――  海 上 都 市 と 私  ―― 

平成26年5月6日
河田 新一郎

 

○私と「海上都市」との出合い

 私が早稲田大学の建築学科で学んでいたのは今から50年以前となるが、若く感受性の強い時代の私が当時の大学生活の中で授業を受け、教えを得た諸先輩の先生方が当時の日本建築界では名だたる方ばかりであったことに大変誇りを持っていた。
計画の武基雄先生、吉阪隆正先生、歴史の田辺泰先生、構造の松井源吾先生、谷資信先生、設備の木村幸一郎先生、井上宇市先生等心に残る先生方の名講義を受けることが出来たことは、今になっても忘れられない。一方当時の新しい建築デザインについては、菊竹清訓先生、大高正人先生等メタボリズムアーキテクチュア―を提案されていた諸先生方が講師陣に招かれ、建築の前衛の仕事について学べたのは大変恵まれた環境にあった。学部での4年間の生活は建築と無縁の環境にあった私にとって大変貴重な時間であったし、また諸先生そして先輩の良きご指導の下に刺激されながら建築の手解きを受ける毎日であった。その3年後に卒業論文のテーマを決定しなければならない時期が来た。4年度になった春であったが、指導教授と論文のテーマ等についての案内が有り、その中から3〜4人一組で選択するという内容であったと記憶している。

 当時私は美術出版社から‘60年7月に発刊された「METABOLISM/1960」を購入し、菊竹清訓先生提案のメタボリズムグループの一員としての海上都市の提案について興味を抱いていた。折しも東京大学の丹下健三先生は「東京計画1960」を発表された。そのような背景を基に松井先生の論文項目に海上都市のテーマを見付け、その方向に入学3年後に建築展で仲間となった山田悍君と谷井靖宜君と相談して申請した。その時私は建築設計を仕事にして行く覚悟でいたので、構造と計画を一体としたプロジェクトにしたいと思い、卒業計画のテーマは「MARINE CITY」にすることにした。

 松井先生の卒論は「海上都市の構造的研究」とあり菊竹清訓の名も連ねられており、又構造計算については構造計算の得意であった谷井君にお願いすることで論文は成り立つという胸算用であった。今から考えてみれば海に浮かぶ盤の設計には波の外力が解らなければ成立しないので、これは又建築の分野でも無くその答えを得ることは大変な冒険であったと思う。しかし当時は「海上都市」は首都東京の混乱や麻痺を将来的に危惧した解決策として注目されていたので、時代の流れに沿ったものであったからである。一方丹下、菊竹案それぞれは計画中心の海上都市の構想、云えば一つのドリーム的でもあった。更により現実味の有る構造体を提案積算して海の埋め立て地より安価に土地を造る新しい手法としてのリアリテイの有る海上都市に魅力を感じた次第である。そのような経緯を経て「海上都市の構造的研究」をテーマとすることになった。

 テーマが決定した以降、計画水域である東京湾の海象そして波の解析、波の外力の算出等、浮基盤の設計の基礎データの収集等に追われ、7月まで論文が成立するかその成否が問われた。時にはテーマを替えるという不本意にもなり兼ねない事態になることまでも覚悟した。

 しかし気象庁そして東京大学の地球物理学研究学科等からの資料により、概算ではあったが東京湾での波の外力も定まり、建築の構造計算そして作図が始まったのは8月に入ってからであり、9月の論文提出にやっと届くという算段であった。私は大学院に進む予定であったが、仲間は就職も決まっており冷汗をかいたことであったと記憶している。

 

○昨今の「海上都市」と私

 その後50年の歳月が経った。昨年(2013年)3月には学部卒後50周年のクラス会が行われた。2012年12月には稲門建築会の絵の同好会「彩寿会」の最古参の「スマートアイランド研究会」の幹事を務められる先輩の間瀬惇平氏より、私が学部卒論に「海上都市」をテーマとしたことから研究会に所属の勧誘があり、2013年1月の研究会に参画することにした。

 私は大学院卒業(1966年)以来日建設計そして東急設計コンサルタントと建築設計の組織事務所で設計の実務に従事しており、この50年間「海上都市」とは無縁であり全くのタイムトンネルであった。一昨年間瀬氏主宰の研究会に入会して以来10回以上の会議に参加したが、その内容は自然エネルギーの再生、海洋土木そして資源、漁業、大震災に対する防災等多岐に亘り、私の脳裏に有するものと結びつかなかった。やはり時代が進むうちに「海上都市」の効用が変ってきているということを理解した。

 先日(2014年3月)に間瀬氏より突然のお話があり、「国から貴方に理想の海上都市を提案してくれという要請があったとしてそれを描いてくれれば良い」というお触れを頂戴した。私は少々躊躇はしたが学生の時のテーマに又巡り合い、再び取り組んでみようと思った。

 2014年3月14日に私の海上都市についての卒論とデイプロマを紹介した。その時研究会では今回のテーマである南海トラフ地震に対応する防災計画について、そのアイランド構想を提案し協議していた。その内容は、今まで陸上での津波等大震災における被害を海からの援助により被害額を減少させ、人命を広域的に救助するということであった。50年前の効用とは全く異なった防災の為の移動可能な防災海上都市であった。
私はその主旨に賛同して、今までとは違った自給自足の出来る安全な「防災海上都市」を提案することが現在の社会情勢に合った“世の為人の為”になる提案であると考え直した。

 短時間にすべてを網羅することは出来ないが、まず浅い海(東京湾等水深20M位い)に防災海上都市を造る計画案を提案し、今後は津波の影響を受けない水深50Mから100M程度の安全な海洋の海象そして波の外力を算出し、安全な防災海上都市を提案、更には具体化されアイランド相互のネットワークを成立出来ればと考えている。

以上

 

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