わせてしまうのだ。(グランディン、1994年、166ページ)

 このような場合に、おとな的な対応をすべきであることは、グランディンさんにも経験を通じてよくわかっているわけです。にもかかわらず、実際の場面になるとできなくなってしまうということです。それこそが、まさしく “発達障害” の発達障害たるゆえんなのでしょう。では、それはなぜなのでしょうか。ここには、自閉症特有の問題がからんでいるのでしょうか。

 このような態度は、いわゆるふつうの人であっても、世間知らずと言われる人たちにはよく見られるものです。今はかなり変わってきたとは思いますが、医師などの特殊な職業に就いている人たちがその典型例でしょう。それは、あまり世間にもまれることがなく、若い頃からちやほやされ続け、非常識的な、すなわち幼児的な態度を注意されないまま来てしまうためです。しかしながら、自閉症の場合は、そうではありません。繰り返し注意されたくらいでは、その場限りの矯正で終わってしまい、根本的な改善は望めないからです。したがって、似ている部分があるにしても、それとは異質な仕組みを考えなければならないことになります。

社会常識と自閉症

 社会常識に従って生活している人であっても、思うように行動するのが難しい場合があります。たとえば、相手に謝ったほうが、あるいはお礼を言ったほうがいいことを完全に承知しながら、その相手に頭を下げたくない自分なりの理由があるため、それがなかなかできないという現象です。たいていの場合それは、勝ち負けにとらわれ、自分が素直になりきれないためです。

 幸福否定という、このうえなく頑強な意志は、自分に素直になるのを避けることにあると言ってもまちがいではないほどですが、こうした姿勢は、幸福否定が重度になればなるほど強くなるものです。場合によっては、「あんなやつに頭を下げるくらいなら、死んだほうがましだ」というほどになってしまうのです。いわゆる意固地という状態です。

 素直にあらざる対応を、そのような側面から考える場合、昭和初期の詩人であった中原中也(1907-1937年)による自らの幼児的行動の “自己分析” が参考になりそうです。中也は後に、いわゆる反応性の精神病状態に陥ることになる(笠原、2004年b、第5、6章)のですが、次に引用する出来事は、それより3年ほど前の1929年 11 月に起こったものです。

 その3年前に創立された旧制の成城高等学校でドイツ語の教鞭を執っていた、後の東京芸術大学教授、阿部六郎(『三太郎の日記』で有名な阿部次郎の弟。1904-1957年)に紹介されて、阿部の同僚である小出直三郎と初めて対面した日に起こった出来事です。無頼の詩人と呼ばれる中也は、阿部たちと一緒に飲食した後、街ですれ違った全くの他人に、拳をふり上げながら正面から大声を出して向かって行ったのです。相手はとりあいませんでしたが、中也は、逆に、間に割って入った阿部にくってかかりました。中也はすぐに、初対面の際に醜態を見せたことを詫びる手紙を小出に送りました。そこには、次のようなことが書かれていたのです。

 自分に挑戦することがまるで人に挑戦してるやうなふうになつて、済まないことです。以後謹〔つつし〕みます。〔中略〕先逹〔せんだって〕から二三の人が自分のフィリスティン〔俗物〕根性のために、僕を酒くせの惡い奴といふことにしてやれと思つたことを憤慨してゐた矢先、だから初めて一獅ノ飮む君の前では尚更氣を付けようといふやうな氣持が最初起つた。(さういふ氣持は、僕自身思ふには僕に昔からあつたものではない!)その自分の氣持に腹が立つたので、遂々反對をやつてしまつた。(中原、1968年、340ページ。強調=引用者)

 目上の相手に対して、しかも謝罪文にあってはならないほど身勝手な言い訳に満ちあふれていますが、これは、次のような意味でしょう。自分は酒癖が悪いわけではないが、そう言われたくはないので気をつけようという、以前にはなかった気持が起こった。ところが、そうした素直な気持が初めて自分に起こったことを自分で許すことができず、つい正反対の行動に出てしまったというのです。つまり、自分の人格的な進歩を自分の意識が受け入れるのを嫌ったということです。全体として調子が高飛車なのも、素直に頭を下げるという、おとな的な対応をするのが難しいためなのでしょう。

 この中也と同じように、グランディンさんも、本当はどうしたいのか、あるいはどうすればよいのかを、知識としてはよく知っているのに、それをするのが難しいことを繰り返し書いています。むりをしてそれに立ち向かおうとすると、「心臓は破裂しそうになり、緊張で体が震え、吐き気が私を襲った」(グランディン、1994年、157ページ)というのです。これは、明らかに私の言う反応です。そのような事情もあって、時には、体が勝手にそれとは正反対の方向へ動いてしまうのでしょう。

 精神医学では、他者からの指示とは正反対の行動を起こす症状を、拒絶症 nagativism と呼んでいます。この場合、意識的に(ひねくれて)起こすことが想定されていることと、他者の指示によるものか自分の意志によるものかという点でも違うので、自閉症の場合とは異質なようですが、少なくとも結果として起こった行動は共通しています。次に示すのは、自閉症ではありませんが、この現象を理解するうえで参考になる事例です。

 それは、稀な先天性疾患とされる歌舞伎症候群の診断を受けた男性(里見英則さん)の事例です。里見さんは、生まれつき心臓と脳に異常があり、就学前の知能検査でIQが 20 未満だったため、重度の知的障害と診断されました。小さい頃は口から栄養をとることができませんでしたが、4歳からはミキサー食など、柔らかい食物がとれるようになりました。両親は、里見さんの好物を探した結果、「なめらかプリン」という製品を残さずに食べることがわかりました。そのため、近所の商店に頼んで、毎日このプリンを配達してもらっていました。

 18 歳になって、介助により会話ができるようになり、友人と話している時に、なぜプリンが好きなのかという話題になったのだそうです。それに対して、里見さんは、母親の顔を見ながら、思い切って「プリンしか出てこないから」と言ったのです。驚いた母親は、プリン以外はいつも口から出してしまうという事実を指摘しました。すると、里見さんは、さらに驚くべき発言をしたのです。次に引用するのは、この取材をしたジャーナリスト、中村尚樹さんによる記述です。ついでながらふれておくと、中村さんは、後述する支援伝達(FC)およびそれ類似の伝達法を通じて言葉を身につけた最重度の障害者たちと、その家族や教育者を公平な目で取材し報告している、きわめて先鋭的なジャーナリストです。

 これに対する息子の答えは、「食べたいと思うと出しちゃう」というものだった。英則さんによれば、「食べたい」と思えば思うほど、自分の意思に反して口から出してしまうのだという。それが何口か続いたあと、五、六口目でようやく食べられるようになる。ちょうどそのあたりで、両親は目先を変えようとプリンを持ってくるため、たまたまプリンを先に食べるようになったというのだ。
 「こっちは完全に『プリンが好き』と思いこんで、逆に英則は『プリンしか食べさせてもらえない』と、ずっと我慢していて、それがわかったあとは二年ほど、プリンを食べることはなかったですね」(中村、2013年、168-169ページ)

 これは、現象としては幸福否定の結果のように見えます。問題は、それが脳機能の異常のためなのか、それとも、本当に心理的な仕組み、すなわち幸福否定による結果なのかということでしょう。里見さんの場合はそうではないでしょうが、グランディンさんの母親は、この種の行動の裏に、本人のひねくれを感じていたようです。いずれにせよ、さすがにグランディンさんの母親は、そのあたりをよく観察していて、次のような観察を日記に書いていたそうです。これは、まだグランディンさんが小学校に入学する前のことです。

 退屈したり、疲れたりすると、テンプルはつばを吐いたり、靴を脱いで物を目がけて投げつける。そうしながら、しばしばくすくす笑いをしている。時々こうした行為は彼女の自制を越えているように見えるが、別のときには、センセーションを起こすためにわざとやっている。テンプルは一日の終わりが近づくに従って、聞き分けが悪くなり、奇矯な行為がもっとも衝動的になる。例えば、つばを吐いた後、まるで悪いことをしたことを知っているのだが、衝動を抑えられなかったと言わんばかりに、雑巾を持ってきて拭き取ったりする。〔中略〕
 テンプルはとても細い理性のひもで縛りあげられているようだ。怒らせると、彼女の反応は、疲労とフラストレーションの程度に比例して、異様さを加える。それでいて、自分の奇妙な行動が人をあきれさせることを自覚していて、ただ彼女自身をおもしろがらせたり、劇的な状況をわざと作ったかのように装う。(グランディン、1994年、35-36ページ)。

 ここまで冷静で鋭い、あるいは辛辣な観察をする母親は、非常に珍しいと思います。というよりも、自閉症の子どもの母親が自分の子どもを観察したという条件を超えて、他者の心の動きをここまで鋭く観察できる人は、かなり珍しいと言ったほうが適切でしょう。それが自閉症の母親であることは、私にはとても偶然とは思えません。この観察所見に問題を探すとすれば、それは、自分の子どもを少々突き放して冷徹に観察できるという第三者的な姿勢でしょうか。これらも、自閉症の謎を解くうえで重要な手がかりになるかもしれません。

 ここで、自閉症に広く観察される、他者に対する配慮を欠く行動様式は、無意識的なものであるとしても意図的なもので、自分の成長が自分の意識に明らかになってしまう行動を避けた結果として生まれる、という仮説が浮かび上がります。幸福否定という脈絡で考えれば、自らの成長の喜びを否定しようとするために、年齢相応のものと自分(のいわゆる無意識)で考える行動をとるのを、ごく幼少期から無自覚的に(場合によっては、多少なりとも意識しながら)回避した結果ということになるでしょう。次にとりあげる、もうひとりの有名な自閉症患者であるドナ・ウィリアムズさんは、長年、自閉症の相談員を続けてきた経験から、「発達の新たな段階に入ると新しい問題が生じることもある」と書いています(ウィリアムズ、2008年、46ページ)。そうした観察事実も、この仮説の有力な裏づけになるように思います。

 ところで、分裂病の場合の発病は、稀に起こるらしい小児分裂病と言われるもの[註7]を除けば、思春期から青年期です。つまり、社会に出てゆく前後に起こるということです。私の考えでは、それは、一人前の社会人になることに対する抵抗の結果ということになります。それに対して、自閉症の場合には、実社会という以前に、現実の世界へ出る時に起こり、その後の成長にことごとく抵抗するのではないかということです。以下、この仮説を念頭に置いて、グランディンさんの行動を見てゆくことにします。

 ただし、ここで付言しておくと、このような未熟な対応は、自閉症特有のものではなく、重度の精神疾患はもちろんのこと、人格障害とされるいくつかの状態の場合などにもごくふつうに観察される、いわゆる社会性を欠いた対人的態度ということになるでしょう。このように、自閉症的な症状とされるものの中には、発生する年齢を問わなければ、他の疾患にも見られる症状がきわめて多いのです。そのようなものを除外して行けば、自閉症のいわば中核症状がおのずと浮き彫りにされてくるはずです。

グランディンさんの感情的特性

 自閉症の人たちは、感情というものがわからないとされているわけですが、実際には感情が多少なりともわかるように見える人たちが、少なくとも一部にいるのは明らかです。グランディンさんも、以上の記述から、そのうちのひとりであることがわかります。そのことは、サックス先生が危険な川で泳ごうした時に、心配して「やめて!」と叫び、サックス先生が川から引き返してきたのを見て「安堵の表情」を浮かべたという観察事実(サックス、2001年、396ページ)や、「人間や世間の規範、合図、行動様式の理解となると非常に苦労している」にもかかわらず、「動物〔特に、家畜〕の気分や感情に対する直観力は非常に鋭く、ときにはそれに取り憑かれ、圧倒されてさえいる」(同書、364ページ)というサックス先生の所見からもはっきりとわかるでしょう。

 このようにグランディンさんは、「肉体的あるいは生理的な動物の苦痛や恐怖には共感できるが、ひとの心や見方に対する共感は欠けている」(同書、364ページ)わけですが、同じ動物であっても霊長類になると、かなり事情が変わって、知的にしか理解できなくなるのだそうです(同書、379ページ)。では、人間の場合には、おとなよりも子どものほうが対応しやすいのかと言えば、そうではありません。子どものほうが、おとなよりもはるかに難しいのだそうです(同書、365ページ)。それは、子どものほうが言葉によるコミュニケーションが成立しにくいためなのでしょうか。女性は一般に、母性本能と呼ばれる、子どもに強くひかれる特性をもっていることを勘案すると、このことについてはどう考えるべきなのでしょうか。

 サックス先生によれば、グランディンさんは人に抱きしめられたい気持ちが強かったが、それと同時に「ひととの接触が怖かった。抱きしめられると、とくにそれが大好きな大柄なおばであったりすると、相手の感触に圧倒された。そんなとき、平和な喜び〔peacefulness and pleasure=安らぎと喜び〕を感じるのだが、同時に飲みこまれるような恐怖もあった」そうです。そのような傾向が幼少期からあったため、5歳になった頃には、力強いにしてもやさしく抱きしめてくれて、しかも自分で完全にコントロールできるような「魔法の機械」を夢見ていたのだそうです(この夢は、信じがたいほど強い執念をもって、長期にわたる試行錯誤の末、“抱きしめ機 Hug machine” として、後に現実化された)(同書、357ページ; Sacks, 1995, p. 263)。

 愛情という感情は、相手がある場合には双方向性のものです。相手から自分に対する愛情と、自分から相手に対する愛情のふたつがあるということです。幸福否定の一環として愛情の否定を起こしている時には、相手から自分に対する愛情の否定のほうが、自分から相手に対する愛情の否定よりも一般には強いもので、その逆はあまりありません。その結果、自分は相手を好きなのに、自分は相手から好かれていないという、多くは逆うらみを伴う思い込みが生まれることになるわけです。相手からの愛情を否定する際、グランディンさんのように恐怖心をはじめとする心理的反応を作りあげることもあれば、実際に鳥肌が立ったり、体が硬直したり、あるいは冷たくなったり、頭痛や腹痛が起こったり、あくびが出たり、眠くなったりなどの身体的な反応を出すこともあります。

 グランディンさんは、他の自閉症児の場合と同じく、幼時には母親に抱かれると体を硬直させたそうです(サックス、2001年、390ページ)。また、寄宿制の中学校に入学した時、車で送ってきた母親と別れる際に、「母親の両腕に抱かれたいと切望した」にもかかわらず、「自閉症にありがちな近接願望と逃避の矛盾のわなに陥っていた」ため、棒のように突っ立っていて、「母のキスから顔を反らした」そうです(グランディン、1994年、92ページ。強調=引用者)。この「自閉症にありがちな近接願望と逃避の矛盾」という説明は、幸福否定が関係していることを教えてくれているように見えるので、自閉症の謎を解くうえできわめて重要です。

 それに対して、思春期を過ぎた頃には、「大好きな」おばさんに抱きしめられると、先述のように、恐怖心とともに「安らぎと喜び」も感じたわけです。これを幸福否定の脈絡で考えると、大好きなおばさんからの愛情が感じられてうれしいという素直な感情を半ば否定するために、恐怖心を作りあげたということになりそうです。とはいえ、これだけでは単なる推定にすぎないので、この推定が当たっているかどうかを確認する必要があります。そのためには、グランディンさんに、「おばに抱きしめられてうれしい」という感情の演技をしてもらって、実際に抵抗が起こるかどうかをみるしかありません。その結果、抵抗が起こって何らかの心身反応が出れば、この推定が当たっていることになります。

 グランディンさんが、幸福否定に基づく愛情否定のために(無意識のうちに)恐怖心を作りあげる一方で、意識の上ではおばさんからの愛情を感じているのが事実であれば、従来的な自閉症観からすると珍しい事例に入るはずです。そのことは、愛情の否定がそれほど強くないことを示していることになるからです。おばさんから自分に対する愛情の少なくとも一部を、意識の上でも感じていることになるわけですが、その点だけをとっても、グランディンさんは、従来的な自閉症観からすれば、やはりかなり軽症の部類に入ることがわかります。

グランディンさんの愛情のありかた

 診断名はともかくとして、もうひとつここで重要なのは、グランディンさんが、意識の上では、母親ではなくおばさんとの関係を重視しているような印象を受けることです。ところが、ふしぎなことに自伝では全くふれられていないのですが、このおばさん(アン・ブリーデン)は、実のおばではなく、両親が離婚して、グランディンさんが 18 歳の時に母親が再婚した相手(著名な演奏家)の姉妹なのだそうです(Montgomery, 2012)。したがって、血のつながりが全くない義理の関係に当たるわけです。サックス先生によれば、自宅に飾っている写真も、両親の写真ではなく、祖父の、しかもその農場の写真でした。

 また、“抱きしめ機” に入っている時には、母親のことや好きだったおばさんのことや恩師たちのことを考えて、「この人たちが注いでくれた愛情と自分が抱く愛情を感じる」のだそうです。そして、抱きしめ機に入っている時に味わう、そうした感情については、「きっと、ふつうはほかのひととの関係でこの気持ちを味わうのでしょうね」と語っているのです(サックス、2001年、355、359ページ)。

 これは、人間を相手にした時には味わえない素直な感情を味わいたいということであり、その願望は、主として、抱きしめ機という、血の通わない機械にしめつけられた時に実現されるということです。そしてグランディンさんも、この時の感情は本来、他者、特に愛情が深いはずの相手との間で感ずるはずのものであることを、理屈のうえでは承知しているわけです。抱きしめ機を作りあげることに執念を燃やしたのは、まさにそのためなのでした。

 グランディンさんは、相手が人間であれば、そうした感情を誰に対しても味わうことができないのかといえば、これまで述べてきたように、決してそうではありません。義理のおばさんに抱かれた時には、恐怖心のほかに「安らぎと喜び」も実際に感じているからです。それに対して、その頃にもし母親に抱きしめられたとすると、どういうことになったのでしょうか。これについては、どこにも書かれていないようなので、推測する以外にありません。

 私の心理療法の経験からすると、おばさんを相手にした時のような素直な感情が味わえるどころか、幼少期や少女時代と同じく、嫌悪感や恐怖感などの否定的な感情が意識に昇ってくるだけなのではないかと思います。しかしながら、そうであるとしても、このような傾向も、自閉症やアスペルガー症候群に限らず、他の点で正常な人たちにもそれほど珍しくないものなのです。

 要するに、グランディンさんは、感情というものがわからないわけではなく、動物、特に家畜に対する愛着はきわめて強いのです。それに対して、人間の感情ということになると、一部の例外を除いて、自分の感情も含め、とたんにわからなくなってしまうということです。もし本当にそうであれば、それは、同種の個体との交流のほうが、異種の個体との交流よりも難しいことになるので、生物としては非常に奇妙な状態にあることになります。

 グランディンさんが共感しやすいのは、人間よりも機械との接触、相手が生物であれば人間よりも動物、同じ動物であっても、類人猿よりもそれ以外の哺乳類(家畜)、また人間であっても、子どもよりもおとな、肉親などの近い間柄よりも他人、同じ肉親でも近い間柄よりも遠い間柄という順番になっているようです。本来は、ほとんどがその逆のはずですから、これでは非常に不自然です。この状態は、ふつうの感情を否定した結果と考えたほうが筋が通るでしょう。グランディンさんの母親は、本人に宛てた手紙の中で、「小さかった頃、あなたは “よい” 気分のものをすべて拒否したことを、覚えているでしょう」と語りかけています(グランディン、1994年、161ページ)。このことも、母親の鋭い観察力のおかげで、幸福否定仮説の裏づけになりそうです。自閉症児の母親でもあるローナ・ウィングは、この種の問題に関連して、次のように述べています。

 〔自閉症の〕子どもたちも、自分たちの障害を理解し、その障害の壁を突破する方法を知っているおとなにたいしては反応を示すものです。このことから考えて、この子どもたちは非常に未熟なかたちでしか表せないとしても、正常な感情のすべてを備えていると考えられるのです。(ウィング、1975年、35ページ。強調=引用者)

 この推測が当たっているとすれば、自閉症やアスペルガー症候群と診断される人たちは、いわゆるふつうの人と比べて根本的に異質なわけではないという可能性が高くなりそうです。人間とは「別の種」でもなければ、「転送装置で地上に下ろされた」(サックス、2001年、374ページ)ような、世間一般の人間とは異質の存在でもなく、ふつうの人と断絶した状態にあるわけではないということです。自閉症スペクトラムという連続体を考えるのであれば、その先は、いわゆるふつうの人にまでつながっていることになるでしょう。その推定が正しければ、方法によっては心理的な治療が可能ということになりそうです[註8]。

 これまで見てきたように、自閉症スペクトラム障害を人間としての成長や成熟の極度の否定の結果と考えると、それなりに筋が通ることが明らかになったように思います。そこで、この推定がどの程度まで当たっていそうかを、さらにいくつかの有名な事例を通じて調べてみることにします。

事例 2.ドナ・ウィリアムズ

ドナ・ウィリアムズの位置づけ

 ドナ・ウィリアムズさん(1962年ー)の最初の著書 Nobody, Nowhere(邦訳、『自閉症だったわたしへ』〔1993年、新潮社刊〕)は、邦訳書とは逆に、グランディンさんの著書 Emergence: Labeled Autistic(『我、自閉症に生まれて』)に6年ほど遅れて出版されています。この著書を一読して感じるのは、ドナさんが自閉症という診断を下されたことに対する疑問です。対人関係にかなりの障害があるとしても、従来的な意味での自閉症の印象が非常に希薄なのです。重症であるのはまちがいないのでしょうが、中核にある疾患としては、高機能自閉症やアスペルガー症候群というよりは、むしろ不全型の多重人格性障害やヒステリーやADHDのほうが近いのではないかという印象すら受けたほどです。

 ドナ・ウィリアムズさん(以下、ドナさん)のいわゆる自己洞察については、短い文章ではとても検討しきれないほど重要な側面が多いので、本稿では必要最小限の記述にとどめ、時間の余裕ができたら、その段階であらためてとりあげたいと思います。

 専門家はドナさんを自閉症スペクトラムの枠内に入ると考えています。たとえば、この著書に「序章」を寄稿した、ドナさんをみたことのある児童心理学者は、会う前には自閉症という診断を疑っていたとのことですが、ドナさんと実際に対面したところ、「紛れもなく、自閉症であった。しかもきわめて幼い頃からそうであったと、判明した」と書いていますし、前回に登場した児童精神科医、石坂好樹先生も、ドナさんの驚くべき証言を読むと自閉症という診断には疑念を抱いてしまうが、「この自伝を読む限り、彼女の諸行動は自閉症の診断基準に合致している」(石坂、2014年、215ページ)と述べています。

 精神科や心療内科では、診断の際に参照できる客観的指標が存在しないため、行動や発言を含めた症状から判断を下さなければなりません。DSMに記載される疾患名やそれぞれの診断基準が、改版されるたびに大幅に変わるのもそのためです。真の原因が突き止められない限り、そのような対応しかできないということでしょう。いずれにせよ、ドナさんが自閉症連続体の枠内に収まると考えてよいのであれば、自閉症という疾患には、その中核症状の原因は不明にしても、心理的要因が、つまり幸福否定に基づく心の動きが大きく関係していることを、かなりの確度で明言できると思います。

 グランディンさんは、自分を、他者の眼で眺めたような形で描写している、いわば生硬な部分が多いように感じられるのに対して、ドナさんは、自分の中にある視点から自らを描写しているように見えます。間に介在するものがなく、要するに直接的で率直な記述をしているということです。感情も豊かで、それもそのままの形で素直に表現されています。これは、高機能自閉症であれアスペルガー症候群であれ、自閉症スペクトラムと診断される人には難しいことのように思えます。逆に言えば、もしドナさんが自閉症連続体の枠内に収まるのであれば、石坂先生が是認している(石坂、2014年、215、222ページ)ように、これまでの自閉症理論や理解がまちがっているのであって、それを根本的に見直す必要があることになるはずです。

 従来の基準で言えば、どのような自閉症であっても、ドナさんのように、実際にたくさんの友人を作ったり、幼稚なものであるにしても、少女時代に繰り返し家出をして、実際にしばらく自宅外で生活したりすることなどは考えられないでしょう。ドナさんの家出は、自活や独立を目指したものであって、自閉症児が時おり起こす、自宅からの衝動的な飛び出しとは根本的に違うのです。

 長じては、永続的に実家から離れて、幼児的対応と挫折の連続であったとしても、経済的に自立すべく次々と職に就いたり、中退していた高校に復学した後に自力で大学に入学し、そこを卒業したり、その時々の恋人と何度か同居したりして、対人的、社会的にもかなり成長していることを示しています。最終的には結婚も2回しています。グランディンさんとはいかに違っていることか。結婚については言うまでもなく、恋人を作ることすら、さすがのグランディンさんにもついにできなかったのです。

 ではドナさんは、サックス先生やグランディンさんの目にはどのように映っているのでしょうか。サックス先生は、ドナさんと電話で何度か話したことがあるそうですが、私が調べた範囲では、特に感想めいたことは書き残していないようです。しかし、グランディンさんは、さすがに違和感を覚えたためなのでしょうが、ドナさんの印象を、次のように明確に書き記しています。

 自閉症畑にいる多くの人たちは、ドナ・ウィリアムズの著書(1992年)〔『自閉症だったわたしへ』〕が、虐待的な家族や自らの路上生活を詩的で幻想的に記述していることについて、少々とまどっている。私が電話で話した時、ドナ・ウィリアムズは、感情豊かな完全にふつうに聞こえる話しかたをした。古典的なカナー型自閉症の平板で単調な話しかたではなかったのである。おそらく、ウィリアムズのような自閉症は、主として、比較的ふつうの心が、全面的に機能不全をきたした感覚器官に妨げられることによるものなのであろう。〔中略〕
 カナー型の古典的自閉症が示す奇異な社会的行動や硬直した思考様式は、おそらく思考や認知が真の異常をきたした結果なのであろうが、ドナ・ウィリアムズの抱えている問題は、感覚の処理過程に欠陥があって、注意が極度に変動することによるものなのかもしれない。私の仮説では、情動や思考は、自閉症スペクトラムのカナー/アスペルガー極から離れるに従って正常になってゆく。ドナ・ウィリアムズの著書の文体は、古典的なカナー型自閉症による、個々の事象にとらわれた硬直したものとは異なっている。(Grandin, 1995, pp. 150 & 152。強調=引用者)

 そして、グランディンさんは、ドナさんの自閉症を、古典的な自閉症を意味するカナー/アスペルガー極から、言葉をもたない低機能自閉症を意味する退行/てんかん極[註9]に至る連続体の中ほどに位置づけ、「ドナ・ウィリアムズは、カナー型の自閉症と、いわゆる低機能自閉症という両極の間隙を埋めてくれる重要な架け橋になるであろう」(ibid., p. 151)と結んでいるのです。

 ドナさんの場合、自閉症という診断は、グランディンさんと違って、子どもの時につけられたものではありません。『自閉症だったわたしへ』の原稿を書いていた 26 歳の時に、自分は精神分裂病なのではないかという疑念と不安にとらわれ、図書館で分裂病について調べている中で、自閉症という疾患に思い当たったことに端を発したものでした。このあたりは、病識を完全に欠く分裂病とは根本的に異なるところです。そして、当時、秘書として勤めていた病院の児童精神科医の診察室に押しかけたのです。

 事情を話して、その医師に原稿を読んでもらったところ、ドナさんは「自閉症の中でも抜きんでた存在」ということになり、自分のために書いた原稿が、その精神科医の推薦で出版されることになった、という経過なのです(ウィリアムズ、1993年、244-246ページ)。その後、ドナさんには、アスペルガー症候群や高機能自閉症という診断がつけられているそうです(ウィリアムズ、1996年、292ページ)。

 ドナさんは、少女時代に、長期にわたって児童精神科医の診察を受けていたのですが、その女性医師は、ドナさんを精神分裂病と見ていたそうです(ウィリアムズ、1993年、147ページ)。それは、この医師が自閉症という疾患を知らなかったためではなく、ドナさんは自閉症に見えなかったということなのではないでしょうか。また、自閉症の存在を知っていたとすれば、それよりも重症の疾患と見ていたのかもしれません。

ドナ・ウィリアムズの著書の真価はどこにあるか

 とはいえ、自閉症という診断が仮にまちがっているとしても、そのことは、『自閉症だったわたしへ』という自伝の価値を貶めるものではありません。それどころか、この著書には、驚嘆の念すら覚えるほどすぐれた点がいくつかあるのです。ひとつは、ここまでの “自己洞察” ができる精神障害者が存在するという事実です。それどころか、この著書は、精神障害者が書いた作品という狭い枠にとどまらず、これまでで最も鋭い自己洞察の書のひとつと言ってもよいとすら思います。私は文学作品を読んだことがあまりないのではっきりとは言えませんが、人間の心の動きの描写に卓越した作家であっても、これほどまでのことは簡単にできるものではないでしょう。これは、能力の問題ではありません。私の言う抵抗がかなり乗り越えられていないと、ここまでの心の動きは意識に昇ってこないものなのです。

 もうひとつは、実母からかなりひどい虐待を受け続けてきたにもかかわらず、自分の障害の原因をそこに求めていないことです。ドナさんが激烈な虐待を実母から受けてきたことは、この邦訳書の「訳者あとがき」に書かれている、おばさん(当時、同居していたらしい母親の姉妹)の証言(河野、2003年、286-287ページ)からも確かなようです。いわゆるトラウマという概念がもち出されていないことは、心因性疾患をもつ人たち一般とは一線を画するところでしょう。精神障害をもつ当事者は、ほぼ例外なく、自分の状態や疾患を環境的要因やそれに起因するトラウマのせいにするものだからです。ドナさんは、この問題について、次のように明言しています。

 わたしは自分がこのような人間になったのが、家庭環境のせいだとは思っていない。確かにうちは「正常」な家庭ではなかったが、それよりもむしろ原因は、自分の意識と無意識が常に揺れ動いているような状態だった点にあると思う。家庭環境に左右されたのは、わたしの行動の一部だけであって、わたしの行動そのものではないと思うのだ。そしてまた、家族から暴力を受けたために自分を閉ざすようになったわけでもない、と思うのだ。むしろわたしは、暴力に対して心を閉ざしていたといった方がいい。暴力もまた、「世の中」の数多くの要素のひとつだからである。(ウィリアムズ、1993年、102ページ)

 こうしたドナさんの姿勢は、実母から凄絶な虐待を受け続けてきたことで有名な、デイヴ・ペルザーさん(たとえば、ペルザー、2003年)を彷彿させます。ペルザーさんの場合は、母親の虐待のおかげで、人格的な成長を遂げたと言えるのに対して、ドナさんは、最初から自分の障害と暴力とを別個のものとしてとらえていたのです。そして、原因は自分の中にこそあることを明言しているわけです。

 ドナさんは、グランディンさんとは違って、母親に愛着をもつことはなかったそうです(ウィリアムズ、1993年、29ページ)。そして、母親の暴力そのものは「黙って受け容れていた」のです。このように暴力に対して奇妙に受け身的な態度をとることは、実際に幼児虐待を受けた人たちの多くに共通するものでしょう。それどころか、自分が母親から虐待を受けながら、その母親をかばう子どももいるほどです。それに対して、自分が愛情を受けることに対する抵抗は、精神疾患をもつ人たちばかりでなく、いわゆるふつうの人たちにも広く見られる特徴なのであって、被虐待者や自閉症患者に特有のものではありません。

 相手から受ける愛情については、ドナさんもその例外ではありませんでした。「やさしさや親切や愛情には、わたしは身がすくんだ。少なくともとても居心地の悪い気持になった」というのです(同書、58ページ)。この点は、グランディンさんとも共通していますが、ドナさんは、グランディンさんよりも人間の心の動きというものを、はるかに明確に把握しています。次の文章を見ると、そのことがはっきりするはずです。

〔生まれ育ったオーストラリアから英国への〕出発の日に、ティム〔別れた恋人〕はわたしのアパートにやって来た。二人分の朝食を持ち、傷ついたような表情を瞳の中に揺らめかせながら。彼の姿を目にしたとたん、わたしは自分が丸裸にされ、捕らえられてしまったような気持ちに陥った。ウィリー〔ドナさんが、幼時から対人的折衝のために作りあげていた別人格〕は、ティムを怒鳴りつけた。それでもティムは気にしなかった。彼にとって、二人が会うことは、それほどまでに大切なことだった。
 今わたしは、ティムの勇気を心からたたえたい。ウィリーが憎々しげなことばをぶつけても、彼は懸命に聞かないふりをしようとした。あんたなんかに会いたくない、帰ってよ、とウィリーは怒鳴った。しかしティムはわたしの手を取ると、わたしにやさしくキスをしたのだ。わたしは両手で乱暴に彼を押しのけた。親密さは痛みに感じられて、耐えることができなかった。ティムは立ち尽くしたまま、そうやってわたしが一人で自分と闘っているのを、見つめていた。(同書、214ページ)

 この時のふたりの心の動きの客観的描写は、第三者的な視点からのフィクション的描写を別にすると、自閉症をもつ人たちはもちろん、ふつうの人にも、当事者の立場に立った場合にはできることではありません。ほとんど不可能と言ってよいほどのものです。ドナさんが、自分に愛情を注いでくれる相手に対して素直になれず、ウィリーに姿を変えてティムを強く拒絶するという、まさに自分の中でひとり芝居を演じているのを、ティムは完全に見通していて、それにひるむことなく自分の素直な気持ちをドナさんに伝えている場面です。ドナさんは、それをすべて承知しているにもかかわらず、自分の体は、もう一方の自分の言うことを歯がゆいほど聞いてくれないのです。そしてドナさんは、自らのそうした心の動きを、もう一段上から客観的に観察しているわけです。

 加えて、このような描写からもわかるでしょうが、この著書は、読者の目線を完全に意識しながら書かれています。しかも、グランディンさんのように、心の中の “ライブラリー” を参照するという間接的な方法によってではなく、ふつうの人たちの思惑や世間の常識をきちんとわきまえたうえで書き進められているという印象を受けるのです。そうなると、今さら言うのもはばかられるほどですが、ドナさんは “心の理論” を、世間一般の人と比べても、はるかにきちんと備えていることになります。そのことは、文章全体の調子からもはっきりわかりますが、特に、次のような記述を見ると、さらに明確になるでしょう。これは、自分の素直な思いや願いを他者に伝える場合に起こる心の動きを、ドナさんが、実に的確な言葉を使って説明している部分です。

 人に向かって自分のことを話そうと思えば、反射的に、わたしの中にはまず恐怖がわき上がってくる。だからわたしは、そうやって質問に紛らせながらしか、自分のことを話すことができなかった。何気ない軽い調子のおしゃべりをしているのだと、自分に言い聞かせなければならなかった。つまり自分のことを話すには、わたしは自分自身の心さえ、だまさなければならなかったのである。〔中略〕
 人はよくわたしに、要点を言うようにと迫った。それが何かを否定すれば済むような時は、答えるのは簡単だった。また、わたしの欲求やわたし自身のアイデンティティーに関係がない事柄も、不自然なほどすらすらと口をついで出た。〔中略〕
 今でもわたしは、自分の感じたことについては、自分でそれを押し殺してしまうか、軽い調子のおしゃべりの中で表現することしかできない。人はそれを、寝言とか片言とか「うわごと」という。(同書、80-81ページ)

 ドナさんがここで言っていることも、特殊な人たちにしか当てはまらないことではありません。否定すればよいものや些末なことを人に伝えるのは簡単であるのに対して、自分の素直な主張や願望を相手に率直に伝えるのは、誰にとっても多かれ少なかれ難しいものなのです。特に、相手が自分にとって重要な存在である場合には、程度を別にすれば、ほとんどの人たちに当てはまります。その場合には、別の理由をつけることで自分の意識が説得できれば、ドナさんの言うように、同じ発言でも比較的容易にできるようになるわけです。

 このように、素直な主張や願望を相手に率直に伝えるのは難しいものなので、聞こえないような声で、あるいは何げないおしゃべりとして、場合によってはふざけているような調子で話す人は、自閉症に限らずたくさんいます。しかしながら、「自分自身の心さえ、だまさなければならなかった」というふうに、それが自分の意識へ向けた説得工作であることを明確に自覚している人は、あまりいないでしょう。ふつうの人は、そうした行動をほぼ無自覚的に行なっている場合が多いのに対して、ドナさんは、なぜかそれをかなり明確に意識しながら行なってきたということのようです。両者の間に他に違いがあるとすれば、それが寝言や「うわごと」に聞こえるほど極端なものかどうかということくらいのものでしょう。

 ドナさんは、論理的なウィリーと社交的なキャロルという人格を、先の引用文に出てきたように、幼時から自分の心の中に作りあげ、それらの人格に外部との折衝に当たらせていました。母親に無視され拒絶されたおかげで生まれた自由がなかったとしたら、「わたしはウィリーという仮面の人物を通して自分の知能を向上させることも、キャロルという人物を通して人とのコミュニケーションの方法を身につけることも、できはしなかっただろう」(同書、260ページ)と、ドナさんは書いています。この点が、ドナさんが多重人格性障害に見える部分です。その人格で生活している時には、社会的にも比較的ふつうの対応ができるのだそうです。

 ドナさんは、先述の児童精神科医(メアリー)との面談の場面を、次のように回想しています。

 いろいろなできごとを思い出しながら話す時、わたしはよく自分を、「あなた」と言った。客観的に話していたわたしにとっては、「あなた」こそが、わたしと、わたし自身に対する関係を、論理的に表わしていたわけなのだ。人は、「世の中」との相互作用の中で、「わたし」としての自覚を深めてゆく。だがドナ自身は、その相互作用を知らなかった。「世の中」とかかわり合っていたのは、もっぱらキャロルやウィリーといった仮面の人物たちだったからだ。(同書、141ページ)

 〔メアリーは〕わたしの使う「あなた」が、そのできごとが起こった時のわたしの、醒めた態度と気持ちを表わしていることを見過ごしてしまった。おそらく彼女はこれを、わたしが自分を守ろうとして起こした、まだ日の浅い離人症と見て、克服させなければと思ったのだろう。そうして、十三年前にキャロルとウィリーを創り出して以来、わたしが人生すべてをそのように、まるで他人事のように、体験してきたということにも、そうすることによってのみ人とコミュニケーションする術を身につけたということにも、気がつきはしなかったのだろう。(同書、144ページ。強調=引用者)

 これでは、どちらが専門家なのかわからないほどです。それはともかく、自閉症児は自らを、なかなか一人称代名詞で呼ぼうとしないものですが、はたしてこの記述が、そうした傾向の説明になっているかどうかについては、これだけでは残念ながらわかりません。その問題は、また別の機会に検討することにしたいと思います。多重人格性障害の場合には、本来の自分が別の人格を知らないことがほとんどであるのに対して、ドナさんの場合はそうではありません。意図的に使っていることを完全に自覚しているのです。逆に言えば、多重人格性障害のからくり(笠原、1999年a、240ページ)を、ドナさんは最初から承知して利用していたと言えるかもしれません。

 自閉症を含む発達障害の専門家である杉山登志郎先生によれば、自閉症連続体の中で解離性障害を示す人は5,6パーセントほどいるそうです(「わが国の自閉症の現状」5ページ)。多重人格性障害の場合は、別人格を利用しているとしても、少なくとも主人格がそれを自覚しながら行なっているわけではありません。ドナさんの場合は、単なる多重人格のようなものではなく、その仕組みを完全に自覚しながら別人格を作りあげ、利用しているという点で、通常の解離性障害とは完全に一線を画しているのです。ドナさんは例外なのかもしれませんが、もしドナさんが自閉症連続体の中に収まるとすれば、以上の点から見て、自閉症は、他の心因性疾患とは別格とも言える位置づけになるように思います。

 では、このような特殊な自閉症の事例は他にないのかと言えば、どうやらそうでもなさそうなのです。国立特殊教育研究所(現、国立特別支援教育総合研究所)の教育心理学者、玉井収介先生(1923-1999年)が報告した、きわめて知的能力が高い男児の事例(玉井、1975年、1981年)がそれに当たるようなのです。

 この男児は、1歳7ヵ月の時に妹が生まれたため、母親の実家に預けられました。両親は、3ヵ月後にその子を自宅に連れ戻した後、初めて異変に気づいたそうです。両親を忘れてしまったかのようなふるまいをするようになったためでした。折れ線型とか後退型と言われる事例です。この場合、祖父母宅で既に発病していたと考えるのが一般的でしょうが、自宅に戻された直後に発病した可能性も考えられないわけではありません。そうであれば、まさに幸福否定によるものの可能性が高くなるでしょう。

 この子は、文字を覚えるのは早く、2歳になったばかりの頃に、アルファベット、ひらがな、カタカナ、数字、いくつかの英単語を次々に覚えたそうです。その反面、よその子どもが遊びに来ると逃げ出し、いじめられても抵抗せず泣きもしないという対人的特徴がありました。また、ひとり遊びを好み、人にはわからない言葉で両親に話しかけたりしたそうです。自閉症に目立つ症状のひとつでもある、融通が利かないという側面もありました。

 幼稚園入園とともに、玉井先生の勤務先の研究所にプレイセラピーのため通うようになりました。通所を開始してから1年半ほどすると、他者との関係ができ始めたのですが、人間関係のもちかたや深まりかた、広がりかたは非常にぎこちなかったそうです。その頃に、この子は “オチャッパ” という別人格を作りあげたのです。そして、「やりたい自分とそれを規制する自分とを分離」して、一方の自分をオチャッパと呼び、ひとりで自分自身とやりとりするようになりました。オチャッパという別人格を作ったのは、したいことと、してはいけないこととの関係を知っていて、その対立を解決し、自分を成長させるための手段として利用するためだったのかもしれません。以下に引用するのは、この仮説の裏づけになりそうな出来事です。

 〔この子は〕ある時、雑巾で机をふきながら、それを頭の上に振り上げてパッと叩きつけたところ、勢いあまって彼の手が机にぶつかってしまった。すると彼は「ごめんね(普通の声)」「悪いことはするな!(太い声)」と言ったのである。自分で自分を叱っているように思える。〔中略〕このように彼とオチャッパとは、互いに対立しけんせいし合う関係にある。しかし、それらが全く分裂して別々に外の人に接しているのではない。対立しけんせいし合〔う〕というという形において、彼がひとりの人間として、適応行動がとれるように彼の中でバランスをとる働きをしている。したがって、それは彼の不安を静める働きをすることもあるし、ある時は、母親やセラピストから言われたことを「オチャッパ」に投影して、「オチャッパ」が彼に言い聞かせる形をとって納得することもある。(玉井、遠藤、5ページ。強調=引用者)

 自分ではしたくないが、しなければならないことを親に言われたとすると、オチャッパの言葉で自分に言い聞かせるのだそうです(玉井、1981年、3ページ)。自分が社会的に成長するためには、自分の幼い意識を説得していく必要があるわけですが、この事例では、そうした明確な目的をもって、別人格を作りあげ、それを利用しているということなのかもしれません。もしそうだとすれば、ドナさんの場合とは、別人格の利用のしかたが、ある意味で逆になっているようです。いずれにせよ、別人格を対外的な適応のために作りあげたという点では共通しているのでしょう。

 もうひとつは、愛知教育大学障害児治療教育センターの教育心理学者、神野(じんの)秀雄先生(現、愛知淑徳大学)が報告している事例(当時、7歳の男児)です。それは、本名の「モトユキ」を「モトガキ」と変形し、母親から注意されたり叱られたりした場面で、自分は「モトガキ」だと繰り返し主張した事例です(神野、1984年)。叱られているのは、「モトガキ」であって本来の自分ではないと自分自身に言い聞かせていたということなのでしょうか。そうだとすれば、「ガキ」は、聞きわけがない子どもという意味でのガキなのかもしれません。

 ちなみに、この事例では、「母さん好き」と言うべきところを、わざと「母さんヌキ」と言ったり、「だめ」、「やめなさい」と注意されると、わざわざ「ダンメ」、「アメナサイ」とそれぞれ言い換えたり、「自分」と言うべきところを「イブン」と言ったりしたそうです(同書、262、264ページ)。これらは、ふつうの人の “照れ隠し” やそれに基づく “ちゃかし” のようにも見えます。もしそうであれば、自閉症とふつうの人の間の距離が一挙に縮まりそうです。ドナさんのように、それについてはっきりした説明をしてくれれば、その意味が明瞭になるわけですが、ここには、容易には乗り越えられない壁があるのかもしれません。

 これは、後ほど検討することなのですが、この脈絡で簡単にふれておくと、果たして、完全に成熟したと言える人間は存在するものなのかという根本的な疑問が、ここで浮かび上がります。都立小児総合医療センターの児童精神科医、市川宏伸先生は、ある講演の中で、「まったく発達障害的要素を持たない人はいるのか」という疑問を実際に呈しています(市川、2012年、424ページ)。修行を通じて人格の向上を目指すことにあこがれる人たちが多いことからしても、実際に修行に邁進してさえ、その人が理想とするところまでは到達しえないことからしても、この疑問は妥当なものと言えるでしょう。真の修行者であれば、麻原彰晃さんのように、“最終解脱者” などと自称することはありえないからです。

 このように、少なくとも現在の人間は全員が、多かれ少なかれ発達障害の状態にあると考えれば、自閉症といわゆるふつうの人とは、完全に連続体になっていることがさらにはっきりします。ただし、この場合に念頭に置いておかなければならないのは、キリストが言ったように、「後の者が先になり、先の者が後になる」(「マタイによる福音書」第 20 章 16 節)のかもしれないということです。一見すると、発達障害をもっている人たちのほうが遅れているように感じられるわけですが、サヴァン症候群の半数が自閉症であることを考えると、そのように簡単に片づけるのは難しいことがわかるでしょう。次に紹介する東田直樹さんが明言しているように、音声言語を含めた表面的な行動は、人間の本質を測る手がかりとして、あまりあてにならないかもしれないのです。

 また、ドナさんのように例外的な人は、人間の心の動きを、ふつうの人よりもはるかに明確に把握しているという事実からすると、このような障害は、むしろ、人間の存在について何か重要なことを意識で気づいたか、気づきかけた結果として起こるのではないか、というはなはだ常軌を逸した心因論的仮説が生まれます。その場合、強力な抵抗の結果として、自分の人生を人ごとのように見る形になりやすいのかもしれません。

 これが、あまりに常識をはずれた考えであるのはまちがいありませんが、完全に成熟した人間をおぼろげながらでも思い描けるのはなぜか、また、その段階に到達したいと希求する人が少なからず存在するのはなぜなのかという問題を考えると、あながち的が外れているとは言えないかもしれません。

事例 3.東田直樹

東田さんの位置づけ

 ここまでは、テンプル・グランディンさんとドナ・ウィリアムズさんという、ふたりの自閉症スペクトラム障害をもつ著名人をとりあげたわけですが、次は、わが国のやはり有名な事例をとりあげることにします。ただし、本節では、これまでとは別の角度から自閉症という疾患を眺め、自閉症の人々が内包する人格特性や能力の位置づけをより明確にしておきたいと思います。

 本節でとりあげるのは、先日放映されたNHKの特集番組「自閉症の君が教えてくれたこと」(2016年12月11日放映)でも紹介された東田(ひがしだ)直樹さんです。東田さんは、1992年に千葉県に生まれた、現在 24 歳の自閉症患者です。13 歳の時に書いた『自閉症のぼくが跳びはねる理由』(2007年、エスコアール出版部刊)は、アイルランドに住む世界的ベストセラー作家の手で英語訳され、大手出版社から The Reason I Jump というタイトルで出版されました。それが引き金となって、この著書は、現在、30 か国語以上に翻訳され、テンプル・グランディンさんやドナ・ウィリアムズさんの著書と並んで、世界的なベストセラーになっているそうです。東田さんは、この著書以外にも、絵本や小説を含め、数多くの著書を世に出しています。

 グランディンさんやドナさんの伝記とこの著書を比較すると、さまざまな違いが目につきます。最も大きいのは、前者のようないわば成功物語ではなく、世間一般の人たちが自閉症について疑問に感ずることを、一問一答形式で簡潔に答えるという形になっていることです。それにより、自閉症をもつ人と一般の人との間の通訳のような役割を果たしているわけです。そのため、特に言葉のない自閉症の子どもをもつ家族からすれば、自分たちの子どもが何を考えているのかが推測できるようになっているのです。たとえば、自閉症に特徴的な、質問された言葉をそのままオウム返しにする理由について、東田さんは、次のように解説しています。

 僕らは質問を繰り返すことによって、相手の言っていることを場面として思い起こそうとするのです。言われたことは意味としては理解しているのですが、場面としては頭に浮かばないと答えられません。
 その作業はとても大変で、まず、今まで自分が経験したことのある全ての事柄から、最も似ている場面を探してみます。それが合っていると判断すると、次に、その時自分はどういうことを言ったか思い出そうとします。思い出してもその場面に成功体験があればいいのですが、無ければつらい気持ちを思い出して話せなくなります。どうしても話そうとすると変な声が出てしまい、それで自分で恥ずかしかったり、嫌だったりして、ますます話せなくなるのです。
 いつも慣れている会話なら、割とスムーズに言葉のやり取りができます。
 でも、パターンとして覚えているだけなので、自分の気持ちを話すこととは違います。気持ちと正反対のことを、パターンに当てはめて言ってしまうこともあるのです。
 会話はすごく大変です。
 気持ちを分かってもらうために、僕は、知らない外国語をつかって会話しなくてはいけないような毎日なのです。(東田、2007年、18-9ページ。強調=引用者)

 後ほどあらためてとりあげることにしますが、カナー型の重度とされる自閉症である東田さんの場合にも、ふつうの感情があることがはっきりとわかります。また、この発言は、「ライブラリー」を参照するというグランディンさんの説明と基本的には共通しているようです。東田さんの場合、このように他の自閉症の人たちと共通している特性があるのは確かですが、必ずしもそのようなものばかりではありません。たとえば、体にふれられることに対する恐怖症です。東田さんは、特にいやではないというのです。

 僕はいやではありませんが、自閉症の人の中には、抱きしめられたり触られたりするのがとても嫌な人がいます。
 理由はよく分かりませんが、たぶんいい気持ちがしないからでしょう。〔中略〕
 体に触られるということは、自分でもコントロールできない体を他の人が扱うという、自分が自分で無くなる恐怖があります。そして、自分の心を見透かされてしまうかも知れないという不安があるのです。〔中略〕
 だから、僕たちは自分の周りにバリケードをはって、人を寄せ付けないのです。(同書、44-45ページ)

 これは、東田さんが感じたり推測したりしていることを率直に述べたものでしょう。意識の上にある思いや考えを伝えているだけなので、体にふれられるのをいやがる人の心情がわかっているわけではなさそうです。「いい気持ちがしない」という常識的な推測はできても、その理由は、東田さんにもわからないということです。「いい気持ちがしない」理由を幸福否定の脈絡で考えれば、それが自分にとってうれしいため、その否定が働いたとする推測がやはり成立することになるでしょう。

 また、上の発言にもあるように、グランディンさんやドナさんと違って、東田さんは人と口頭で会話することができません。東田さんがこのふたりよりもはるかに重症であるカナー型に分類されるのは、まさにそのためです。会話ができない理由について、東田さんは次のように述べています。

 僕は、今でも、人と会話ができません。声を出して本を読んだり、歌ったりはできるのですが、人と話をしようとすると、言葉が消えてしまうのです。必死の思いで1〜2語は口に出せることもありますが、その言葉さえも、自分の思いとは逆の意味の場合も多いのです。〔中略〕
 僕は、会話はできませんが、幸いにも、はぐくみ塾の鈴木さんとお母さんとの訓練で、筆談というコミュニケーション方法を手に入れました。そして、今では、パソコンで原稿も書けるようになりました。(同書、2-3ページ)

 自閉症の人は、イントネーションがおかしかったり、言葉の使い方が普通の人と違っていたりすることがあります。
 普通の人は、話をしながら自分の言いたいことをまとめられますが、僕たちは本当に言いたい言葉と、話すために使える言葉とが同じでない場合もあります。そのために、話し言葉が不自然になるのだと僕は思います。〔中略〕
 みんなはすごいスピードで話します。頭で考えて、言葉が口から出るまでがほんの一瞬です。それが、ぼくたちにはとても不思議なのです。〔中略〕
 相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです。〔中略〕
 言おうとした言葉が消えてしまったら、もう思い出せません。相手が何を言ったのか、自分が何を話そうとしたのか、まるで分らなくなってしまうのです。その間にも、質問は次から次へと僕たちにあびせられます。〔中略〕
 僕たちは、まるで言葉の洪水に溺れるように、ただおろおろするばかりなのです。(同書、24、26-27ページ。強調=引用者)

 東田さんは、先の引用文で、「知らない外国語をつかって会話しなくてはいけないような毎日」と書いていました。東田さんが置かれている状態は、教科書で外国語を学んで、読み書きが多少できるようになった人が、その外国語を母語とする人と会話をしている場面を想像すると、比較的わかりやすいように思います。

 読んだり書いたりなら、ある程度はできる。ところが会話ということになると、まず聞きとりが難しい。単語が断片的にしか入ってこない。そのような緊迫状況の中で、その言葉の意味を考えているうちに、次から次へと別の言葉が入ってくる。そのような状況では、言おうとしていた言葉も消えてしまうでしょうし、ことばの洪水に溺れておろおろしてしまったとしても、何のふしぎもないでしょう。

 これが単なる比喩でなく、何らかの共通点のある現象だとすれば、自閉症の言葉を考える時、なぜその先に進みにくいのかという、従来なかった視点が生まれるはずです。その場合、「僕たちは本当に言いたい言葉と、話すために使える言葉とが同じでない場合もあ」るという証言が、大きな意味をもってくるかもしれません。現に、音声言語もあり、読み書きもできる自閉症の患者が、援助を受けてパソコンのキーボードから文字をつづり出したところ、それまで話したり書いたりしてきたことでは、実際には自分の気持ちが表現できていなかったと語った事例もあるのです(柴田、2012年a、80-81ページ)。

 次は、先ほども少しふれた、自閉症の人たちには感情があるのかという、昔からの問題です。グランディンさんやドナさんの場合には、豊かな感情が見え隠れしていることがわかりましたが、東田さんのような重度の自閉症の場合はどうなのかを、別の証言をもとにあらためて検証してみましょう。

 ずっと困っているのは、みんなが笑っている時に僕が笑えないことです。
 楽しいと思えることやおかしいことが、みんなとは違うのだと思うのです。そのうえ、辛いことや苦しいことばかりの毎日ではどうしようもありません。
 とてもびっくりしたり、緊張したり、恥ずかしかったりした時も、僕たちは固まるだけで感情を表に出すことができません。
 人の批判をしたり、人をばかにしたり、人をだましたりすることでは、僕たちは笑えないのです。
 僕たちは、美しい物を見たり、楽しかったことを思い出したりした時、心からの笑顔が出ます。
 でもそれは、みんなの見ていない時です。
 夜、布団の中で笑いだしたり、誰もいない部屋の中で笑い転げたり、僕たちの表情は、周りを気にせず何も考えなくていい時に、自然と出てくるものなのです。(同書、42-43ページ。強調=引用者)

 東田さんにも、グランディンさんやドナさんと同じく、豊かな感情があるということです。ただし、感情が出る対象や場面は、世間一般の人たちとはかなり違っているようです。この証言で重要なのは、いわゆる陽性感情は、人の見ていないところで表出しやすいのに対して、意識の上にのぼった陰性感情は、どこにいる時であれ表出しにくいということでしょうか。ただし、パニックを起こした場合は、その激情を、幼児的な行動を通じてそのまま表出させるのです。

 僕は、何か失敗すると頭の中が真っ暗になります。
 泣いてわめいて大騒ぎ、何も考えられなくなってしまうのです。それがどんなほんのささいな失敗でも、僕には天地がひっくり返るほどの重大な出来事なのです。
 例えば、コップに水を注ぐ時に、少しでも水がこぼれることさえ、僕は我慢ができません。
 人から見れば、なぜそんなにも悲しいのか理解できないと思います。自分でも、たいした失敗ではないことが分かっています。しかし、感情を抑えることが難しいのです。
 失敗すると、まず津波のように、僕の頭の中で失敗した事実が押し寄せて来ます。〔中略〕
 とにかく早くこの状態から逃げ出さなければ、僕は溺れ死んでしまうからです。逃げだすために、いろんな手段を取ります。泣いてわめくだけではなく、物を投げたり人をたたいたり……(同書、54-55ページ。強調=引用者)

 これは、自閉症児によく見られるパニックの状況を、当事者が内側から詳しく説明している部分です。このような場合には、感情の表出を抑えることができないのだそうです。この説明が正しいかどうかはともかくとしても。この一連の経過を外側から見ると、儀式的行動や同一性の保持、完全癖、強迫的傾向、パニック発作などに見えるのでしょう。東田さんの説明が正しいとすると、そのような時には、どうしてそこまで強い感情が出るのでしょうか。いずれにせよ、現象としては、ADHDとされる子どもたちに時おり見られるものと同じだと思います。これを幸福否定の脈絡で考えると、融通のきかない頑なな状態のままでいたい、ということになるでしょう。ここで、このようなパニックの原因は、融通をきかせたり妥協したりがまんしたりという、成長の指標となる対応を避けようとすることにあるのではないか、という仮説が生まれます。

 ここで思い出すのは、私の心理療法を受けていた、分裂病の 20 代のある女性の事例です。両親につれられてスキーに行き、昼にレストランで食事していた時のことです。食事が終わっても、話し好きの父親は、たまたま隣になったスキー客と延々と話し続けていたのだそうです。母親がそのことでうんざりしていた時、この女性が突然に大声を出して興奮し始めたのです。まわりの人たちの視線は、いっせいにこの女性に注がれました。この時は、再発には至りませんでしたが、異常な興奮だったのはまちがいありません。問題は、その原因です。

 この事件後に行なわれた心理療法のセッションで、この時の原因を反応を使って絞り込んだ結果、自分が本当は、そのような状況でもふつうの対応がとれるようになったという、自分が進歩したことによるうれしさの否定が、この時の興奮の原因であることがわかりました[註10]。そのままがまんするか、父親に催促するかすれば、社会人としての適切な対応ということになるわけですが、そのように社会的に成熟した態度がとれるようになってきたことが自分の意識にわかってしまうのを嫌って、がまんできなかったかのように興奮し始めた、換言すれば幼児的な対応をしたということです。先の仮説が正しければ、このふたつの事例は、自らの成長の否定という点で共通していることになるでしょう。

 次は、ふつうの人とも共通する、懲りない・困らないという行動特性についての、東田さんなりの説明です。してはいけないことを頭ではわかっているにもかかわらず、行動を止めることができないという周知の現象です。少々長い引用ですが、重要なので丹念に読んでください。

 してはいけないということは理解できても、なぜか繰り返してしまうのです。〔中略〕
 やってはいけないという理性よりも、その場面を再現したい気持ちの方が大きくなって、つい同じことをやってしまうのです。
 すると、頭の中が一瞬、まるで感電したみたいにびりっとします。その感覚はとても気持ちのいいもので、他では同じような快感は得られません。〔中略〕
 けれども、悪いことをしてはいけないのです。これを理性として、どうなおしてゆくかが大きな問題です。
 僕も何とかなおそうとしていますが、そのためのエネルギーはかなりのものです。我慢することは、苦しくて苦しくて大変です。その時に必要なのが、周りにいる人の忍耐強い指導と愛情でしょう。

 僕たちだって好きでやっているわけではないのですが、やらないといてもたってもいられないのです。
 自分がこだわっていることをやると、少しだけ落ち着きます。こだわりをみんなに注意されたり、やめさせられたりするたび、僕はとても情けなくなります。こだわりなんてやりたくないのに、やってしまう自分がいやなのです。
 もし、人に迷惑をかけるこだわりをやっているのなら、何とかしてすぐにやめさせて下さい。人に迷惑をかけて一番悩んでいるのは、自閉症の本人自身なのですから。
 たとえその時、やっている本人が笑っていたり、ふざけていたりしていても、心の中では傷ついているのです。自分の体でありながら、こだわりをやめることができない僕たちにはどうしようもありません。〔中略〕
 そのこだわりが永遠に続くことはありません。あんなにやめられなかったのにどうしてと思うほど、ある日突然しなくなります。きっかけは脳が終了のサインを出すからだと思います。〔中略〕
 サインが出れば僕はもう、昨日見た夢を全て忘れてしまった人のように、こだわりから解放されるのです。(同書、126-129ページ。強調=引用者)

 まるで、アルコールや薬物の依存者が、断酒や離脱に失敗した時の言い訳でもしているような感じです。先の男児の場合には、別人格を作りあげて、その人格が自分の意識に言い聞かせるという妙策を編み出していたわけですが、東田さんは、やはり重症であるためか、そのような方法は使っていないようです。

 ここでのポイントは、してはいけないと理屈ではわかっているし、好きでしているわけではないにもかかわらず、快感があるためつい続けてしまうが、その誘惑に負けないようにするのは、「苦しくて苦しくて大変」だという説明と、ある時にそれを突然にしなくなることがあるが、それは「脳が終了のサインを出す」ためだという説明のふたつでしょう。幸福否定の脈絡で考えれば、前者は、自分の成長を素直に認めるのを嫌って自分で作りあげた快感や苦痛であり、脳の終了のサインとは、その抵抗を自力で乗り越えた時点を指している可能性が高そうです。後者についていえば、そこまでの努力は、ふつうの人にとっても並たいていのことではありません。

 この推測が当たっているかどうかをはっきりさせるには、たとえば、「してはいけないとわかっているのにやめられないのは、自分の成長を認めるのを嫌っているためだ」と、「そうした行動をしなくなるのは、脳のサインによるものではなく、自分が抵抗を乗り超えた結果だ」という感情の演技をしてもらい、それによって反応(眠気、あくび、身体的変化)が出るかどうかを確認すればよいでしょう。

 いずれにしても、東田さんがこの著書で示している “洞察” は、13 歳の少年にとってはもちろんのこと、ふつうの成人であっても難しいかもしれないほどのものです。東田さんが、特に重度の自閉症について、このようにかなりのことを教えてくれているのは事実でしょう。また、東田さんの本は、グランディンさんやドナさんの本と違って、一問一答形式でわかりやすいこともあって、自閉症の子どもをもつ家族には非常に参考になるはずです。それに対して、グランディンさんやドナさんの本は、当事者や家族には距離がありすぎるため、あまり参考にはならないでしょう。これらは、むしろ専門家にとってこそ意味が大きいように思います。

『自閉症の僕が跳びはねる理由』(The Reason I Jump)への批判について

 ところが、この著書は、わずか 13 歳の、しかも重度の自閉症の少年が書いたにしては、かなり高度なものであることから、これは、前出の支援伝達(Facilitated Communication = FC)と呼ばれる技法を通じて、家族などの介助者が(多くは無意識的に)手を加えた結果なのではないかという疑念を抱く専門家がいるのです。つまり、それによってつづり出された内容は、東田さん自身によるものではなく、介助者のものなのではないかということです。それは、東田さんが、高機能自閉症やアスペルガー症候群ではなく、重度の自閉症とされているためなのでしょう。それに対して、サヴァンの場合には、重度のカナー型であってもその能力に疑義が唱えられることはまずありません。それは、本人が自ら行なっているのを否定しようがないことに加えて、おそらく高度の思考をしていると考えずにすませることができるためなのでしょう。

 支援伝達(FC)とは、コミュニケーションに障害をもつ人たちのために経験的に開発、利用されてきた技法です(その歴史的経緯やそれにまつわる論争については、神野、1996年;中村、2013年、第2部参照)。具体的には、障害をもつ人たちの手を支え、文字盤の文字を指させたり、キーボードを押させたりすることによって、通常のコミュニケーションが困難な人たちと意志伝達をするための方法なのですが、アメリカ児童青年学会(1993年)、アメリカ知的・発達障害学協会(1994年)やアメリカ小児医学会(1998年)などの主流派からは、信頼性や妥当性を欠いているとして、注意を促されているそうです。

 しかしながら、その結論は、主として、盲検法や二重盲検法を使った管理条件下で、当の障害者が知っているはずのことを介助者が知らない場合には、それがつづり出されることはなく、場合によっては介助者による誤答がつづり出されたという実験の結果から導かれたもののようです。

 この場合の問題は、障害者自身がその介助を、自分の中でどう位置づけているかという点にあります。幸福否定という脈絡からすると、障害者は、自分が独力でつづり出したことを意識の上で認めるのを嫌うため、介助者がちょっと手をふれている状態でなら自分の考えをつづり出したとしても、独力でつづり出していることが自分自身に明らかになってしまう状況では、何もしなくなるか、それが否定されやすい方向へともっていってしまう可能性が高いことが予測されます。とはいえ、一般には、この可能性が考慮されることは、絶対にと言ってよいほどありません。

 加えて、FCの妥当性を裏づける証拠は、「専門誌に掲載された記述的な報告や、一般のメディアや障害者向けのメディアによる報道」によるものがあるとしても、それはわずかでしかないとして無視されているのです(Jacobson, Mulick & Schwartz, 1995)。しかしながら、それがいかに少数であったとしても、無視してよいわけはないはずです。

 この結論は、たとえばある障害者が、幼時に親から虐待を受けたとFCを通じて訴えたとした場合、その発言が障害者自身によるものであることが、他の点から確認できなかったため、その証言は信頼性に乏しいという裁判所的な判断(Anonymous, 1992)であれば、特に問題はないのでしょう(起こるとすれば、その判断に関する争いだけです)。この判断は、特定の事例について下されている以上のものではないことに加えて、積極的な証拠として採用するのが難しいと言っているだけだからです。

 ところが、それによって、FCという技法を通じて得られたとされる障害者全員の発言は、すべて介助者によるものだという主張にまで(知らず知らずのうちに)拡張されてしまうと、論理的な飛躍が行なわれたことになり、それとは意味が完全に違ってきます[註11]。しかも、それを専門家が行なったとなると、大きな問題に発展してしまいます。専門家であれば、事実を公平かつ徹底的に追究しなければならない立場に置かれているはずだからです。しかも、この場合、自閉症とは何かという大問題が関係してくるので、ことはきわめて重大なのです。

 コネチカット大学の児童心理学者、デボラ・ファイン先生は、国立精神・神経医療研究センターの児童精神科医、神尾陽子先生とともに、東田さんのこの著書(『自閉症のぼくが跳びはねる理由』)(の英語版)の批評を書いているのですが、その中で、まさにこの疑念を表明しているのです。「この著者の言っていることは 13 歳の少年によるものとは思われないし、ましてや、それが言語技能の限られた自閉症の少年によるものとはとうてい思われない」(Fein & Kamio, 2014, p. 539)というわけです。ファイン先生たちの主張は、おおよそ次のようなものです。

 もし本人がこれらの内容を自力でつづり出したのであれば、自閉症をもつ人々やその家族には大きな励みになるし、慰めにもなるであろう。しかし、もし本人が独自に書いたものではなかったとすると、状況は根本から違ってくる(ibid., p. 539)。

 本人は、自分の手に母親の手を載せる方法から、ひじや肩や背中に当ててもらう方法を経て、最終的には独力でキーを打つようになるまでの経過を書いている。この本が書かれた頃には、母親は本人の隣に座るようになっている。そして、いつも母親が身体的に接触しているとまでは言えないにしても、ほとんどの時間で、背中や肩や脚に片手を当てているように見える。したがって、本人は、つづり出すべきものについて母親から物理的な手がかりを得ている可能性がある。さもなければ、母親から物理的刺激を受け続けることで、本人は、あらかじめ記憶しておいた文章をつづり出しているということなのかもしれない。(ibid., p. 540)

 もしこの著書が東田さんによって独力で書かれたものだとすれば、これまでの自閉症観が根底から覆りかねないほどのことが起こるでしょうから、科学者であれば、むしろ前向きの姿勢で検討しなければなりません。たとえば、國學院大學で障害児教育を専門にしている柴田保之先生は、そのような事例に遭遇した時、どうしても納得できなかったそうですが、「もしも、万が一本当だったとすれば、こんなにすばらしいことはない。このことは絶対に確かめなければならない」(中村、2013年、54ページ)として、自分の内なる抵抗を乗り越えて研究を進めたのです。そして、それが明らかになった時には、「自閉症と呼ばれる人たちの心を理解する通路が開けたことに大きな喜びを覚えた」(柴田、2012年a、71ページ)そうです。それに対して、この批評論文は、それとは逆の方向へ推測を重ねる形になってしまっているのです。そのため、論旨は、その根拠を探す方向へと進んでゆきます。

 2014年の講演会の席上で、本人は、質問に対して(声を出しながら文字をつづり出したが)、それは、一般的な回答をあらかじめ記憶しておいたように感じられるものであった。長さとは無関係に、どの句にしても同程度の時間がかかるよう思われたことに加えて、不規則な韻律をもっているため、本人の話はわかりにくかった(ibid., p. 540)。

 本書の翻訳者や母親の言葉には、自分たちや子どもたちを失望させてきた研究者や医師や当局に対する落胆や怒りが感じられる。多くの家族も、それと同じ思いを抱いている。このような本は、自閉症をそれほど重症な疾患ではなく、見かけよりも大きな可能性をもっており、こうした子どもたちには、それを表出する方法がないだけで、ふつうの、あるいは高尚ですらある思考や感情を内在させていることの証明になっているように見えるかもしれない。

 確かに本人は、キーボードとパソコンの画面を交互に見ながら、一部の文章は自力でつづり出している。しかしながら、本人がつづり出し、それから声を出して読み上げた文章が、あらかじめ記憶された文字列以上のものであることを示す根拠は、何ひとつ存在しない。(ibid., p. 541)

 ここで注意しなければならないのは、最初からFCによるものと決めつけているためか、事実上すべての主張が、印象や憶測に基づいているにすぎないことです。そこには、客観性というものがほとんどありません。ことの重大性を考えると、根拠があまりに薄弱なのです。その弱点を承知しているためなのでしょうが、ファイン先生たちは、この批評論文の最後に、決定的な裏づけを得るためとして、「きわめて簡単な」実験法を提案しています。それは、本人にだけ、筆記あるいは口頭による質問を行なって、指示した通りの方法でその質問に答えられるかどうかを見るというものです。東田さんが、もしファイン先生たちの推測に反して、この本を自分でつづり出していたとすれば、東田さんのみならず、自閉症の人たちの能力をずいぶん見くびった態度ということになります。

 厳密にいうと、この実験計画では、二重盲検法を使っているわけではないので、科学的には不十分です。直接に本人に質問する実験者の他に、研究者を別に設ける必要があるということです。しかし、真の問題はそれとは別のところにあります。これほどの重大事なのですから、人任せにしないで、その実験を自らの手で実施すべきだということです。超常現象研究の批判者についても同じことが言えるのですが、これでは、発表されたものの中からあら探しをすることによって全面的に否定し、旧来の学説を護持しようとしているだけであって、ここには発展性というものがほとんどありません。要するに、科学の精神に反した態度をとっているだけなのですが、当人にはその自覚が全くありません。これは、サックス先生の態度とは正反対のものです。

 また、仮にファイン先生たちがそうした実験を行ない、自らの主張が正しいことがいちおう確認されたとしても、それだけで決着がつくわけではありません。そのような疑念をもって乗り込んで行った場合には特にそうですが、本人が緊張のあまりに適切な回答ができない可能性が十分に考えられるからです。相手は、対人関係に極度の支障をきたしている重度の自閉症なのです。

 ついでながらふれておくと、ファイン先生たちがおそらく想定しているように、少なくとも重症の自閉症の場合のFCが、すべて介助者によるものであることを証明するためには、全例に当たったうえですべてを否定しなければなりません。しかし、それは事実上不可能なのです。逆に、FCが本人の能力を引き出す手段になっていることを証明する手続きは、それと比べるとはるかに簡単です。介助者によるものではないことを示す事例が、1例でも探し出せればよいからです。

 逆に、ファイン先生たちが提案した方法で、東田さんが自分で文章をつづり出していることがはっきりした場合には、潔く矛を収めなければならないことは、言うまでもありません。そして、東田さんという重度の自閉症患者の内的世界は、これまで考えられてきたのとは違って、きわめて豊かなものであることも、同時に認める必要があるわけです。先の提案には、当然のことながらそのことも含まれているはずです。

 そして、最終的に決着がついた時には、どちらの結論が出たとしても、それは喜ぶべきことなのです。科学者の本分は、定説や権威や研究者グループの維持にあるわけではなく、真理に向かうことにこそあるからです。そのような意味でも、この批評論文は、自閉症の本質を考えるうえで非常に重要な一石を投じたことになると思います。

科学の世界の政治的問題

 ファイン先生たちは、そのような主張や提案をした後、科学の世界から離れて、自閉症の家族の心情を推察する方向へと向かいます。この著書を自閉症の親が読んだ場合に起こる結末を推測し、それが、本書を親たちに推薦できない根拠として掲げているのです。臨床家でもあるのでしょうから、そういう心配をすること自体はふしぎではありませんが、ここで少々違和感が起こるのは確かです。ファイン先生たちの疑念の根拠は、次の3項目からなっています。この本は、

 いずれの項目についても、そこまではその通りでしょう。問題は、その後に親たちがどう変わるかです。最初の2項では、東田さんの著書の内容から、親たちが罪業感や期待を抱いてしまうことへの懸念が述べられています。ここでは、親たちは、いずれ現実を知って落胆するはずであることが想定されているようです。落胆するかどうかは、ファイン先生たちの憶測に基づくものでしかないはずですが、ここまで自信をもって書いているからには、それを裏づける何らかの根拠があるということなのでしょうか。また、親たちが、それまでの対応を反省して、自分の子どもに対して前向きに接するようになる可能性は最初から考えられていないようですが、その点についてはどうなのでしょうか。

 その検討に際して参考になるのが、読者の誰もが感想を書けるようになっている、内外のアマゾン書籍通販サイトです。そこで、この本の読者レビューを見てみると、特に自閉症スペクトラムの子どもをもつ親たちが、実際にこの本を読んで失望するようなことはなさそうなのです。たとえば、「字を教えていないのに、なんで字が書けるのかとか、疑問のほうが先にわ〔く〕」家族がいるのは確かです(中村、2013年、149ページ)が、もし本人しか知らないはずのことがつづり出されれば、疑念をもつ家族としても納得せざるをえないでしょう。

 この著書(日本語の原著)には、2017年2月27日現在で 196 のレビューがつけられていますが、5点満点のうち、5点が 155 件、4点が 30 件で、2点と1点がそれぞれ2件ずつでした。5点と4点という好意的評価を合計すると、全体の 94 パーセントにもなるのです(アメリカのアマゾン通販サイトでは、1668 件のうち、5点と4点の総計が 86 パーセント、2点と1点はあわせて7パーセントでした[註12])。

 また、1点の評価をつけたふたりのうちの一方は、東田さんは自閉症一般について書いているようだが、他の患者のことまでわかるはずはないし、こうあってほしいという願望を親が書き連ねているだけなのではないかという、ファイン先生たちと同趣旨の推測であり、もう一方は、重度の自閉症の母親のようですが、本当にこの本を本人が書いたのだとしたら、自閉症でも知的障害者でもないのではないかと、診断そのものを疑っています。ところが最後に、「自閉症のことを全く知らない人には、参考になるかもしれません」とつけ加えているのです。書かれた内容を、すべて否定しているわけではないということでしょう。2点評価のふたりは、いずれも、自閉症は多様なので、この本に書かれている内容が、他の自閉症の患者に当てはまるとは限らないという、穏当な見解を述べています。

 逆に、高い評価をつけた人の中には、自閉症スペクトラムを含めた障害者の親が目立つようです。そのうち、3000人以上が参考になったとしているレビューは、自閉症ではなく、早期小児期に薬の副作用から重度の脳障害を起こした4歳の男児をもつ女性が書いたものです。その中には、次のような記述があります。

 あの番組〔2014年8月16日放送のNHK特別番組「自閉症の僕か飛び跳ねる理由」〕を見て、著書を拝読して以来、息子に対しての態度も変わりました。親である私が、息子に対して、1個人として接していなかったこと、腫れ物に触るような気持ちでいたこと、そんな自分を、とても恥ずかしく思いました。今後、喋る事の出来ない、自己表現の出来ない息子と歩む人生で、東田さんの本が大きな影響を与えてくれたことは、間違いありません。(「NHKの番組を見て」、ともとも、2014年9月16日)

 この方は、NHKの番組を見てからこの本を読んでいるので、東田さんの現実の状態と本の内容が、大きく隔たって見えるのを承知のうえで、この文章を書いているのです。

 また、自閉症の研究者の中にも、この著書を好意的に見ている人がいます。ノルウェーの心理学者、ロアルド・オーイエンさんは、自閉症の娘をもつ父親でもあるのですが、自分自身のためにも、何らかの情報が得られるのではないかと期待して、この本に目を通したのだそうです。そして、その期待は「興奮とともにかなえられた」のでした。オーイエンさんは、自閉症および発達障害の専門誌に掲載されたその書評(Oien, 2015)で、次のように述べています。

 著者が説明している多くのことは、私自身の娘や、私が毎日接している自閉症スペクトラム障害の子どもたちにもそのまま適用できるものであることがすぐにわかった。自閉症スペクトラムという診断を受けている子どもや青少年や成人は、コミュニケーションという点でも社会生活上の技能という点でも、見かけよりも大きな潜在能力をもっていることを、私は完全に得心できたのである。〔中略〕本書は全体として、自閉症障害をもつ子どもに関するかなりの情報を読者に提供してくれる。従来は、これほどまでのことは明らかになっていなかったのである。〔中略〕

 言葉のない自閉症の娘をもつ父親として、私は、この少年が自分の生活や、幸福にとって重要なものについて感じているのと同じように、娘の内的思考も複雑で描写的なものであったとしたら、大喜びしてしまうことであろう。ただ、研究者としては、本書に書かれている内容には懐疑的なところがある。一度に一文字というおぼつかない伝達が会話体の文章になるまでの間に、失われたりつけ加えられたりしたものがあるのではないか、という疑問が起こるからである。しかしながら、結局のところは、本書はよく書けており、感動的でもある。〔中略〕

 私にとって本書は、ASD(主として自閉症的障害)をもつ子どもたちが、異例の方法を通じて、認知的、伝達的能力を潜在的にもっているとする私の推測を裏づけてくれているという意味で、読了に値する本であった。(ibid.

 そして、本書を、特に自閉症の子どもをもつ親たちや自閉症スペクトラム障害をもつ子どもを扱う仕事に従事している専門家に推薦しているのです。それは、このたぐい稀なる少年が独特の行動をする裏には、自らの存在についてかなり複雑なことを考えているという事実があることを知ってほしいためなのだそうです。自閉症スペクトラム障害をもつ人々は多種多様なので、この本に書かれていることを一般化することはできないにしても、この本は、「13 歳の自閉症の少年の生活に関する感情の本であり、その診断名をもつ少年の経験とその少年が見たままの世界に関する洞察」だと認めているのです。

 また、後述するように、テンプル・グランディンさんもこの本の書評を書いていて、その中で、やはりFCの問題にふれ、「きわめて深い洞察に満ちたこの本」を一読した後、「ナオキという言葉をもたない 13 歳の自閉症の少年は、FCという、論争の的になっている方法を使っているわけではないことを確信した」と述べています。

 加えて、アメリカでFC論争を冷静に眺めてきた専門家であり、グランディンさんの最初の著書の邦訳者でもある、カニングハム・久子さんも、FCを通じて自力でコミュニケーション能力を獲得した、重度のカナー型自閉症の少女の、長期観察に基づく自験例を報告しています(カニングハム、1995年、34-35ページ;中村、2013年、203-204ページ)し、『自閉症児イアンの物語』(2001年、草思社刊)のイアン・ドラモンドさんや、『もう闇の中にはいたくない――自閉症と闘う少年の日記』(1999年、草思社刊)のビルガー・ゼリーンさんも、重度の自閉症であるにもかかわらず、やはりFCを通じてコミュニケーションができるようになっているのです。

 さらには、わが国の国立特殊教育総合研究所も、質的には同様の方法を使って、肯定的な立場からその研究を行なっています(落合、1993年参照)[註13]。ただし、FCとは無関係に開発された技法であるため、その方法には、STA(ソフト・タッチ・アシスタンス)という別の名称がつけられています(「重度・重複障害児の「書字・描画」能力を評価・促進する方法の開発に関する研究」に、その解説があります)。これらの点を勘案すると、ファイン先生たちの心配はどうやら杞憂に終わってしまいそうな気配です。

このような批判がもつ意味――両刃のやいば

 ファイン先生たちによる批判に戻ると、ファイン先生たちがおそらくいちばん言いたかったはずの次の文章が続いているのです。これこそがこの問題の核心です。

 最後に、もしこの著書が本当に本人が自力でつづり出したものだとすれば、40 年以上に及ぶ徹底的な研究によって浮かび上がった、自閉症に関するわれわれの考えかたのほとんどがまちがっていることになる。言うまでもないことであるが、中程度から重度の自閉症の言語や認知やコミュニケーションに関する、これまで積み上げられ、内的一貫性をもつ所見が、無意味なものになってしまうとすれば、その挑戦にはそれなりの根拠があることを多少なりとも確信したいものである。本人のように明らかに自閉症という障害をもつ少年が、洗練された散文を生み出すことができるとする主張は、尋常ならざるものである。したがって、カール・セイガンが言ったように、尋常ならざる主張には、尋常ならざる証拠が必要なのである(ibid., p. 541)。

 ここで興味深いのは、アメリカの著名な天文学者であったカール・セイガンが、超常現象研究を批判する際に使って有名になった「尋常ならざる主張には、尋常ならざる証拠が必要である」という “警句” を援用していることです。東田さんの著書が介助者によるものではないとすれば、それなりの証拠が必要だと言うのです。そうなのかもしれませんが、その基準をそのまま使えば、介助者によるものであることを証明するに当たっても、同様の証拠が必要ということになってしまいます。

 この種の嫌疑は、場合によってはアメリカでも裁判に発展するほどの大きな問題になっているようですし、わが国でも、「奇跡の詩人」として知られる日木流奈(るな)さんを紹介するNHKのテレビ番組が、その放映後に、国会でとりあげられるほどの問題にまで発展したそうです。この番組は、FCに対する批判がわが国で起こるきっかけになったようです。興味深いのは、それを、進歩的と見られる人たちが先導しているように見えることです。

 サックス先生は、グランディンさんの最初の著書(『我、自閉症に生まれて』)が、ジャーナリストの協力を得て書かれていることから、「予想外のすばらしさや質、統一性、深み、それに随所に見られる『正常な』感じは、ほんとうはそのジャーナリストのものではないかと考えた」そうです。ところが、その後、グランディンさんの論文や他の自伝的文章を読み、「その細かさ、一貫性、直接性」にふれた結果、自らの考えを変えたのでした(サックス、2001年、344ページ)。

 東田さんの公式ブログの自己紹介欄には、自分は「会話のできない重度の自閉症」だが、「パソコンおよび文字盤ポインティングにより、援助無しでのコミュニケーションが可能」と明記されていますし、テレビで、ディレクターの個人的質問に答えている場面でも同じように見えました。これを、もし介助者や誰かの考えに従って東田さんが文字盤の文字を指していたのだとすれば、賢馬ハンスの事例のように、家族や誰かがひそかに信号を送り、それを東田さんが一字一句まちがいなく受けとったうえで、文字盤やパソコンのキーボードを押した、という想定が必要です。それだけではありません。東田さんは、質問を聞いてから、その回答を文字で打ちながら、それに対応する音声を発していますから、きちんとした文章を構成するひとつひとつの発音と文字が完全に対応していることについても、同時に説明できなければならないのです。

 グランディンさんも、自分の体験と引き比べながら、この著書の書評(Grandin, 2014)を書いているわけですが、「〔やはり伝記を書いている別の自閉症のふたりとともに〕ナオキは、動きを制御するのが難しい体に、知的な心が閉じ込められた、一種の “閉じ込め” 症候群をもっている」と認めたうえで、次のように述べています。

 言葉がない、もしくは重大な感覚的問題を抱えている人々は、高機能自閉症やアスペルガー症候群をもつ、言葉が十分に使える人たちよりも、社会的、感情的には “ふつう” なのかもしれない。〔中略〕ナオキが記憶のデータベースを検索する方法と私の視覚的思考には、いくつかの類似点がある。〔中略〕両者の違いは、私の場合、その結びつけがかなり自由にできることである。
 ナオキが、自力でコミュニケーションのできる能力をもっていることを裏づける証拠が、もう少し本書に盛り込まれていたらよかったと思う。どのように教えられたのかについての説明も、まえがきかあとがきにあればよかったであろう。とはいえ、本書は、言葉をもたない自閉症の人々の自伝的記録が、さらに一冊加わったという点で重要である。言葉のない自閉症を相手に仕事をしている人たちには、ぜひ本書に目を通してほしいと思う。(Grandin, 2014)

 グランディンさんも、この本がFCを通じてつづり出されたと疑われることを懸念していますが、東田さんの能力そのものを疑っているわけではないことは、そのことを明言した文章を先に引用しておいたとおりです。ファイン先生たちのような専門家から疑義が発せられることが十分予測されたからこその懸念だったということなのでしょう。そして、グランディンさんは、自分の経験と照らし合わせて、東田さんの重症度とともに、その能力も適切に評価したのです。

 そうなると、言葉をもたない、重度とされるカナー型の自閉症の患者も、従来の定説と違って、実際には豊かな世界をもっており、それを他者に伝えることが完全にできることになります。東田さんは、グランディンさんやドナさんのような軽度の自閉症と重度の自閉症の間をつなぐ重要な架け橋としての役割を果たすことになるのでしょう。

 そればかりではありません。他の自閉症や重度の脳障害者の中には、言葉を直接に教わっていないにもかかわらず完全な言語能力をもっている人たちが、控えめに言っても少なからずいるという事実は、言語の習得に関する従来の定説に対する重大な挑戦にもなるはずなのです。

[註1]自閉症児研究会は、完成したばかりの小さな鉄筋2階建ての赤松記念館の2階で開かれていました。この建物は、今はとり壊されて存在しないようですが、戸山キャンパスの西端(おそらく現在の学生会館あたり)にありました。ここは、本連載の第1回に出てきた山下清さんを、戸川行男先生と共同で研究した、赤松保羅先生(1891-1980年)の寄付によって建設された建物なのでした。その建物の中で自閉症児研究会が開かれていたのも、何かの因縁なのでしょう。赤松先生は、今でも使われている内田クレペリン検査を考案した内田勇三郎先生の指導のもとに、1930年代前半に、早稲田大学文学部心理学教室の前身を(現在の戸山キャンパスにではなく、早稲田キャンパスに)創設した開祖であり、わが国に臨床心理学をもたらした戸川先生の恩師に当たります。
 興味深い符合は、もうひとつあります。赤松先生は、今から百年前の 1917年 12 月に、ニューヨーク州のコルゲート大学とコロンビア大学へ留学するため乗船した東洋汽船の「春陽丸」で、何人かの著名人とたまたま乗り合わせています。ひとりは、文部省の辞令によってジョンズ・ホプキンズ大学精神科(アドルフ・マイヤー教授)に留学する、長崎医学専門学校(現、長崎大学医学部)精神科教授であった石田昇先生(秋元、1984 年、465 ページ)です。石田先生は、東京帝国大学精神科教授、呉秀三の愛弟子で、アメリカ留学中に精神分裂病を発病して同僚の精神科医を射殺し、無期懲役を宣告されることになります。石田先生の後任は、留守を預かっていた斎藤茂吉でした。茂吉の長男である茂太は、相場均先生と親しかったためかもしれませんが、後に早稲田大学心理学科の精神医学講師になるのです。
 ついでながらふれておくと、他にこの船に乗り合わせていたのは、千葉医学専門学校(現、千葉大学医学部)精神科教授、松本高三郎であり、やはり文部省の辞令により、アメリカを含む5ヵ国へ留学する、東北帝国大学医学部助教授、小酒井光次(後の推理小説家、小酒井不木)であり、日本女子大学を卒業したばかりで、行動主義の創始者であるジョンズ・ホプキンズ大学心理学教授、ジョン・B・ワトソンのもとへ留学しようとしていた和田とみ(後に、森田療法の創案者、森田正馬(まさたけ)の愛弟子となる高良武久と結婚して、高良とみ)でした。アトピーの命名者として知られるようになる、コーネル大学免疫学教授のアーサー・コーカのもとに留学し、その後も石田先生と交流を続けていた小酒井は、その殺人にまつわる顛末を「I君の殺人」という作品(小酒井、1925年)として『文藝春秋』に発表しています。

[註2]この講演原稿は、翌年に『児童精神医学とその近接領域』第7巻1号に掲載されました。ついでながらふれておくと、アスペルガーは、1944年に自閉症に関する最初の論文を書いたことになっていますが、実際には、1938年に発表した論文の中で、既に自閉的精神病質の男児の一例を報告しているそうです(Lyons & Fitzgerald, 2007)。その論文(英語訳は、Asperger, 2008)の日本語抄訳は、加戸陽子らの論文(加戸、2013年)に掲載されています。
 ちなみに、1965年に来日した際、平井先生は、アスペルガーを牧田清志先生の自宅に同行し、夜更けまで歓談したそうです(平井、1968年、V ページ)。また、アスペルガーの娘に寄れば、アスペルガーは日本庭園に、特に「老人たちが、花木の葉をすきとって、すばらしい形にしあげている」場面に魅せられたそうです(Feinstern, 2010, p. 18)。11 月ですから、サザンカか何かだったのでしょうか。ヒステリーの研究で有名な 19 世紀フランスの神経学者、ジャン・マルタン・シャルコーも、わが国の盆栽に魅せられていたそうです。このような逸話を聞くと、縁遠く見える海外の著名な研究者たちも、かなり身近に感じられるでしょう。

[註3]カナーの論文とアスペルガーの論文は、時間的に近接してはいるが全く無関係に発表されたと比較的最近まで考えられていたのですが、それを否定する証拠が提出されるようになりました。ドイツ語圏出身のカナーは、アスペルガーが1938年に発表した、註2に記した論文を知っていたにもかかわらず、それを引用しなかったのではないかという疑念(石川、2010年a)のみならず、アスペルガーの概念を剽窃したのではないかという疑いもかけられているのです(Chown & Hughes, 2016)。それは、ジャーナリストのスティーヴ・シルバーマンが、関係者や関係文書に徹底的に当たって発掘した証拠(Silberman, 2015)に基づくものです。それによると、カナーは、アスペルガーのもとで診断を担当していた、若手の精神科医であるゲオルグ・フランクルを、ジョンズ・ホプキンズ大学の関連小児科病院の常勤医師として雇い入れるため、1937年にオーストリアから呼び寄せていたのです。フランクルをナチの迫害から救出するためでした。ここには詳しく書く余裕がありませんので、関心のある方は、同書(NeuroTribes: The Legacy of Autism and the Future of Neurodiversity)を参照してください。なお、この本には、オリヴァー・サックス先生が序文を寄せています。

[註4]ラターは、次のように述べています。「自閉症を発症させるうえで 脳損傷” が果たす役割も〔心因説と同じく〕やはり不明瞭であるが、(どれほどの比率かはわからないにしても)一部の症例では、脳の器質的な異常が主たる原因になっているように思われる。いずれにせよ、“脳損傷” という概念は漠然としすぎていて、自閉症の起源を理解するうえでそれほど役立つわけではない。生理的覚醒 physiological arousal の異常が関係しているかどうかを明らかにするには、今後の研究をまたなければならない」(Rutter, 1968, p. 21)

[註5]とはいえ、それまで正常に発達していたと思われる子どもが、弟や妹の誕生を境に、それまでできていたことが急速にできなくなったなどの観察は少なからず存在します。こうした経過をたどる事例は、折れ線型とか後退型(setback type, autistic regression)とかと呼ばれ、予後のよくない事例が多いことが知られているようです。いずれにせよ、そのような発症経過を見ると、その時点に心理的要因の関与が疑われるわけです。また、1973年にノーベル生理学・医学賞を、コンラート・ローレンツらと共同受賞した、比較行動学者のニコ・ティンベルヘンは、家庭環境という側面から自閉症を扱った著書(ティンバーゲン、1976年;ティンバーゲン、ティンバーゲン、1987年)を出していて、ノーベル賞記念講演も、半分はその研究に関するものでした。
 また、ティンベルヘンの着想にヒントを得た治療法を使って、自閉症と診断された子どもたちを治療し、好成績をあげたとする研究(Zappella, 1990)も存在します。神経学的な異常のない自閉症児を対象にしたこの研究では、親に子どもを抱かせて視線を合わせようとさせるなど、私の言う意味で抵抗のあることを、ある程度にしてもむりやり行なわせるという手法を使っているようです(Zappella, 1990, p. 18)。これと似通った方法は、アン・ホッジスの事例でも使われています(コープランド、1975年)。ザッペッラのこの研究については、実際には追試して結果を見て判断するしかないはずなのですが、PlosONE というオンライン専門誌の基準では、結果に関する記述が不十分であるとして、この論文は除外の対象とされています。
 ちなみに、ザッペッラは、2009年5月に、国立精神・神経センターの主催で開かれた「発達障害の臨床発達精神医学的視点から」という国際セミナーで、「自閉症スペクトラム障害と診断された子どもたちの臨床経過および結果の多様性」という特別講演を行なっています。その中で、「自閉症症状が改善する反面、ADHD や Tourette 症候群への移行」などの問題を残す子どもが多いことが明言されているのです。この症状の移行(あるいは交代)が事実であれば、こうした現象は、この場合の自閉症症状が心因性のものであることの有力な裏づけになるように思います。

[註6]そもそもは、霊長類の研究者が唱えた概念で、他者も自分とは違う心をもっていると考えることができる能力のことです(その実験的検証については、たとえば、板倉昭二著『自己の起源――比較認知科学からのアプローチ』〔1999年、金子書房刊〕やジュリアン・キーナン著『うぬぼれる脳――「鏡のなかの顔と自己認識」〔2006年、NHKブックス〕』を参照のこと)。正常児でも、多くは5歳をすぎないと明確に発現しないとされているようです。

[註7]カナーは、小児分裂病とは異質のものとして早期小児自閉症という疾患を考えたわけですが、後に分裂病を発病したと考えられる事例が少数ながら確認されているようです(たとえば、Petty et al., 1984)。ドナ・ウィリアムズさんも、精神病を併発する可能性にふれています(ウィリアムズ、2008年、79-80ページ)が、それは、双方の疾患に、稀であるとしても何らかのつながりがあるためなのでしょうか、それとも診断基準が確立されていないためなのでしょうか。

[註8]幸福否定のさまざまなパターンでもふれておきましたが、小児自閉症をもつある男子中学生は、心理療法の中で「数学が好きだ」などの感情の演技をさせたところ、あくびなどの反応を示すようになりました。そのことから、幸福否定という考えかたに基づく私の心理療法が使えることがわかったわけです。そして、最終的には、自閉症児によく見られる、独特の奇異な発声や軽佻とも思える態度が薄れ、いつもではないにしても、比較的ふつうの声で、しかもまじめな表情で応対できるようになったのです。しかしながら、障害児の親によくあることなのですが、母親が、その後まもなく治療を中断させてしまったため、それ以上のことはできませんでした。

[註9]退行とは、註5で説明しておいたように、それまでふつうに発育していたように見えた子どもが、ある時から急速に退行し、それまでできていたハイハイや発語が消えてしまう現象のことです。極端な場合は、小児期崩壊性障害と呼ばれる稀な重症疾患(後期発症自閉症)に分類されるようです(Volkmar & Cohen, 1989)。この群は、神経学的な異常が確認されることが多く、てんかん発作を起こす事例が多いために、このような名称になったのでしょう。

[註10]分裂病の患者は、自閉症と違って自分の行動を説明しようとすることがまずありません。これは、このふたつの疾患の鑑別診断に使えるかもしれません。

[註11]この否定のしかたは、超常現象の場合と同じで、一部の事例からすべてを否定するという、論理学的には誤った方法を使っています。ところが、実際には、そう単純にはいきません。たとえばエウサピア・パラディーノという有名な物理霊媒は、一方で平然と不正行為を行なったのですが、その一方で、真性のさまざまな物質化現象を起こしていました。そのことは、アナフィラキシーの発見者でノーベル生理学賞を受けた著名な生理学者、シャルル・リシェらによって繰り返し確認されています(たとえば、Richet, 1923, p. 461)。このような論法を弄する裏には、最初からありえないという前提で、否定しようとする意志が働いている可能性が高そうです。

[註12]1986年に出版されたテンプル・グランディンさんによる Emergence: Labeled Autistic は、アメリカのアマゾンでのレビューが 84 件、1992年に出版されたドナ・ウィリアムズさんの Nobody Nowhere は同じく 68 件ですから、2016年3月に出版されたばかりであるにもかかわらず、それが 1668 件にものぼっている東田さんのこの著書のインパクトは、いかに大きなものであったかがわかるでしょう。

[註13]日本発達障害学会の機関誌である『発達障害研究』は、1996年に「コミュニケーション支援」と題する特集号(第18巻1号)を発行しています。この号には、FC研究の中心にいたダグラス・ビクリンが論文を寄せているほか、わが国の5名の研究者が、それぞれの分野からの肯定的論文を寄稿しています。

参考文献

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