『ずっと「普通」になりたかった。』(花風社、2000/04 刊行)
グニラ・ガーランド(著)、ニキ リンコ(翻訳)
四六判、286ページ
自閉症の自伝を研究する場合、いつも念頭に置かなければならない条件があります。それは、多くの場合、障害の非常に軽い人たちが書いたものだということですが、そればかりではありません。記憶が鮮明な自らの半生を経時的に、しかも反省的に振り返ることができることに加えて、“ふつう”の人が読んだ時に、自閉症というものの特性や問題点が、編集者の協力を多少なりとも得ながらとはいえ、よくわかるような書きかたができる人たちだということです(そもそもこれらは、自閉症の人たちにとって難しいとされているはずのことです)。したがって、そこに書かれていることが、自閉症一般にどこまで当てはまるかは、それだけでは不明です。そのような制約があることを、いつも忘れてはならないということです。
本書について、本格的なレビューを書こうとすると、1冊の本になるほど長いものになってしまうので、ここでは、自閉症の根幹に当たるはずの部分で、比較的重要と思える2,3の問題に絞って解説することにします。その場合、特に注目しなければならないのは、場面や状況によって能力や感覚が変化しているように感じられる部分です。
これまで研究者は、当事者の発言を批判的に見ることは、Facilitated communication(対話促進技法)などが関係するわずかな場合を除いては、なぜか避けてきたように思います。「せっかく書いてくれたのだから」という思いがあるためか、研究者の側に、奇妙な遠慮が感じられるのです。ここでは、その禁をあえて犯そうというわけです。
保育園では、登園すると上着を、壁の自分専用の釘に掛けるのですが、その場合、自分用の目印のかたつむりの絵があったにもかかわらず、いつもまちがった釘に掛けていたというのです。その「いつも」が「例外なく」という意味なのかどうかははっきりしませんが、もしそうなら、その事実はきわめて重大です。偶然でも正しい釘に掛けることはなかったことになり、そこに無意識的な作為が働いていたことになるからです。そうすると、自閉症の特徴とされてきたものの成因に関する仮説が、根本的な変更を迫られる可能性が生ずるだけでなく、自閉症の成り立ちそのものについても、根本から考え直さなければならなくなるかもしれないのです。
私の視覚は非常に鋭かったが、色も形も大きさもよく似たものがたくさん並んでいると、みんなくっつき合ってしまい、見分けられなくなることがあった。もしかしたらそれは、絵に描かれていた生き物たちが、わたしにとっては何の意味も持たなかったせいかもしれない。この絵がかたつむりであることはわかるし、かたつむりが何なのかは知っている。けれども、かたつむりの絵を見ても、私の中では何の連想とも結びつかないのだ。だから私は並んでいる絵の形を見る――どれも似ている。次に大きさを見る――これも似ている。色を見る――やはりみんな似ている。そんなわけで、本当はちゃんと正しくやりたかったのに、私は相変わらず間違った釘に上着をかけ続けることになった。(79 ページ)
ジグソーパズルの時には、「色も形も大きさもよく似た」ピースが何千とあるにもかかわらず、「みんなくっつき合って」見分けられなかったのとは正反対に、即座に見分けることができたのです。ところが、保育園ではそうではなかったということです。ただし、「見分けられなくなることがあった」とあるので、時には見分けられたということなのかもしれません。そうだとすればそれは、場面や状況によって見分けられたり見分けられなかったりしたということなのでしょうか。それとも、同じ状況でも、見分けられる時と見分けられない時があったということなのでしょうか(この点は、著者に確認しないとわかりません)。しかしながら、後者であるとしても問題は残ります。ジグソーパズルのひとつのピースを何千もの中から探し出す時には、「みんなくっつき合ってしまい、見分けられなくなる」という認知的問題が起こることはなかったのに対して、保育園という実生活の中では、対象の数がはるかに少ないにもかかわらず見分けられなくなる場合があったということだからです。これについては、どう考えればよいのでしょうか。
何千ピースもの中から、形だけで当該のピースを選び出す能力があるにもかかわらず、現実の場面では、わずかな数のはずなのに、形だけで選び出すことはできないわけです。そうすると、これは、能力や認知の問題ではなく、何か別の要因が関係していると考えたほうがよさようです。これは要するに、現実的、実際的な場面になると、それ以外の時には発揮できていた能力が突如として使えなくなるということです。つまり、自分の能力を実用的に使うことに抵抗があることになるわけです。ただし、そうであったとしても、これは自閉症特有の現象とまでは言えません。いわゆるふつうの人にも、このような現象は時おり見られるからです。
たとえ痛かった〔痛みを感じた〕としても、私は感じたことを外には表わさなかっただろう。感じたことは声や表情で表わすものだということを、知らなかったのである。(98 ページ)
これも非常に奇妙かつ重要な発言です。意識の上で痛みを感じない状態は、戦場の前線で重傷を負った時にも起こるし、ヒステリー性の痛覚麻痺や催眠暗示によっても起こる(ただしこれらを、例によってエンドルフィンなどの脳内の微量産生物質の放出によって説明することは、“効果” の即時性という点からしてもできないし、特に催眠暗示の場合には、言葉を通じて脳内産生物質を自由に放出させうることを想定する必要があるため、現行の科学知識からすればできない)ので、それほど珍しい現象とは言えないのですが、問題は、特に引用文の後半です。痛覚自体は状況によって大きく変化するとしても。意識の上でいったん痛みを感じてしまったら、それを意識的に抑え込もうとすることは、軽い場合はともかく、ふつうにはほとんど不可能なわけです。もうひとつは、そのこととも関連しますが、「感じたことは声や表情で表わすものだということを、知らなかった」という発言です。“定型発達” をした人には誰でもわかるように、これは知識の問題ではないからです。言うまでもないことですが、これは本能的とも言うべき、動物として自然な過程であって、痛いと感じた時には、こういう声を出して、こういう表情をするものだと教えられて初めてできるようになる類のものではありません。著者の発言を文字通り受けとると、一個の動物種として自然な過程を、いわば無意識的に抑え込んだうえで、代わりにそれを人間特有の意識的努力によって成し遂げようとするという、非常に不自然な感じを受けるわけです。本書には、他にも同じような記述がたくさん見られます。
これは、自閉症の本質を考える場合、非常に重要です。人間としてというよりも、それ以前に動物として、とてつもなく不自然な状態に陥っていると考えざるをえないことになるからです。現に、アスペルガー症候群と診断されている泉流星さんは、自著『エイリアンの地球ライフ』(2008 年、新潮社刊)の中で、ゴリラがアスペルガー症候群の飼育係を慰めたという話を、オランダの霊長類学者、フランス・ドゥヴァールさんの本で読んで、「私って、サル〔正確には類人猿〕にも負けてる」と書いています(同書、127 ページ)。
したがって、自閉症スペクトラムと総称される状態を、脳の機能異常で説明するとしても、人間以前の動物としてもそこまで不自然な状態が発生している理由と、それを人間特有の意識的な力で補おうとするという、やはり非常に不自然な意志を働かせていることの双方を説明できなければならないことになるでしょう。
また著者は、痛覚をますます失っていって、どのような痛みも感じなくなったのだそうですが、触覚自体が消えたわけではありませんでした。「未だに耐え難いのは、軽い接触、皮膚の厚みよりは深くは届かないような軽い接触だった」(169 ページ)と書いているからです。これ自体も奇妙なのですが、さらに奇妙なのは、「軽い接触」が避けられないはずの「歯の治療は心地よく、楽しみだった」(170 ページ)と述べていることです。これを、単に身体的接触という側面だけで考えると、ことの本質からそれてしまいます。ドナ・ウィリアムズさんが明確に指摘しているように、同じ身体的接触であっても、そこに愛情や好意が伴う(と本人が思う)か否かによって、苦痛を感じるかどうかが変わってくるらしいので、愛情や好意の否定が働いている可能性を考えなければならないからです。そうなると、これは、身体的接触の忌避ということではなく、他者からの愛情や好意の否定の結果ということになってしまいます。
これも、他の自閉症者の証言と共通することなのですが、著者の場合にも、“ほどほどの加減”がわからないという現象があります。「私が何かをしようとすると、それは必ず間違っているのだ。そして必ず、やりすぎるか、やり足りないか、どちらかなのだ」(166 ページ)。この場合、「必ず間違っている」とすれば、やはり奇妙と言わざるをえません。「ほどほどの加減」が意識でわからないとしても、適切なはずの対応が偶然にできてしまう時もあるはずだからです。いつも不適切だとすれば、この場合にも、無意識的な作為が働いていると考えざるをえないでしょう。
ただし、ことはそう簡単ではありません。「自分の世界」とはおそらく別に、ふつうの人にはない特性が内在しているらしいからです。その自閉症のもうひとつの、おそらくはより重要な本質は、「私の意見はいつも自分で考えたものだった」(173 ページ)とあるように、おそらくは他者と容易に迎合しようとしないことに関係しています。作家の大岡昇平さんは、昭和初期の詩人であった親友の中原中也について、「若い中原がとにかく自分の頭で考へる習慣を持つてゐたことは、『いはれて氣が附く』ことと『分つてゐる』ことと錯覺するインテリ特有の病ひを、見拔いたことで察せられる」(『朝の歌』〔1958 年、角川書店刊〕61 ページ)と述べ、若年の頃から、中也が人の考えに左右されないことに注目していました。その一方で中也は、生涯、生活のために働くことはまったくなく、妻子を持ちながらも、30 歳の時に結核で亡くなる最後まで、親の仕送りで生活していたのです。
自閉症の中に、自らが別人格を利用するなどして、単に現実の世界に適応しようとする生きかたを、“魂を悪魔に売った” かのごとく嫌う人たちがいるのは、自らが真に希求する生きかたを別にもっているためなのかもしれません。だからこそ、一方で経済的、心理的に自立している世間一般のいわゆる「一人前」の人たちに憧れながら、ふつうの人とは異質の「本物の人間」になりたがるのではないでしょうか。中也は、この生きかたを、ふつうの人たちの「生活派」に対して、「芸術派」と名づけました。そのためかもしれませんが、自閉症スペクトラムに属するとされる人たちは、全員かどうかはともかく、ランボウや中也の人生にも似て、人生自体がひとつの作品になっているような印象を受けます。本書は、そのようなことを教えてくれる、非常に重要な資料だと思います。