書評 自閉症当事者――5.『地球生まれの異星人』
『地球生まれの異星人――自閉者として、日本に生きる』(花風社、2003/11 刊行)
泉流星(著)
四六判、262 ページ
地球人としての自閉症
Wrong Planet という仮想コミュニティがあることからもわかりますが、テンプル・グランディンさんの自称「火星の人類学者」のように、自らを異星人になぞらえる自閉症者は、むしろふつうなのかもしれません。しかしながら、それをそのままタイトルに使ったのは、本書の著者以外にはほとんどいないのではないでしょうか。とはいえ、本書の内容は、このタイトルから想像したものとはかなり違っていました。つまり、“地球人” 的な、非常に “泥臭い” ものだったのです。これは、決して悪い意味ではありません。自閉症といえども、やはり地球人だということです。その意味は、以下を読んでいただくとおわかりになるはずです。
自閉症者は圧倒的に男性が多いのに対して、自伝を出版しているのは、興味深いことにほとんどが女性であり、本書の著者である泉流星(いずみ・りゅうせい)さんもやはり女性です(男性の場合は、東田直樹さん、イド・ケダーさん、ビルガー・ゼリーンさんなど、重症の古典的自閉症者がなぜか目立ちます[註1]。
以下、自閉症の人たちには少々辛辣に受けとられかねない発言をすることになりますが、事実を明らかにしようとするという立場からすればどうしても必要なので、その点についてはご容赦いただきたく思います。
本書の全体の流れは、ドナ・ウィリアムズさんや森口奈緒美さん、グニラ・ガーランドさん、藤家寛子さんなどと同じで、おおよそ次のようなものです。早期小児期から現実の世界と接する中でどのような違和感や問題が起こってきたか、それに対してどのような対応をしてきたか、成長とともにどのような変化が起こったかなどについて具体的な出来事をとりあげ、時に微に入り細を穿って記述していること、最終的に “自閉症圏” の診断を受けたことにより、それまで自らにとっても不可解だった違和感が自分の中で多少なりとも位置づけられ、自己治療的な意図などを込めて半生記を執筆するに至る、という経過です(この中では、森口さんだけが例外的に、幼少期に自閉症児の施設に通っていました)。
自閉症の、少なくとも本を書いている人たちに共通して見られる特徴は、周囲との接触の中で悩まされ続けてきた違和感の原因を探り当てるべく懸命に努力を重ねてきたことであり、その位置づけができた後には、同じ問題を抱えている人たちのために、本を書いたり苦手な講演を行なったりなどの啓蒙活動にとり組むようになることです。中には、ドナ・ウィリアムズさんやテンプル・グランディンさん、グニラ・ガーランドさん、トーマス・マッキーンさんのように、その道の専門家になる人たちもいます。これは、他の障害や疾患にはあまり見られない特性です。
大きな個人差
当事者による自伝をいくつか読んでみると、同じ自閉症スペクトラムと言っても、多くの人たちが指摘しているように、“症状” や行動特性などにかなりの個人差の見られることがわかります。共通部分であるいわば“中核症状”を除けば、多様に見える人たちの集合体だということです。ドナ・ウィリアムズさんは、こうした個々の人たちの症状群を「フルーツサラダ」になぞらえました。
ただし、いずれにしても発達障害という概念でくくられていることからわかるように、世間一般の “定型発達者” には容易なはずの、ごく “ふつう” の社会的行動が困難なわけです。つまり、家族の中で、さらには集団の中で協調的に行動すること、学校を卒業すること、特に男性の場合、定職をもつこと、経済的、心理的に自立すること、恋愛や結婚をすること、子育てをすることなどが難しいという点で、ほぼ共通しているということです。ここで注意しておかなければならないのは、これらのほとんどは、人間が勝手に作った文化的制度というよりは、おそらく系統発生の中で準備され、人間に至って完成されたものだということです。
著者は、単身で上京して生活しながら、一流とされる大学を卒業しているようです。卒業後は、かなりの混乱を巻き起こし、退職を余儀なくされることになったとしても、いったんは正社員として一般企業に勤めていますし、後に結婚して、そのまま夫婦関係を維持してもいます。また本書には、多くの自閉症者に特徴的に見られる、人との身体的接触に対する強い恐怖については書かれていないようです。長年にわたって結婚生活を続けているわけですから、著者には、そのような恐怖心はほとんどないということなのでしょう。したがって、障害の軽重で言えば、「ごく軽い」(同著『エイリアンの地球ライフ』77 ページ)部類に入るはずです。
もし自閉症スペクトラムが真の意味での連続体であるのなら、著者のように、社会生活上の深刻度が最も軽い人たちに見られる違和感や問題点こそ、その中核に位置づけられる可能性が高そうです。その意味で本書は、グニラ・ガーランドさん(『ずっと「普通」になりたかった』2000年、花風社刊)やウェンディ・ローソンさん(『私の障害、私の個性』2000年、花風社刊)、スティーブン・ショアさん(『壁のむこうへ 』2004年、学習研究社刊)などの著書と並んで、たいへんに貴重です。
現在、日本語で読める自伝的著作だけでも、既にかなりの数にのぼっています。したがって、それらを丹念に読んで精密に検討した、あるいはそれぞれを厳密に比較した研究書や研究論文があってもよさそうなものですが、少なくとも現段階では、世界的な視野で眺めてすら一点も存在しないようなのです。まさしくありがたい資料群を、専門家が十分に活用できていないということなのでしょう。そのような観点から本書に目を通すと、著者は、先述の点に加えて、いくつかの点で重要な記述をしていることがわかります。それらを、一部ですが順不同で列挙すると、次のようになるでしょう。これらは、多様性という名のもとに片づけてしまえる種類のものではないはずです。
- 自分の感情と表出した表情とが一致しないこと(41 ページ、95 ページ)。この現象は、ドナ・ウィリアムズさんや東田直樹さんやビルガー・ゼリーンさんが述べているように、自分の思いと表出されたことばとが一致しない、場合によっては逆になってしまうという現象と軌を一にするものでしょう。これは、自閉症者特有のものとまでは言えないにしても、その開きの大きさは、他ではあまり見られないかもしれません。
- 著者は高校生の時にアメリカに留学するのですが、数人の留学生とともにワシントンDCに到着して、「アメリカの空港で乗り換える段になると、正しいゲートを見つけ、カウンターのスタッフに航空券を見せて、一行をリードした」(75 ページ)のだそうです(著者は、それを、テレビドラマを英語で見ていたため、そうしたことに慣れていたからではないかと推測しています)。さらには、大学を卒業する前に、アメリカとヨーロッパを2ヵ月ほど「放浪」するのですが、「綿密な旅行計画は立てなかったので、毎日、気の向くままにどこへでも行き、お金と時間の許す限り好きなだけ好奇心を満たすことができた」というのです(122-126 ページ)。「地図さえあれば、ほとんどどこへでも一人歩きすることができた。街のおおざっぱな地理も、主要な地名や通りの名前も、どの土地へ行ってもすぐ頭に入った。そして、「旅行中も帰国後も病気というほどのものにはかからなかった」のでした(127 ページ)。実に手際がいいのです。
それに対して、本拠地での日常生活では、人との会話の中で「微妙に言い回しが変わると戸惑ってしまい、不安になってイライラし始める」のです(222 ページ)。周知のように、ふつうの人でも、地理が即座に把握できるかどうかを別にすれば、海外や別の土地では、能力や自信に基づく行動を含め、それまでできなかったことが簡単にできるようになるという現象はそれほど珍しくないことです。したがって、著者の体験したことも、この脈絡で説明できそうに思います。いずれにせよ、自閉症者といえども、いつもはできない行動が本拠地を離れるとできるようになる可能性があるということです。この点については、他の自閉症者の証言をもっと調べてみる必要があります。
- アメリカ留学から帰って、高校2年に復学するのですが、担任の英語教師には、「留学帰りの生徒をもつという気負いもまったくなかった」と書いていること(97 ページ)。これは、“心の理論”があるどころではなく、相手の気持ちが(意識の上では、理論的推定という形をとっているとしても)わかっているということですが、それだけではありません。そうした気負いという微妙な心理的状態を、相手の言動や表情や態度から、たぶん正確に読みとっているということでもあるからです。状況によって違うのかもしれませんが、著者の場合、ことばを通じてしかわからないわけではないということです。この点について推定を言えば、必要性や実用度が高い時ほどわからなくなるのではないかと思います。
- 『自閉症は津軽弁を話さない』(2017年、福村出版刊)という著書とも関係してきますが、著者は、両親ともが家庭内で関西弁を話す家庭で育った関西人であるにもかかわらず、共通語を話したことを自ら解説しています。これは、関西人からすると、想像を絶するほど異例のことのようです。
また、著者は短期のアメリカ留学から帰国し、空港から母親に電話した時、とっさに日本語が出てこなかったそうです(33-34 ページ)。そして、まもなく日本語で会話できるようにはなったものの、「復活した日本語からは関西弁がきれいに抜け落ちていて、以後、二度と身につけることはなかった」のだそうです(96 ページ)。東京に移り住んだ関西人は、「何年たっても関西弁でしゃべっていてまったく平気」であることを著者自身が承知している(103 ページ)にもかかわらずです。
以上のことからわかるのは、自閉症児が地元の方言を話さないのは、テレビなどから共通語を身につけることが真の理由なのではないのではないかということです。これについては、意識的なものではないにしても、やはり家族や周囲のことばを強く避けた結果と考えるべきなのではないでしょうか。これは、他ではあまり見られない現象なので、自閉症特有のものと言えるかもしれません。
- 著者は、大学で言語学を専攻して、書き言葉と話し言葉はまったく違うものであることを知った時、「自分がほとんど書き言葉そのままで話していることに、突然気がついた」(113 ページ)こと。これは、自閉症者がやたらと難しい言葉を使いたがる傾向と通底する現象なのでしょうが、定型的な発達とはむしろ逆の経路をなぜか辿っています。これも、話し言葉よりも書き言葉のほうが習得の早い場合があるという現象とともに、自閉症に特有の特性なのかもしれません。これについては、非常に不自然という印象を免れるのは難しいでしょう。これは、意識的なものではないにしても、実用的なコミュニケーションを避けた結果のひとつと考えるとわかりやすいと思います。
- 著者は、ふつうの人よりも広い世界を見て、多くの職種を経験しているにもかかわらず、「どんなに経験してもそこから学ぶことがなぜかできなかった。人と円滑に接することや、人とつながりを作る方法といった対人関係の技術を実体験から身につけていくことができなかった。私に言わせれば、それこそが大問題なのだ」と明言しています(123 ページ)。おそらくそうなのでしょう。
経験を通じて学ぶことや、家族を含めた他者との間に持続的な対人的、社会的関係を築きあげることは、生物としてのヒトに備わった基本的な行動様式であり能力です。ところが、自閉症スペクトラム障害をもつ人には、それらがなぜか欠け落ちている、正確に言えば、壊れているのではなくおそらくその表出が妨げられているのです。したがって、これこそが、自閉症スペクトラム障害と言われるものの最も中核にある特性のひとつということになりそうです。
ローナ・ウィング先生は、これらを含めて三つ組みの障害として定式化したのでしょうが、問題は、そうした現象をもたらしている原因です。ふつうはここで、脳機能の異常を考えます。
難しいはずの客観視ができている
あらゆる動物種の中で、人類がただひとり、家族という安定した生活単位を作り、さらには大きな集団を形成して、それを恒常的に維持しながら生活しています。一夫一婦とその子どもたちという生活形態が、どの民族でも最もふつうに見られる家族の基本単位であることを考えると、これは、人間が勝手に作りあげた制度の結果ということではなく、生物としてのヒトの本性に根差した、最も根本的な行動特性のようです。ヒトに最も近縁である類人猿は、人間のような家族も作りませんし、大きな群れも作りません。のみならず、協調した集団行動をとることも原則としてないようなのです。季節的につがいや群れの離合集散を繰り返す鳥類や哺乳類は数多く存在しますが、人間は、それらとも根本的に違っているということです。したがってこれらは、人間に特有の社会的行動ということになります。
そのような観点から考えると、家族や集団生活から(心理的にであっても)離れるということは、生物としてのヒトとして本来的にできない逸脱行動になるはずです。アスペルガーやカナーが驚いたのは、まさにこの点だったのでしょう。自閉症スペクトラム障害と総称されるものを、脳の機能異常で説明するにしても、現実にヒトという生物としてきわめて考えにくい状態に、ごく幼少期から陥ってしまっているのは(最初からなのか、それとも、regression や setback と表現されるタイプが少なからずあるように、途中からなのかはともかくとして)なぜか、という疑問に答えられなければならないということです。
精神医学では、横断的にも縦断的にも、ヒトとしてふつうの行動様式がとれるようになるにつれて障害は軽くなると、半ば暗黙の裡に考えられているわけですが、本書は、その事実をあらためて認識させてくれるという点で、非常に存在価値の高い著書と言えるでしょう。
最後についでながらふれておくと、本書の続編と言うべき『僕の妻はエイリアン』と『エイリアンの地球ライフ』は、配偶者が書いたという設定で著者自身が執筆した作品です。こうした芸当は、自分をよほど客観視できなければ不可能なことであり、立場を入れ替えて考えればわかりますが、“定型発達” 者にとっても簡単なことではありません。ましてや、人の気持ちがわからないとされる自閉症の人たちには、相当に難しいはずの離れ業を演じていることになるわけです。少々皮肉を込めて言えば、もしかすると、こうした “齟齬” も、自閉症特有の現象と言えるのかもしれません。
註
[註1]ちなみに、わが国で最初に自伝的な著書を発表したのは、石井哲夫先生との共著という形ではありますが、山岸裕さんという男性です。この共著書は、本人の手記と母親や療育担当者の記録とが並行して配置されている――つまり、少数であるにしても同じ出来事が当事者と第三者の双方の目で見たまま記述されているため、両者の比較ができる――非常に貴重な資料なのですが、世界的に見てすら最初期の出版物であるにもかかわらず、なぜかほとんど無視されて現在に至っています)。
参考文献
- 山岸裕、石井哲夫(1988年)『自閉症克服の記録――書くことによって得たもの』三一書房
2017年9月27日