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 著書『本心と抵抗――自発性の精神病理』

 本書は、「青木まりこ現象」をはじめ、昨今よく耳にする話題を題材にして、特に人間に際立って見られる“自発性”という、最重要の要素を中心に、私の〈幸福否定〉という考えかたについて、具体的に解説することを目的に書かれたものです。本書は、あるフリー編集者に勧められて執筆を始め、3年ほど前にいちおうの完成をみたものの、この異常とも言えるほどの出版不況のため、なかなか出版社が決まりませんでした。このたび、すぴか書房という看護・医療関係専門の出版社から、40年ぶりに再会した同社社長・宇津木利征氏のご好意により、希望通りの形で出版していただけることになりました。書籍出版の世界では、著者が思い通りの形で上梓できることなどは、10年ほど前までは、むしろ当たりまえのことだったのですが、今では、それがきわめて難しい状況になっているわけです(その点に関心のある方は、『大学出版』82号所載の拙文「かたい本が売れない」をご覧ください)。

 人間は、地球上の生物の中で最高の進化を遂げた動物なので、その心は、類人猿を頂点とする動物のレベルをはるかに超えた特殊性を持っています。人間よりも“下等”とされる動物たちですら、精密機械のような仕組みで生きているわけではありませんから、ましてや人間が、たとえば“快楽原則”などという、単純きわまりない絵空ごと的原理に従って生きているはずはありません。本書は、精神分析やストレス理論のような、これまでの機械的仮説が明に暗に志向している、人間の動物化という方向とは正反対の、本来あるべき、精神病理学の人間化を目指したものでもあります。

 本書には、「生活圏」と「芸術圏」という言葉が時おり出てきますが、それは、昭和初期の詩人・中原中也の言葉を借用したものです。本書で用いられる「生活圏」という言葉は、要するに人間の動物的レベルで起こる現象を指して使われているのに対して、「芸術圏」という言葉は、生命維持のレベルを超えた人間特有の現象を指して用いられています。本書は、全体が3部構成になっており、まず、芸術圏で起こる現象を扱った第1部では、ごくありふれたものでありながら、これまでほとんど探究されることのなかった、日常生活の中で多くの人たちが自ら体験したり耳にしたりする現象を俎上に載せています。大なり小なり自発性が求められるところに発生するこうした現象は、動物には起こりようがない、まさに人間特有の問題と言えるでしょう。

 第2部では、心因性疾患の原因を探り出すまでの過程を、8例の事例を題材にして、具体的に説明しています。ここでは、客観的基準を使って心理的原因を絞り込んでゆく様子を、興味深く読んでいただけることと思います。一般の心理療法やその理論では、症状出現の直前に、明確に切り取れるような心理的原因が隠れているとは全く考えられていませんが、そればかりではありません。心理的原因というものが、このように操作的かつ客観的に探り出せることはもとより、そうした手続きによって症状に多かれ少なかれ変化が起こることも、夢想だにされていないのです。

 この革命的な方法論は、私の心理療法の恩師である小坂英世先生の創見になるものです。小坂先生は、現在、精神医学界から、その業績ばかりかその存在すらほぼ完全に抹殺されていますが、世界の精神医学の中興の祖として、最大級の評価がもたらされる時代が、いずれ来るはずです。現在では、小坂先生の考えかたとは全く違ったものになっているとはいえ、この方法論がなかったら、幸福否定という考えかたが生まれなかったのはまちがいありません。なお、小坂先生や小坂療法については、拙著『幸福否定の構造』(春秋社)で詳細に扱っていますので、関心がある方は、ぜひ参照してください。

 第3部は、人間のいわば動物的側面に発生する現象を扱ったものです。ここでは、主として肉親間の愛情(の否定)に起因するさまざまな症状を取りあげています。動物的側面で起こる問題とはいえ、やはり動物には見られない、人間固有の特徴を備えていることがおわかりいただけるでしょう。このような明らかに動物的な側面から検討を加えた場合にも、人間はどれほど動物とは異質な存在であるかが、あらためて明らかになるはずです。動物にしても、行動主義は言うに及ばず、比較行動学などでこれまで想定されてきたよりも、はるかに“人間的”な側面を持っていることが次第に明らかにされつつあります(たとえば、拙訳書『もの思う鳥たち――鳥類の知られざる人間性』参照)が、それと並行する形で、人間は、これまで想定されてきたものとは根本的に異質なほど“人間的”であることが、本書の検討を通じて明らかになるはずです。

 次の目次を見るとおわかりいただけるように、本書は、本ホームページの連載に肉づけした形になっていますが、実際にはそれは、本書を執筆する下準備として、連載という形で公開しておいたものです。ここでは、はじめに、目次、参考文献、索引、奥付と、第1章、第4章、第7章の冒頭の一部を pdf ファイルの形でご覧いただけるようにしました。

はじめに
目次
第1章青木まりこ現象≠フ意味――書店でトイレに行きたくなる理由
第2章 片づけができない、落ち着かない
第3章 締切まぎわの問題――締切近くまで課題に取り組めない理由
第4章 心理的原因を探る 1――単発的な発症
第5章 心理的原因を探る 2――繰り返される症状
第6章 マリッジ・ブルーとマタニティー・ブルー
第7章 子どもの虐待の裏側 1――子どもへの愛情の否定
第8章 子どもの虐待の裏側 2――母親に対する愛情の否定

参考文献
索引
奥付

 幸福否定という現象について書いた著書は、これで3冊目になります。これまでの著書(『懲りない・困らない症候群』と『幸福否定の構造』)とは違って本書は、私の心理療法について具体的な方法がたくさん書かれており、その点も、本書の大きな特徴になっています。本書を精読してくだされば、その方法がほとんどわかるようになっているので、技術的には、それだけで私の心理療法と同じ方法が使えるようになるはずなのですが、そこには大きな障害が横たわっています。それは、本書の随所に書かれている〈抵抗〉という現象が、人間にあまねく存在するためです。これは、いわば人間の心に内在する〈悪魔〉です。幸福否定を生み出すこの存在こそ、この考え方を、従来の技法と同列に扱うことができない最大の理由であり、従来のあらゆる科学知識と同列に扱うことができない最大の理由なのです。

 その存在は、知的なレベルだけで理解することは不可能ですが、本書を精読する過程で、あちこちで起こる〈反応〉――眠気、あくび、一過性の心身の変化――を通じて、経験的に知っていただくことは可能です。というよりも、それ以外の方法は事実上存在しないのです。それによって、本当の意味でその存在が実感できれば、それだけで、従来的な世界観や人間観が根底から覆るのはまちがいありません。本書を、そのような角度からお読みいただければ、本書を執筆し、苦労して上梓した甲斐があったというものです。

 本書は、今回の出版に至るまでに複雑な経緯を経たおかげで、書籍出版の過程としてはきわめて異例なことなのですが、5社の出版社の編集者を含め、結果的に総計7名の編集者に目を通してもらっています。今回の最終稿は、主としてそのうちの4名の方々の意見を容れて修正したものです。もともとは400ページ(四六版、13級、17行X44字)を優に越える本だったのですが、編集者諸賢の示唆により、贅肉をできるかぎりそぎ落とし、目次、索引、奥付も含めて302ページにまで絞り込みました。その際、もちろん本文も削りましたが、それに加えて、1ページに収まる字数を増やすという方法をとりました。使用フォント(小塚明朝)が比較的大きく見えるため、そのサイズを、書籍本文の通常の大きさである13級から12.6級と3パーセントほど落とし、1ページを19行にして、1行に入る字数も増やしたのです。書体のおかげもあって、19行にしては読みやすく仕上がったように思います。

著  者: 笠原敏雄
出版社: すぴか書房
定  価: 2940円(消費税含む)
体  裁: 四六版(128x188ミリ)上製、縦組み
総頁数: 302(索引7ページ含む)
発売日: 2010年7月6日


Copyright 2010 © by 笠原敏雄 | created on 6/18/10 | last modified and updated on 3/14/11