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 ことの重大性と超常現象研究 4

事実を追求することの意味

 一方では大きな影響力を持つこともありながら、もう一方では当該の集団から、場合によっては全体からはじき出される宿命にある、芸術派の探検家や科学者が真理の探究をすることには、どのような意味があるのでしょうか。ラインホルト・メスナーや今西錦司が、それぞれ独自の方法で、自らの半生や生涯をかけて、それぞれが真理と考えるものを追究し続けたのはなぜなのでしょうか。単なる遊びの一環として、おもしろいというだけでしていたのでしょうか。意識の上ではその通りだとしても、本人も与り知らないところで、その行為自体が何らかの影響力を持っている可能性はないものでしょうか。また、持っているとすれば、それは、本人の内部に留まるものなのでしょうか。

「本当のこと」を知りたいという願望

 誰も知らないことを知ろうとする営為は、典型的な創造活動であり、まさに科学者が日常的にしているところのものです。そして、新しい発見に至れば、その結果として、仲間たちからばかりでなく、一般の人たちからもおおいに賞賛されることになります。ノーベル賞などの論功行賞は、その代表的な現われのひとつです。しかし、創造活動は、科学的なものばかりではありません。これまで説明してきたように、探検的な行動も含まれるのです。そして、未踏峰の登頂であっても、物理学的な発見であっても、それがすぐれたものと見なされれば、周知のように、国家の威信に結びつけられるほど大きな評価を、どちらの場合も同じように受けるわけです。しかし、外界の探検が科学的発見と同列に評価されるのはなぜなのでしょうか。人間の生活への直接的貢献とは無関係なので、ここには、何か謎がありそうです。その検討をする前に、人間にとって真理の探究がどれほど重要な位置を占めるものかを見ておくことにします。

 1945年8月、長崎医科大学助教授だった永井隆は、自らが原爆に被爆し、重傷を負いながらも救護班を組織し、真理の探究を優先させました。永井は、放射線の研究者だった(そのおかげで、被爆前に既に白血病を発病していた)ためもあるのでしょうが、自分を含めた長崎市民が原爆被害に遭ったことより何よりも、それによる影響の実態解明のほうにこそ関心を抱いたのです。少々長いですが、重要な証言なので、そのまま引用しておきます。なお、この文章(「長崎の鐘」)は、被爆1年後の1946年8月に脱稿されたものです。

 私たちは皆家を焼かれ、寄宿舎を焼かれ、住む所も着る物も、世話してくれる肉親をも失った者ばかり。廃墟からでてきたままの、みじめな姿で、巡回診療しているのである。知らぬ人が見て、どうしてこれが教授、助教授以下、大学の一教室と認めるであろうか? 包帯をぐるぐる頭にまいて、それに今日新しい血のにじんでいる者、脚の怪我で跛を引いている者、胸をうたれてまだ呼吸の深くされない者、放射線障害で蒼白な者、眼鏡を失って足許の覚束ない者。竹杖をついている、友の肩に支えられている、手を引いて貰っている、草履をはいている、杉下駄をひっかけている、ゴム長靴をだぶだぶ鳴らしている。血のついたもんぺ、裂けたシャツ、切られたズボン、鉢巻、頬かむり、鉄兜。それに偽装の青草を挿して。〔中略〕

 これはまさしく敗残の兵である。しかしながら依然大学の一教室である。あくまでも真理探究の一念に燃え、諸人救護の悲願を立ててかかる肉体を以て灼熱の中、爆音の下、傷者を捜して歩みゆく私らは、依然大学の一教室である。真理探究こそは我が生命、これさえ熱烈ならば外観のみじめさなど問題ではない。原子は始めて人類の頭上に破裂した。如何なる症状を惹起するか、今私らが診療している患者こそは医学史に於ける全く新しい資料なのである。これを見逃すことは単に自己の怠慢に止まらず、貴重な研究を放棄することになり科学者として許すべからざる処である。私ら自身もまた既に原子病発生の徴候を自ら感じているから、安静を保たずこうして歩き回れば或は症状増悪して死に至るか、至らぬまでも危篤に陥るかもしれないが、しかもなお、学問的良心は私の体を鼓舞し、患者を診よ、正確に観察し、実態を把握せよ、そして良き療法を考案せよと激励してやまない。(永井、1965年、172ページ)

 これこそがまさに、真の科学者の姿です。真理の探究に際しては、このように生死や恩讐を超越し、何ごとも二の次になってしまうほどの科学者が現実にいるのです。そして、これこそが人間の最たる特徴であることは、論を待つまでもないでしょう[註1]。とはいえ、こうした科学的探究や発見なら、応用(たとえば、「良き療法を考案」する)という側面で人類に貢献することも可能なわけですが、未踏峰の登頂では、それもありません。にもかかわらず、科学的発見と同じように大きな評価を受けることからすると、ここには、人間の意識を超えた、きわめて重要な要因が隠されていそうです。

 一方、どちらに対しても、評価という恩賞が与えられるわけですが、だからこそ、第1部で取りあげたように、探検家や科学者の圧倒的多数に当たる生活派は、他者からの賞賛を求めて探検や発見に熱中することになるわけです。しかしながら、これが、科学や探検の本質から見て本末転倒の行為であることは、先に指摘しておいた通りです[註2]

 もうひとつの問題は、いわゆる不遇の天才を考えるとわかりますが、「人と人との習慣的な同意」の輪から遠く離れ、時代を先駆けすぎると――つまり、創造活動があまりに進みすぎ、大きな発見をしすぎると――逆に、強い批判を浴びるのみならず、敵視されることにもなりかねないことです。“危険思想”を断罪されたイエスやガリレオの昔ならいざ知らず、よもやこの現代において、不当な理由によってパイオニアが冷遇ないし酷遇される道理や必要はないはずなので、これも、よく考えれば非常にふしぎなことです。ここにも、きわめて重要な理由が隠されているのではないでしょうか。

 ラインホルト・メスナーや今西錦司は、事実を直視しているという点で、生活派の探検家や科学者をはるかに凌いでいます。教科書に書かれていることや互いに同意しやすいこと(すなわち、定説)のほうを重視する生活派とは逆に、自分の眼で見たり、自分の肌で感じたりしたことを何よりも重視し、自分の主張が受け入れられるかどうかには、ほとんど頓着していないからです。パイオニアのパイオニアたるゆえんなので当然のこととはいえ、これは、権威に対する盲従とは正反対の姿勢です。

 権威に盲従したがる人たちは、新事実や真理の発見よりも、帰属集団ないし現体制の維持や発展を重視し、自分の眼や体験ではなく、教科書や定説のほうをこそ信頼し、それに依存し、執着します。そして時には、データや事実の認知の段階で、つまり意識に昇る以前に、既にゆがみが起こってしまうのです。換言すれば、“出過ぎたまね”を避けるために、自分の判断のかなりの部分を、最初から無意識のうちに放棄しているにもかかわらず、その自覚がほとんどないどころか、時としてその自覚をすらゆがめているということです。医療の専門家を例に取れば、目の前の患者が示す症状が教科書に書かれている内容と一致しなくても、むりやり教科書に合わせて的外れの治療をしているにもかかわらず、その自覚がなく、それを患者のためにしていると思い込んでいるということになるでしょう。この本末転倒的行為は、権威への強い従属・依存傾向を持っているという点で、“閉じた道徳”と軌を一にする姿勢と言えます。

生活派科学者と芸術派科学者――再考

 次の表は、生活派と芸術派が一般に示す特徴群を、対極的な形で列挙したものです。これは、おおまかな傾向を描き出したものにすぎませんし、どちらにしても一枚岩ではなく、両者の特徴が混在することもあります。しかし、相対的なものであるにしても、両極がどれほど異質かということと、それぞれの傾向は個々別々のものではなく、原則としてそれぞれまとまっているということを理解するうえでは役立つと思います。たとえば今西錦司は、自分の自然観とネオ・ダーウィニズムの自然観とを比較する中で、「ダーウィニズムに立つかぎり、私の到達したような自然観には、達しえないはず」(今西、1980年、116ページ)と明言していますが、それと同じように、両者は要するに、属する陣営が違うということなのです[註3]。ただし、芸術派は生活派を必然的に含んでいるため、芸術派からは生活派の全体像が比較的見えやすい[註4]のに対して、生活派の場合は芸術派の萌芽ないし一端しか表出していないため、生活派から芸術派の全容を見るのは、不可能に近いほど難しいでしょう。

表2 生活派と芸術派が示す対極的な特徴群

  生 活 派 芸 術 派
 生 き か た  生活重視
 他者依存的
 慎重、堅実
 関心重視
 独立独歩
 探検的、不安定
 権威に対する姿勢  権威への従属  権威の軽視、無視
 倫 理 観  閉じた道徳の維持  開いた道徳への志向
 優先するもの  他者からの評価
 体制の維持、発展
 真理の徹底的追究
 体制からの自由
 ものごとのとらえかた  部分的
 分析的、還元的
 観念的
 全体的
 直観的、調和的
 実感的
 科 学 観  応用的
 絶対的
 唯一の手段
 真理追究的
 相対的、限定的
 単なる一手段
 世 界 観  無秩序
 悲観的
 機械的
 偶然的
 自己完結的、優美
 楽観的
 力動的
 必然的
 生 命 観  環境依存的
 受身的
 環境利用的
 主体的

 もうひとつ、両者に違いがあるとすれば、典型的な芸術派はその成果や作品ばかりでなく、その生きかたにも強い関心を持たれる場合が多いことです。いわゆる人間的魅力がきわめて大きいのです。探検的詩人とも言うべき、18世紀フランスの少年詩人アルチュール・ランボウや中原中也はその好例と言えます。そのことは、このふたりとそれぞれ親しかったポール・ヴェルレーヌや小林秀雄、大岡昇平と比較するとはっきりするでしょう。いかに有名であっても、世の人が、作品から離れて、これらの人たちの生きかたそのものに関心を持つことはないからです。

 この表を見ると、双方の質的な違いがはっきりわかると思います。これほど違う人間の中から生み出されるものが大幅に違っていたとしても、何のふしぎもないでしょう。とはいえ、科学的立場から考えると、それぞれが生み出したものが、現在の科学的方法で扱い切れるかどうかが問題になります[註5]。この表の後半部を見ると、生活派科学者の主張や着想は、科学的方法で対応しやすいのに対して、芸術派科学者の主張や着想は、科学的方法では対応しにくいことがわかるでしょう。最も大きな問題は、おそらくほとんどの芸術派科学者たちが考えるように、生命が機械的なものではなく主体的、目的的、自己完結的なもの[註6]だとすると、はたしてそれが、現在認められている科学的方法の枠内で扱えるかどうか、ということです。

 芸術派の探検家や科学者は、目の前の対象や事実の基底にある、ことの重大性をきちんと認識しているため、大きな目標を設定すると、意識では多少の迷いや揺れがあっても、原則としてそこから目を離すことがない(さもなければ、より本質的な方向に向かう)のに対して、生活派の探険家や科学者はそうではなさそうです。生活派科学者は、自分の名前を残したいとか、一矢報いたいとかの願望が強いため、どうしても狭い分野や範囲での研究に従事し、何かを発見したとしても、権威の前に提示して評価を待つだけで、その続きは誰かに任せるという形を取りますが、芸術派研究者は、全体を大局的な立場から眺め、人任せにせず、可能な限り独力で全体を形作ろうとします。

 また、生活派科学者は、探検や研究を、自分が評価を受けるための手段にしている都合上、より表層的な(すなわち、いわゆる“受け狙い”的な)ものに的を絞りやすく、仮に“大物狙い”をしたとしても、他の専門家から評価されないことがわかると、あるいは批判を受けたりすると、第1部で取りあげたスーザン・ブラックモアやジョン・テイラーのように、その分野から実にあっさりと手を引き、その分野を攻撃する体制側にまわることになりやすいという傾向を持っています。その背景にどのようなものがあるかは、生物学者・池田清彦が、ネオ・ダーウィニズムを批判する文脈の中で行なった、次の指摘を見るとわかりやすいでしょう。これは、生活派科学者の動機を白日の下にさらした文章です。

 理論はどういうデータがいいデータかということを強制するから、理論に合ったデータは論文になりやすいし、理論に合わないデータは捨てられる運命になりやすい。現在のダーウィニズムがまさにそうだ。ダーウィニズムは競争原理の上になりたっている。競争が起きて、自然選択の結果こうなったという話にうまくフィットするような研究は論文になりやすい。そうでない論文は、解釈のしようがないから、論文にならないのである。〔中略〕

 彼〔生態学者・奥野良之助〕がいうには、自然選択説がはやるのは、学者自身の生活の反映である。つまり、学者たちはどちらが早く論文を書いたか、どちらがたくさん論文を書いたかとつねに競争している。それで教授になったり助教授になったりする。 (池田、1997年、114、116ページ)

 公私ともに、より恵まれた生活をするためには、専門家仲間から受け入れられ、評価されやすい研究をせざるをえないというわけです[註6]。これは、いかに生きるかという視点から見ると、人間にとって本当の幸福とは何か、という幸福論につながる問題であり、最終的には、幸福否定という私の考えかたに関係してくるわけです。

 既に20年以上昔のことになりますが、当時、私が所属していた日本超心理学会に、臨床心理学を専攻する、見るからに優秀そうな大学院生が入会してきました。その青年は私たちに、ぜひ超常現象の研究を続けたいと、熱意を込めて語りました。ところが、私たちの期待を裏切って、その青年は、その後まもなく退会してしまったのです。後で伝え聞いたところでは、その計画を指導教授に話したところ、そんな研究をすると将来に差し障ると忠告され、恐くなってやめることにしたというのです。「経歴に傷がつく」のを心配したわけです。よくある話ですが、これが、生活派科学者の偽らざる実像なのでしょう。「発表せずんば滅びるのみ Publish or perish」などと言われるアメリカでは、わが国よりも状況はさらに過酷なはずですが、超常現象の研究者がわが国とは比較にならないほど多いのは、多かれ少なかれ探検精神を持った科学者がそれだけ多いためなのでしょう。

 ことの重大性の問題に戻ると、生活派科学者が超常現象の研究に携わることができるとすれば、それは、第2部でふれておいたように、超常現象が実在するとした場合の“ことの重大性”があまり実感できないことから、軽い気持ちでこの分野に参入できるおかげなのでしょう。それに対して、超常現象を否定する側の科学者は、自らが権威と認める定説にひたすら依存しているため、超常現象実在の裏づけとして提出されたデータや証拠が、定説たる唯物論とどれほどかけ離れているかを、さらには、そうしたデータや証拠が事実だとすると、ことがどれほど重大になるかを、意識的、無意識的に敏感に感じ取り、明確に認識せざるをえない立場に置かれているということです[註8]

 生活派と芸術派の科学者が根本的な点で相異なることからすれば、それぞれの果たす役割も根本から違っていると考えるべきでしょうが、その場合のひとつの焦点は、ことの重大性をきちんと認識している芸術派科学者が、他の科学者から理不尽な非難を浴びながら研究を続けることには、どのような意味があるのかという点にあります。本編の冒頭で、「本人も与り知らないところで、その行為自体が何らかの影響力を持っている可能性」にふれておきましたが、これもその問題に関係しているはずです。

探検的行動の本質

探検的行動の起源

 次に、順番として、探検的行動が高く評価される理由を検討しますが、その前に、探検的行動の起源を手短に眺めておくことにしましょう。生活とは無関係に、身のまわりの事実を知ろうとする行動は、人間以前の動物にも見られます。とはいえ、人間に最も近い類人猿でも、自分が事実を知ろうとしているという自覚を、人間ほどはっきり持っているわけではないでしょう。ましてや、その点について、ことの重大性という認識を持っているとは思われません。しかしながら、そうした自覚はないとしても、類人猿が人間類似の探索行動をすること自体は、明確に観察されています(たとえば、サベージ=ランバウ他、1997年、第7章)。少なくとも直接には生活に役立たない、“知的好奇心”に基づくと思しき行動や遊びが、それです。

 多くの鳥類に見られる、遊びとしか思われない行動(たとえば、ハワード、1980年、第5章;レスリー、1989年;ローレンツ、1963年、第5章;Barber, 1993, chap. 6)も、これとおそらく同質のものです。けがをして拾われたカケスを育てたナチュラリストのロバート・F・レスリーは、「カケスは、目がさめている時間のなんと約八二パーセントを遊んでいる」(レスリー、1989年、72ページ)と述べているほどです。次に引用するのは、催眠研究に革命を起こしたことで有名な故シオドア・X・バーバーが、晩年の6年間を費やして、鳥類の行動を扱った文献から拾い出した観察所見をまとめたものです。

 鳥たちは、人間と同じように、遊ぶこともできれば、楽しむこともできる。その遊びには、単純なおもしろい行動から、組織的構造を持つ複雑なゲームに至るまで、さまざまなものがある。たくさんの種類の鳥が、棒や植物の葉、鳥の羽、松ぼっくりその他、数多くのものを使って遊んだり、小さなものを空中から落とし、地面に落ちるまでの間に掴みとるという動作を繰り返し演じたり、流れの速い潮に乗ったり、明らかに楽しみだけのために、雪の吹きだまりを足から滑り降り、歩いて登り返して、もう一度滑り降りたりするところなどが、信頼のおける研究者によって観察されている。“追いかけっこ”や“お山の大将ごっこ”、獲物を使った“ネコとネズミごっこ”なども、ごくふつうに見られる遊びだ。実際に、細心の注意を払って観察された記録によれば、多種の鳥たちが、一日のうちの驚くほどの時間を、まるでそれが娯楽ででもあるかのように、同種の鳥や異種の鳥との“追いかけっこ”や、日光浴、飛翔、歌唱に費やしている。(Barber, 1993, pp. 56-57)

 鳥類の場合には(クジラの場合にも)、そのうえに、囀りや歌唱という音楽的遊びが加わります。鳥たちのために開放した自宅や庭で鳴禽たちと“友人”として接しながら、持てる時間をすべて投入して、鳥の行動や囀りを長年にわたって日常的に研究したレン・ハワードというイギリスの女性音楽学者によると、鳥の囀りは、技巧という点で人間の作曲家に匹敵するほどすぐれているそうです(Howard, 1952, chap. 10)。歩く民俗学者・宮本常一の主著『忘れられた日本人』に、明治以前の村でも歌の上手な男女は高く評価されたという聞き書きがあります(宮本、1984年、32-34ページ)が、興味深いことに鳥の場合もそれと同じで、囀りの上手な個体はやはり高く評価されるようです[註9]

 こうした行動は、生物の持つ主体性を端的に示す特性です。ちなみに、現在の定説たるネオ・ダーウィニズムでは、それも、自然選択を通じて身につけた行動特性と考えざるをえないでしょう。自然選択という機械的な選別システムを通じて、こうした積極的な自発的行動が生まれ出たのだとすれば、それは、物質から生命が誕生したことにも匹敵する、このうえなく考えにくい現象のように思えます。それはともかく、ここではっきりしているのは、純粋に好奇心に基づくように見える行動は、人間以前にも既に存在するということです。

探検的行動の意味

 話がさらにそれるようですが、直接には生活に役立たないように見える、この種の行動は、どのような役割を担っているのでしょうか。これらは、ネオ・ダーウィニズムでも、その行動が“生存価”を持つかどうかという点で、どうしても避けて通れない疑問のはずです。ネオ・ダーウィニズムの枠内では、これらはおそらく“社会生物学”などを持ち出して説明すべき“利他的行動”の範疇には入らないので、結局は生存に役立つはずだとして言葉だけで説明するしかないでしょう。しかし、そのことはどうすれば検証できるのでしょうか。

 人間は、かなり以前から、極地や砂漠の中心部や高山などのごく一部を除けば、地球上のあらゆる地域に居住しています。今では人が住んでいない尾根筋などからも、人が暮らしていた遺構が発見されているほどです。人類が発祥したのが限局されたひとつの地域であるのなら、人類はそこから、世界各地へと広がって行ったということなのでしょう。そうした拡散の時代には、探検的行動が、生活圏を広げるのにそのまま役立っていたことになります。酷熱の砂漠地帯から、酷寒の北極周辺に至るまで、海面下から高原に至るまで、衣食住を工夫しさえすれば居住可能な地域ならどこへでも、おそらく追われてやむをえずではなく、積極的に入って行ったのでしょう。

 では、動植物の場合はどうでしょうか。結果から推定する限り、多種多様な動植物も、やはり酷熱の砂漠地帯から、酷寒の北極周辺に至るまで、深海から高山に至るまで、それぞれの環境に合わせて身体を“加工”することで居住可能な地域ならどこへでも、他種に追われてやむをえずということではなく、「前のものの開発しておらないようなところに目をつけて」(今西、1978年、44-45ページ)、おそらく積極的に入って行ったのでしょう。このように、意識的か無意識的かを別にすれば、人間でも動植物でも、探索的な行動が、「地に充つる」うえできわめて重要な役割を演じているわけです。ベルクソンがエラン・ヴィタール(生命力)という言葉で表現した、こうした主体性こそが、動植物や人間の、あるいは生命の本質的属性なのでしょう。

 同じ探索行動であっても、以上のように実益的側面や気晴らし的側面を持つ、明らかに生活派的な行動と、喜びを生み出し人格の進歩につながる、より創造的な芸術派的行動とがあるわけですが、進化史的に見ると、より起源の古い前者から、より人間的な後者が浮上したということのように思えます。このように分類すると、いわゆる冒険は、探検に似て非なるもので、娯楽的な範疇に入ることがはっきりします。では、生存に密着した探索行動や娯楽的な行動はともかくとして、芸術派的な、純粋に探検的な行動(以下、純粋探検行動)の役割はどこにあるのでしょうか。

 人間の場合も、自らの行動の真の理由が意識の上でわかっているとは限りません。それどころか、実際には、意識の上で理由がわからない行動のほうが、はるかに多いのです。わかったつもりになっていても、それが本当の理由であることが保証されるわけではないので、単に推定を積み重ねるのではなく、客観的指標を可能な限り使って、厳密に検討してゆくしかないということです[註10]

純粋探検行動が評価される理由

 ところで、私が開発した心理療法では、心理的原因を探る際に、単なる推定ではなく、私が反応と呼ぶ客観的手がかりを利用します。反応は、方法さえまちがえなければ誰にでも見られ、あくび、眠気、心身の変化という3種類からなり、幸福感に対する心理的抵抗によって起こると考えられています。ここでは、抵抗や反応について説明する余裕がありませんので、こうした現象について詳しく知りたい方には、当該のページや拙著(笠原、2004年a、2005年)をお読みいただくとして、次に、抵抗と反応という指標を利用して、純粋探検行動が高く評価される理由を手短に検討してみましょう。

 ほとんどの方は経験的にわかるでしょうが、娯楽的な行動に抵抗のある人はほとんどいません。むしろ、その誘惑に抗することのほうがよほど難しいわけです。それに対して、自分が本当にしたいと思っている行動に際しては、私の言う幸福否定に起因する抵抗が、必ずと言ってよいほど起こります。そのことは、一晩中ゲームなどの娯楽的行動を続けてすら眠気や疲れが起こらない人でも、自分のためになるはずの勉強や仕事をしようとすると、すぐにだるくなったり眠くなったりするなど、さまざまな心身症状が出るという対比的現象を考えるとわかりやすいでしょう。その場合、眠くなったりあくびが出たりしても、退屈や苦痛のためではありません。ほとんどの場合、娯楽的行動を始めると、それらの症状が一瞬のうちに消えるからです。もちろん、勉強は、純粋探検行動ではありませんが、勉強などに付随して起こる反応は、純粋探検行動を含めた創造活動に付随して起こる苦痛と、同質のものと考えてよいでしょう(笠原、2004年b、第7章)。

 自分がしたいことの究極的形態とも言える純粋探検行動に対しては、多くの生活派科学者から浴びせられる没論理的批判という形の抵抗とは別に、先述のように自分の内心からの抵抗もあるわけです。批判する側の生活派科学者のみならず、純粋探検行動をする者自身にも、こうした抵抗が起こるのはなぜかという問題は、非常に興味深いだけでなく、パイオニア的な探検的行動一般がきわめて高く評価される理由を解明するための、重要な手がかりにもなるはずです。

 これまで検討してきた、特にパイオニア的な純粋探検行動に共通して見られる特徴をまとめると、順不同ですが、次のようになります。

 以上の特徴を眺めてあらためてわかるのは、パイオニア的な純粋探検行動は、人間にとってこのうえなく重要な位置づけを与えられていることです。パイオニア的行動は、それが困難な(つまり、それまでの常識を大きく外れた)ものであればあるほど、非難される度合が強く、その期間も長くなるという特徴を持っていますが、いわばその“浄化”期間を過ぎると、今後はその分だけ、まさに掌を返したように高く評価されるという特性があるようです。そのことは、歴史上、繰り返し観察されてきた事実であり、あらためて具体例をあげるまでもないでしょう。このような観点から考えると、達成直後に世界中の先端的探検家たちに強いインパクトを与え、高い評価を得たエヴェレスト初登頂は、いつかは誰かによって必ず達成される種類のものであり、意外性はないため、そのこと自体は、人類にとってそれほど大きな出来事ではないことになります。

 「エヴェレストが登頂されたからこそ、真の探検家は、より創造的な本来の探検に向かうことが、心置きなくできるようになった」のではないか、と第3部の冒頭に書いておきましたが、エヴェレスト初踏の意味は、まさにこの点にこそあるのではないでしょうか。つまり、人類を、外界の探検から内界の探検へと本格的に向かわざるをえなくさせる決定的契機になったという点で、人類史的に大きな意味があったということであって、人類が越えるべきひとつの大きなハードルだったにすぎず、真の目標ではなかったということです。したがって、どうやら肝心なのは、物理的外界の探検ではなく、より創造的な内的探検のようです[註11]。その真偽は、科学的方法では検証できませんが、このうえなく重要な問題のように思います。

 物理的外界の純粋探検行動は、実利的側面を持つ探検が高く評価されることの延長線上にある理由から高く評価されるのではないか、という推定が可能ですが、内的な純粋探検行動がそれ以上に高く評価される理由は、依然として不明です。では次に、この問題を別の角度から検討してみましょう。

新しい発見や着想に対する抵抗

 ところで、科学の枠内で起こった、歴史的に見て最大級の革命と考えられるのは、古い順から地動説、進化論、現代物理学の諸理論でしょう。地動説と進化論は、特にキリスト教世界と科学的世界観の中で生きてきた西洋人から、きわめて強い抵抗で迎えられたのでした[註12]。これらの科学革命はいずれも、過去の人間の思い込みを根本から正す役割を果たしています。この点を、抵抗という観点から考えてみましょう。ただし、ここで言う抵抗には、通常の意味での抵抗も含まれており、幸福否定による抵抗だけを指すわけではありません。

 言うまでもないことですが、旧来の常識に対しては、誰であれ抵抗はありません。それに対して、新しい発見や着想は、必然的に旧来の常識を打破するものなので、それに対しては、発見者もそれ以外の人たちも、時間差はあるものの、そろって抵抗することになるわけです。そこで問題になるのは、この場合の抵抗の意味です。これが、通常の抵抗であれば、特に重大な問題は起こりません。なじみある常識が通用しなくなり、それとは根本的に異なる考えかたを受け入れなければならなくなっただけのことだからです。その場合に問題になることといえば、せいぜいのところ、それに慣れる必要があることくらいのものでしょう。あるいは、旧来のパラダイムで研究生活を送ってきた科学者の場合には、それまでの業績が無になるという危機感からの抵抗もあるでしょうが、それは、まさに世代の交代によって解消される種類のもののはずです。

 しかし、それにしては、アメリカでの進化論や現代世界全体での超常現象に対する抵抗は強すぎます。前者については、同じキリスト教世界でもアメリカだけなぜ特殊なのかという側面から、ことの本質に迫れそうですが、それはまた別の機会に譲るとして、以下、来たるべき(とはいえ、おそらくかなり先のことになる)科学革命の担い手になるはずの超常現象に話を戻して、検討を続けることにします。超常現象の場合には、ほとんどの宗教の枠内ではごくふつうに起こる現象とされているにもかかわらず、ひとたび、ことの重大性が念頭に置かれると、たちどころに抵抗が強くなるのも奇妙です。では、これが、通常の抵抗ではなく、私の考える幸福否定に基づく抵抗だとしたら、どうなのでしょうか。

 新しい発見が幸福否定に基づく抵抗によって拒絶されるとすれば、ほとんどの人たちは、意識では全くわからないにしても、本心ではその発見をこのうえなく喜んでいるからこそ、その否定をしていることになります。その喜びは素直なものでなければならないので、その発見を喜ぶ理由としては、次の4通りの可能性が考えられるでしょう。

 (1)は、新しい発見や着想がそれまでの定説よりも事実に近いことを的確に見抜く能力を、個々の人たちが持っているという前提が、最低でも必要です。(2)は、外界にあるものを初めて発見するのではなく、既に本心にあるものを意識に昇らせるということが前提条件になっています。(3)は、人類の知的、人格的レベルが高まることを、ほとんどの人たちが喜ぶという意味ですから、少なくとも自らの進歩とは別に、人類全体の進歩を素直に喜ぶという特性が、個々の人々にあることを想定しなければなりません。(4)は、人類の進むべき道がかなり明確に決まっており、その一環としての“発見”が予定通り行なわれたという、とてつもない決定論的臆説です。

 どれも考えにくい理由でしょうが、(1)なら、超常現象を持ち出さずとも説明できそうなので、この中ではいちばん抵抗が弱そうです。(2)は、常識的ではありませんが、私の心理療法では、それほどふしぎではない考えかたです。しかし、それと比べると、(3)はかなり考えにくいですし、(4)になると、超常現象の枠内からも大幅にはみ出してしまいます。

 これらの可能性は、互いに排他的なものではないので、どれかひとつでなければならないということではありません。また、少なくとも(1)は、後の3通りの可能性が成立するための必要条件になっています。つまり、(1)が成立しなければ、(2)から(4)はありえないことになるのです。したがって、(1)の可能性を検討しない限り、その先に進むことはできません。(3)と(4)については、その妥当性を検証する手段がないので、ここでは(1)の検討だけすることにします。(2)については、検討を進める中で次第にはっきりしてくるでしょう。

 相手が超常現象となると、第1部でも取りあげたように、一般の科学者たちは、有力なデータや証拠を突きつけられても、異常とも言うべき“防衛機制”をさまざまに弄して、それを直視しようとしない態度を取り続けています。そうした事実を勘案すると、がんの心理療法の先駆者でもあったローレンス・ルシャンが言うように(ルシャン、1987年、425ページ)、それ自体が説明を要する現象であるのはまちがいありません[註13]。しかしながら、科学者側の反応は、生活派的なパラダイム論では説明できない現象です。「新しい発見(この場合は、超常現象の実在を裏づける証拠)や着想のほうが、旧来の定説(この場合は、唯物論的世界観)よりも事実に近いことがわかるため」に超常現象の実在を否定しているという可能性は、科学者たちのとてつもなく奇妙な反応を考えると、ありえないどころか、おおいにありそうです。

 実は、この問題については、私の言う抵抗という観点から唯物論の成り立ちを扱った拙著(笠原、1995年)で既に詳細に検討しています。そこでは、科学者ばかりでなく人間は一般に、超常現象の実在を無意識的に承知しているからこそ、(特に、ことの重大性を認識している場合には)超常現象の実在を否定するのではないか、という仮説を厳密に検証し、それが有力な仮説であることを確認しているのです(同書、186-188ページ)。つまり、人間は超常現象――すなわち人間の心が持つ力――の実在を意識下で承知しているからこそ、幸福否定のため、意識の上ではそれを否定しているということです。この結論が導かれるまでの論証を手短に要約するのは難しいので、関心のある方には同書を参照していただくとして、以下、その仮説が正しいと仮定したうえで、特に内的な純粋探検行動の意味について、超常現象研究を素材にして検討することにします。

内的純粋探検行動の意味

 何度も繰り返しますが、超常現象の実在が事実であれば、これまでの科学革命とは比較にならないほど大きな革命が起こることはまちがいありません。だからこそ、超常現象の否定論者も、公平中立な立場から自分の手でその研究をして、その真偽を確認しなければならないのですが、にもかかわらず、第2部で述べておいた通り、超常現象の研究を厳密に行なおうとした否定論者は、ふしぎなことに、これまでのところ皆無に近いのが実情なのです。この事実も、ことがそれほど重大だからこそ、私の言う抵抗のために、知らず知らずのうちにその研究が回避された結果とみるべきです。

 私の心理療法理論では、超常現象の実在が意識で否定される仕組みは、自らが持つ通常の能力が否定される仕組みと似通っており、内に秘めた能力を発揮しないようにしているという点では、両者で完全に共通しています。超常現象の場合には、主としてその否定が格段に強いという点が、両者の大きな違いです。とはいえ、ことの重大性を認識したうえで、超常的能力が本当に存在することを意識で認めること――イエス・キリストの言葉を使えば、そのことが実在するという「信仰」を持つこと――には、どのような意味があるのでしょうか。この問題に関連して私は、拙著の中で、次のように述べています。

 超常現象や、肉体とは独立に存在する心の実在を、一般人や科学者が真に認めることがあるとすれば、それは、私の心理療法と同じく、そうしたものに対する感情的抵抗を、従来的なものとは異なる“治療法”を用いて徐々に解いて行くという方法による以外ないであろう(笠原、1995年、188ページ)。

 その線で考えると、超常的能力の実在を意識で認めることの意味は、ひとつには、自他の心理的抵抗を乗り越えようと努力することそのものに、あるいは多少なりとも乗り越えることそのものにあるのではないか、という可能性が浮上してきます。新記録を樹立したスポーツ選手は、見る人に大きな感動を与えるばかりでなく、選手自身も大きな喜びに包まれますが、その場合、人との競争や重圧に勝って栄光を掴んだ喜びよりも、怠惰な自分に、あるいは何度も挫折しそうになった自分に打ち勝って努力を重ねることができた喜びのほうが、実際には大きいのではないでしょうか。それと同じく、超常的能力の場合も、そうした現象の実在や能力に対する自他の心理的抵抗を乗り越えようと努力すること自体に、あるいは多少なりとも乗り越えること自体に大きな意味がある、と考えることができるように思います。

 とはいえ、ここでのポイントは、人間の心の本質を明らかにすることそのものにもあるはずです。それは、(1)人間の心はどのような力を持っているのか、(2)心と肉体の関係はどうなっているのか、(3)人間の心の由来はどうなのかという、人間の心に関係する大問題の解明です。これらは、第3部で検討した事柄を含み、それぞれ、超常現象研究、心身医学、進化論という3領域で扱われるべき最大のテーマです。ただし、超常現象が実在するとなると、やはり第3部でふれておいたように、心身医学と進化論は、おそらく超常現象の存在を抜きにしては考えることができなくなります。

 第1部で述べておいた通り、超常現象やその研究に対する抵抗は、他のほとんどの科学分野で見られる抵抗とは完全に異質なもので、生活派科学者の抵抗ばかりでなく、超常現象についてほとんど知らない人たちが批判者然として参入してくるわけです。しかし、その事実を超常現象研究のためのデータと考えれば、これほど重要なデータはありません。それが個人の内心と同じ役割を果たしているとすると、それを逆転させれば、超常現象やその研究を非難したり忌避したりする人たちが、本心で何を考えているかが推定できることになるからです。それは、超常現象の実在とその最たる重要性を、各人が本心で承知しているということです。

 この原則が一般に適用できるとすれば、進化論についても当てはまることになります。そうすると、第3部で引用しておいた今西錦司の疑問も氷解しそうです。ネオ・ダーウィニズムの陣営からも、「進化を進めるためには、さらにつぎの突然変異が現われて、ある方向に向かった変異の積み重ねが絶対に必要である」と主張する研究者が登場してもいいはず(今西、吉本、1978年、57ページ)なのに、現在に至るまで出現していないという、いわば異常事態が続いているのは、その考えかたが正しいことを、ネオ・ダーウィニストたちが本心で承知しているからであり、だからこそ、詭弁や没論理を弄しても、何とかしてそれを避けようとする状態が続いているのであるし、だからこそ説得が不能なのではないか、という結論が導かれるからです。

 人間の心の本質を本心で承知しているため、幸福否定に基づく抵抗によって、それを避けているのだとすれば、その研究をするには、やはりその抵抗に直面し、それを乗り越えようと努力するしかありません。そうすると、上述のふたつの問題は、結局は重なり合いそうです。つまり、焦点は、真理を明らかにすることに対する抵抗を弱めようとする努力自体にありそうだということです。これこそが、内的純粋探検行動が持つ意味なのではないでしょうか。ここで推定しているように、既に真理が本心に内在しているとすれば、真理を明らかにするといっても、操作としては、外界にある未知の事実を掴み取るのではなく、それを意識に浮上させるにすぎないことになりますが、そのようなとてつもない可能性が本当にあるものでしょうか。

[註1]まさに真理の探究のため、いち早く被爆直後の広島に入った、アメリカ人ジャーナリストのジョン・ハーシーが、被害の実態を見聞して書いた『ヒロシマ』には、もっと興味深い例が出てきます。これは、科学者の例でも探検的行動の例でもありませんが、人間というものがどういうものかを知るための、非常に重要なヒントになるでしょう。

 〔相当数の被爆者が避難した市内の庭園で〕死人や瀕死の人の真ん中で、若い女性が針に糸を通して、ほんのちょっと破れた着物を繕っていた。クラインゾルゲ神父〔広島在住で、やはり被爆したドイツ人神父〕がからかって、「これは驚いた、おしゃれだね、あなたは!」というと、女性は笑った。(ハーシー、2003年、68ページ)

 これと同質の現象は、たとえば、高所から転落して瀕死の重傷を負った人たちにもよく見られるようです(メスナー、1983年)。これを非常時の異常反応と見る人もいるかもしれませんが、声をかける側にもかけられる側にも、生死を越えたところで、一時にせよそれなりの余裕があると見るべきでしょう。ついでながらふれておくと、女性の認知症の治療法として、化粧をさせることが功を奏している事実とともに、本例は、性差というものがいかに大きいかを示す実例でもあります。男性であれば、他のことはしても、このようなことは絶対にしないでしょうし、それ以前に気がつきもしないでしょう。

 話がそれたついでにもうひとつふれておくと、この著書は、1946年8月31日発行の大手週刊誌、『ニューヨーカー The New Yorker 』のヒロシマ特集号に掲載されたルポが、同年にアルフレッド・クノップ社から書籍化されて出版されたものです。この特集号では、ハーシーの記事に意気相投じた同誌編集部が、広告を除けば、この記事のみを掲載し、著作権を放棄するという異例の措置を講じています。その結果、さまざまな雑誌や書籍で再刊されたこのルポは、国内外に大反響を巻き起こしたのです。そのようにして、原爆投下に対する批判が高まったことに危機感を抱いた政府が、原爆投下の事実上の責任者だった、既に引退していたヘンリー・スティムソン元陸軍長官を担ぎ出し、もうひとつの総合(月刊)誌『ハーパーズ・マガジン Harper's Magazine 』(1947年2月号)に書かせた弁明書から、原爆の投下によって100万もの人命が救われたという“原爆神話”が形成されるに至るわけです。この経過からも、人間にとって反省を避けることが、いかに抗しがたい誘惑になるかかがわかるでしょう。

[註2]おそらく本当は、生活派の探検家や科学者の場合も、私の言う本心では純粋に創造活動をしたいのでしょうが、抵抗のために目標がそれ、その自覚を消しているのではないかと推測しています。ただし本稿では、話が複雑になりすぎるので、そこまでの掘り下げは行ないません。

[註3]今西とネオ・ダーウィニズムの自然観が異質だということであって、ダーウィンが生活派だったと言っているわけではありません。この分類で言えば、ネオ・ダーウィニストたちは、権威に素直に従属しているので生活派ということになりますが、ダーウィンは、その時代のキリスト教世界に叛旗を翻して、オリジナルな見解を提示したわけですから、明らかに芸術派ということになります。

[註4]ただし、芸術派は、実生活に疎い部分があるので、堅実な生活派の立場に立ってものごとを考えるのは難しいかもしれません。中原中也のように、経済的自立を最初から完全に放棄する例もあります。

[註5]わかりやすい実例をあげると、芸術派スポーツ選手とも言うべきマリナーズのイチローは、大リーグに移籍する前年に負傷して戦線を離脱したことがきっかけとなって、移籍を決意するに至ったのだそうですが、その経緯について次のように述べています。「これらのことは全て流れのなかの出来事なんだと捉えました」(小松、2002年、151ページ)。この直観が何らかの事実を反映したものなのかどうかを科学的方法で検証しようとしても、できるものではないでしょう。ここでも、科学的手法の限界があることがはっきりとわかります。

[註6]同じ主体性という言葉を使っても、生活派と芸術派ではその意味が大幅に違っています。生活派科学者は、おそらくことの重大性から、主体性という言葉の真意を歪曲してしまうからです。今西錦司の主張する“主体性の進化論”は、生命の主体性を機軸にした、他に比類のないきわめて斬新な進化論なのですが、生活派から見ると、ダーウィンの進化論と同列のものと見なされてしまうのです。その実例は、たとえば、進化生態学者・河田雅圭の著書(河田、1989年)などに見ることができます。

[註7]生まれ変わり型事例の実地研究を創始した元ヴァージニア大学精神科教授、故イアン・スティーヴンソンは、念写という現象を発見した、元東京帝国大学心理学助教授の福来友吉を、大学を辞めさせられることになってもひるまずに研究を続けたことについて、「大変尊敬している」と、非常に高く評価していました。

[註8]ここで興味深いのは、生活派科学者が、それを察知する際に、おそらく自分たちが否定している直観を、自覚しないまま使っていることでしょう。また、厳密に言うと、芸術派科学者がとらえる“ことの重大性”と生活派科学者が想定する“ことの重大性”は、見る角度が違うため、少々異質なところがあるようですが、そこまで問題にすると話が複雑になりすぎるので、本稿では扱わないことにします。

[註9]レン・ハワードは、クロウタドリの成鳥が美しくさえずっている木に飛んで行った若オスが、その成鳥を見つめ、その成鳥の一挙手一投足をまねながら、そのさえずりに耳を傾ける様子を報告しています。

 さえずりは30分ほど続く。時々さえずりながら頭をわずかに回し、聞き入っている若鳥に目をやることを除けば、2羽はほとんど体を動かさず、同じ姿勢を保っている。若鳥は、この音楽の達人から目を離そうとしない。2羽の鳥の顔には、深い満足感と熱意とが漂う。……ようやく成鳥がさえずりをやめ、体を伸ばし、跳びはねて枝の端に移る。若鳥は、成鳥が体を伸ばした様を正確に、細部に至るまでそっくりまね、次いで成鳥に倣ってゆっくり跳びはねる。(Howard, 1952, p. 188)

 今西錦司は、ニホンザルのリーダーの行動を未来のリーダーが身につける仕組みについて、精神分析の同一視という概念を使って説明しています(今西、1976年、163-165ページ)。ニホンザルのリーダーの行動は、わが身を危険にさらしてまで群れを守るという「群れ本位」の行動なので、単なる学習ではありません。それに対して、このクロウタドリのさえずり学習は、群れ本位の行動の学習ではありませんが、自分があこがれる先輩の行動の一挙手一投足を喜んでまねようとしているという点が、よく似ているように思います。ただし、鳥を精密機械としか見たがらない人たちからすれば、これは、単に擬人化が行き過ぎ、観察を誤った結果と断定されてしまうでしょう。

[註10] この問題に関心のある方は、拙著(笠原、1995年、2004年a、2005年)をご覧いただければ幸いです。

[註11] ラインホルト・メスナーは、先端的登山という外的探検をしているわけですが、実際には、それを通じて内的探検を自覚的にしている稀有な存在です。そのことは、他の登山家の著書とは完全に一線を画するメスナーの著書を一読すれば、誰であれすぐにわかるでしょう。

[註12] 東洋でなら、地動説も進化論も、西洋人とは違う受け止めかたをされたでしょう。そのことからもわかりますが、科学革命といっても、あくまで相対的なものなのです。

[註13] ただし、ルシャン自身は、超常現象に対する奇妙な反応を認知的不協和などの通常の心理学理論で説明しようとしています。従来的には、このような仮説しか考えられないのでしょう。


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