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 書評 当事者研究――1.『技法以前』






『技法以前――べてるの家のつくりかた』(医学書院、2009/10/1 刊行)
向谷地生良(著)
A5版、245 ページ

著者の立ち位置

 本書は、『技法以前』というタイトルから推定されるように、当事者研究などの生みの親である向谷地生良(むかいやち いくよし)さん(以下、著者)が、その創出や展開にまつわるたくさんの “裏話” を披露し、その “手のうち” を明かしながら語りあげた、当事者研究を実践するための心得集のようなものです。サブタイトルから推定されるような、「べてるの家のつくりかた」を伝授するための指導書ではありません。それは、経験的に導き出された、いわば高度の生成的技術体系を、ふつうの教科書のようなものを通じて伝えることはできないからでしょう。

 ふつうの専門家教育では、教科書を使って知識を伝達し、実習を通じてその技法を習得させてゆくわけですが、「マニュアルのない」べてるの家は、そうした通常の方法では作れないということです。その “精神” が伝えられさえすれば、技術はおのずからついてくるものですが、秘伝ではないにしても、その伝授は実は相当に難しいのです。著者も、無二の伴走者である浦河赤十字病院精神科の川村敏明先生も、べてる以外では当事者研究はできないという “通説” に反論していますが、べてるの家の主流たる統合失調症に限って言えば、その実現は、不可能とはいえないまでも、たぶん簡単ではありません。

 その伝承が難しいことは、たとえば精神分析を考えるとわかります。フロイトの有能な愛弟子たち全員が、フロイトと同じことをするようになったわけではなく、その多くが創造性を発揮すべく自らの独自性を打ち出そうとしましたし、それどころか、一番弟子のはずだったユングを筆頭として、早々に離反した弟子すらいたからです。逆に、フロイトの理論をそれなりに継承したとされるアメリカの有象無象の専門家たちは、フロイトを神格化し、その理論を宗教の教義のようにして崇め奉るまでのことをしました。精神分析を離れたある精神科医(イアン・スティーブンソン)は、ロンドンの精神医学研究所の教授から、「丸腰で街を歩いてだいじょうぶか」とまで心配されたそうです(Stevenson, 1990, p. 8)。これが、著者の嫌う「専門家の権威化」(48 ページ)という、現実にはごくふつうに起こる展開なのでしょう。

 当事者研究でもうひとつ重要なのは、言うまでもなくその “治療効果” です。当事者研究は、病気を “治す” ための手段ではなく、「当事者自身がみずからのかかえるさまざまな生きづらさを『研究テーマ』として示し、仲間や関係者と連携しながらユニークな理解や対処法のアイデアを見出して、現実の生活に活かしていこうとする」(90 ページ)営みだそうですが、結果的には、「その後Aさんは、見事にリストカットと大量服薬の悪循環から抜け出すことができた」(29 ページ)といった記述にも見られるように、やはり症状や問題行動の軽減効果が実際に確認されているということです。なお、この引用文中の「見事に」という少々演劇的に感じられる感嘆詞は、後述するように、べてるの家の当事者研究の重要な特徴をかいま見せてくれているように思い

著者の立ち位置

 川村先生は、2014 年に定年退職をした後、病院の近くにクリニックを開設しました。それと並行して、浦河赤十字病院は予定に従って精神科病棟を全廃したそうです。その結果として、べてるの家の当事者たちは入院が難しくなったわけですから、べてるの家は、その本領を発揮する必要性がそれまでよりもはるかに高くなったはずです。そのべてるにしても、依然として強力な牽引役を務めている著者がいずれ引退する時を迎えます。その時、著者に代わる立役者は果たしているのでしょうか

 また、当事者研究の拠点も、東京池袋でホームレス支援を中心に活動しているらしき息子さんの「べてぶくろ」をはじめとして、関東地方を中心にいくつかできているようですが、どこも向谷地頼みのように見えますし、早くも活動休止に追い込まれた拠点もあるようです。活動が続いている拠点にしても、「三度のめしよりミーティング」という本家と違って、ミーティング自体がかなり間遠らしいのです。分家を、向谷地さんから独立した形で、しかも実りのある形で実際に継続、発展させるのは至難の業のように見えます。

 本レビューでは、そのような事情を勘案して、この “技法以前” の伝承の難しさと、当事者研究という技法を通じて得られる “治療効果” の仕組みという、ふたつの側面を扱うことにします。このふたつは、別の事象であるどころか、最も重要な点でつながっていると思うからです。以下、説明のつごうから、治療効果の仕組みという問題を先に検討することにします。

著者の立ち位置

 『レッツ!当事者研究1』(2009年、地域精神保健福祉機構・コンボ刊)のレビューに書いておきましたが、フィンランド発の「オープンダイアローグ」という急性期精神症状のための対応法と当事者研究は、症状を軽快ないし消失させる効果という点では似通っているものの、その効果の仕組みはおそらく質的に違っています。症状を消失させるという意味での効果は、前者のほうが圧倒的に大きいのです。それに対して、当事者のいわゆる自己洞察を深めるという側面では、後者のほうがおそらく圧倒的にすぐれています。精神病理学的な観点からすると、統合失調症のいわば舞台裏をかいま見せてくれる当事者の率直な発言がたくさん聞けるという点で、後者のほうが格段に興味深いと思います。では、両者の差はどこに由来するのでしょうか。ここに統合失調症を筆頭とした、難治性とされる精神疾患の謎を解く有力な鍵があるはずです。

 方法論の違いを手短に言えば、次のようになります。オープンダイアローグでは、急性症状が出現した状況を、現に(初発)急性期にある当事者やその家族から、対等な立場に立つ治療チームが詳細に聞き出すという方法が中心になっているのに対して、当事者研究では、当事者自身が、自らかかえるさまざまな生きづらさをテーマにして、仲間や関係者の協力を得ながら、「ユニークな理解や対処法のアイデア」を見つけ出し、それを現実の生活に活かしていくことをその主眼としています(90 ページ)。当事者研究では、症状を含めた「生きづらさ」を逆手にとるなどして、実生活の中で暮らしやすくするための工夫を、当事者を中心にした仲間たちで、第三者的な立場から「研究テーマ」として検討し合うということです。

 オープンダイアローグと当事者研究は、当事者と支援者とが人間として対等な関係にあるという点では、まったくと言っていいほど同じです。とはいえ、数多くの人たちを無作為に相手にしなければならないオープンダイアローグでは、私人として当事者に接することまではないのに対して、当事者研究では、「スタッフも、当事者も家族も、いつも何かにつけて一緒に食事をしながら、睦まじく時間を過ごすという習慣が定着している」(181 ページ)そうなので、私生活でも「仲間」としてつきあっているということです。

 当事者たちと公私を問わずともに行動している著者は、実にさまざまな場面に立ち会い、その中で起こった出来事を見聞きしています。数多くの当事者たちとの密な接触をここまでしてきた専門家は、質量ともに他にはいないのではないでしょうか。世界的な視野で見ても、そうかもしれないと思うほどです。そのため、後述するように、当事者とやりとりしている中で起こる症状や問題行動の劇的軽快や消失の他に、目の前で起こった出来事もたくさん報告しているわけです。次に紹介するのは、その典型例と言えるものです。

 著者が、勤務を終えて帰宅する際、それぞれの自宅に送り届けるべく4人の女性メンバーを車に乗せていた時のことです。その中には、頭を強く殴り続けるという症状が、べてるに来てからほとんどなくなっていた宮西勝子さんもいました。その宮西さんが、「向谷地さん、私、頭を叩きそうなんだけど」と言い出したのです。これは、症状が出そうな徴候を感じたら、すぐに仲間に知らせるという、べてるの家の “おきて” に忠実に従ったたまものです。それを聞いた3人の女性たちは、当然のことながら宮西さんを止めようと介入します。ところが、それがむしろ逆効果となり、宮西さんは「固く握った右手のこぶし」で自分の頭を強く叩き始めたのです。

 女性たちは、宮西さんの右手を押さえようとしたり、頭にマフラーを巻いたりするなどして、何とかしてそれを阻止しようとしました。そのような状況の中で、たまたまあるメンバーが、背後から、宮西さんの右の脇腹をくすぐり始めたのです。すると宮西さんは、笑いながら体をよじり、頭を叩く手を休めたのだそうです。それを見た他の女性ふたりも、この「こちょばし〔くすぐり〕作戦」に加わります。

 首筋や左のわき腹をくすぐる。すると宮西さんは笑いころげながら『もう大丈夫!』と仲間に言った。仲間がゆっくりと手を離すと、宮西さんはフーとため息をついて『止まっちゃった!』とうれしそうに言った。〔中略〕「きっと笑ったからだと思うよ。笑うことで、“身体の誤作動”が解けたんだね。(213-214 ページ)

 このような経過で症状が消えたのは、おそらく、気持ちがそれた結果、自傷行為の原因となっていたものにとらわれる必要がなくなったためでしょう。これは、一般にもよく見られる経過ですが、本書には、同種の劇的な事例の報告が他にもいくつか掲載されています(たとえば、200 ページ)。いずれにせよ、このような報告は、これらの症状が心因性のものであることを教えてくれるのです。

 これらは、症状の原因に関係する事柄から気持ちがそれ、症状を作る必要がなくなった結果として消えたと考えられるわけですが、それとは別の仕組みで症状が消えたらしい実例もあります。当事者研究で症状が軽くなったり消えたりする仕組みとして最も多いのは、むしろこの種のもので、それがまた、べてるの方法論の伝承が難しい理由にもつながっているように思われるのです。

 その格好の実例としては、高校時代にバスケットボール部の選手だった統合失調症の男性の事例があげられます。この男性は、「きみは全米プロバスケットボールにスカウトされたよ!」と、テレビ画面のマイケル・ジョーダンから告げられたというのです。言うまでもないでしょうが、マイケル・ジョーダンとは、「バスケットボールの神様」と称賛された、全米プロバスケットボール(NBA)のかつての花形選手です。

 この男性は、そのため、アメリカに行くつもりで荷物をもって空港に出かけ、そこで保護されて入院するという経過を繰り返していたそうです。著者は、初対面のその男性に向かって、「いろいろな心配やご苦労があってのことだと思いますが、もしよろしかったらそのへんの事情を最初にうかがわせていただければと思います」と丁重に語りかけます。すると、この男性は、「マイケル・ジョーダンの誘いを断りたいと思いながら、断り切れずに行動化を繰り返していた」という “内輪の事情” を明かしました。そこで著者は、「一緒に断り方を研究してみましょうよ」ともちかけて、べてるの家の定番になっているSST(社会技能訓練)を使って、その断わりかたをその場で練習させたのです。

 まず、著者がジョーダン役を演じて、「オメデトウゴザイマース! このたび貴方は、NBAに採用が決まりました。さっそくアメリカに来てクダサーイ」と男性に語りかけます。それに対してこの男性は、「しっかりとした言葉で、『ありがたいんですが、いまは行けないんです。すいません……』と丁寧に断る」ことができたのでした。

 そこで一段落したはずだったのですが、この時、もうひとつの問題が浮上しました。ジョーダンの誘いは何とか断れるとしても、「チアガールの美女の誘いは断ることができないんです」と、この男性が言い出したのです。そこで著者は、今度はチアガールになって、男性に語りかけました。「〇〇さーん、オメデトウゴザイマース。このたびNBAにスカウトが決まりましたので、ぜひアメリカに来てクダサーイ。チアガールの私たちが待っていますよ!」。この男性は、その語りかけに対して、次のような驚くべき返答をしたのです(76-78 ページ)。

 誘ってもらうのはうれしいんだけど、ぼくは幻聴のあなたではなく、本当のあなたに会いたいので、今回はお断りします。(79 ページ)

 その後この男性は、「電話当事者研究」を著者と続け、4か月ほど後には、「もう行動化は止まったから……〔中略〕これを発表するから講演に連れて行ってほしい」という電話をかけてくるまでになったのだそうです(81 ページ)。まさに一件落着です。べてるには、この種の実例がたくさんあります。では、このような手法が、幻覚・妄想という難攻不落とされる症状に有効なのは、どうしてなのでしょうか。

 著者が使ったこの技法は、いわば当事者の妄想の中に「降りて行く」ものです。その点に着目すると、この手法は、アメリカの著名な精神分析家だったロバート・リンドナー(1915-1956 年)が意図的に用いた「参加療法 participation therapy」(Lindner, 1955, p. 195)と質的には同じものであることがわかります。ちなみに、この方法は、見る角度によって「対峙 confrontation 法」と呼ばれることもある(Rokeach, 1964, pp. 33-36)ようですし、「挑発療法 provocative therapy」と呼ばれることもある(Farrelly & Brandsma, 1974)ようです。

 リンドナーは、本来は抜け出すことの許されない極秘の国立研究所(ロス・アラモスの原爆研究所)に勤務している物理学者の心理療法を国費負担で依頼され、長期にわたって続けていました(リンドナー、1974年、200-264 ページ)。それは、この物理学者が、宇宙を自由に駆け巡っているという長年続いている妄想により、仕事の効率が著しく低下しているためでした。

 ところが、その治療期間中に、もともと空想癖の強いリンドナー自身が、あろうことか本来の意図を越えて「ユートピア空想の魔力」に引き込まれてしまったのです。そして、その妄想に積極的に関与するようになったばかりか、妄想を先導するほどまでになってしまったのでした。その結果、その妄想の維持にいわば熱意を失ったクライアントは、その妄想から降りてしまうのです。いわく、「あれはみなウソッぱちです。全部ウソだったんです。自分で捏造していました。あのナンセンスは、全部が全部ぼくの発明〔作りごと〕なんです」(同書、261 ページ)。

 妄想というものは、否定される力をエネルギー源とすることで、ようやくその勢力を維持できる種類のものなのでしょう。

 著者もどこかに書いていましたが、定説と違って、妄想とは当事者が完全に信じ切っているものではなく、自分でも空想であることをどこかで知っているものです。そのため、相手から本気にされてしまうと、逆にその内容が嘘っぽく感じられてしまうため、妄想を維持することのほうがむしろ危険になり、自分から放棄してしまうという結果になるのでしょう。

 それに対して、オープンダイアローグが使っている技法は、むしろ小坂英世先生(小坂、1970 年、1972 年)がその初期に使っていたものに近いようです。この問題は、詳しくはオープンダイアローグ関係の本のレビューに書くことにしますが、簡単に言うと、急性症状の出現や悪化に関係する(記憶の消えている)出来事や状況の周辺にまで話が及ぶと、いわば無意識のうちにそれ以上の詮索を恐れて、その瞬間に症状を投げ出してしまうということです。

 “寸止めルール” のように、その段階で止めておけば無難にすむのですが、科学者の視点でその先を探究(詮索)しようとすると、今度は一転して大変なことになります。オープンダイアローグは、おそらく症状が薄れるか消えるかしたのを見て、無自覚的にそれ以上の詮索をしないで放置するため、“有効な治療法” として使えるということなのでしょう。その結果、当事者は、緊迫感が消えて楽になったと感ずるだけで、それ以上のことはあまり起こらないはずです。

 話を戻すと、妄想をもつ当事者に対して先述の対応をする場合の心得として、著者は、「そういうことはありえない」と断定的に告げるとか、否定も肯定もせずに聞き逃すという通常の方法をとるのではなく、「できるだけ大げさに、かつ前向きに話題にのること」(76 ページ)を勧めています。それによって、全体をより非現実的なものにするとともに “軽薄化” するわけです。さらには、先ほど見たように、当事者をおだてあげるようなことまでするのです。

 著者は、ある精神科医の言葉をそのまま採用し、「当事者研究という営みも、私は見事な一つの “かどわかし” だと思っている」として、次のように述べています。

 実は、統合失調症をもつ人たちは、幻覚や妄想という “かどわかし” の世界から抜け出ることに躊躇している人でもある。その背景には、「生命感覚」と「人とのつながり」という生々しい現実に降り立つことへの恐れがある。しかし、当事者研究のもつユーモア精神をまじえた遊びごころと、幻聴を「幻聴さん」と呼ぶような、“かどわかし” の世界のさらに上をいく “かどわかし” によって、メンバーは安心して現実に降り立つことが可能となるのである。(245 ページ)

 これが、いわば著者の統合失調症観です。そのため、技法としては、「毒をもって毒を制す」ではありませんが、幻覚・妄想という極度の思い込みをしのぐ、空想的な演技で勝負するということなのでしょう。この場合、当事者が無意識的に直面している何かから意識をそらせるという方法を使っているので、症状が消えたとしても、オープンダイアローグの場合ほど“安定的”ではないはずです。両者では、症状が消える仕組みが違うからです。この場合、当事者の側も、一種の演技のように軽い気持ちでいるため、“かどわかし” にあっていることを意識で承知していても、効果はあまり変わらないでしょう。

 ただし、いわゆる “社会復帰” という側面を考えると、当事者がいわば危険を察知して自ら降りてしまうという仕組みを無自覚的に利用したオープンダイアローグのほうが、はるかに成功しやすいでしょう。それも、べてるの家の場合と違うところです。逆に、オープンダイアローグを受けた当事者たちには、「病気のおかげ」とか「治りませんように」などという “自覚” は出てこないでしょうし、ましてや、統合失調症の “手のうち” を明かすようなことは、まちがってもしないはずです。

 次は、この問題も含めて、その伝承の難しさはどこにあるのかという問題を、また別の角度から考えることにします。まず、著者のような“治療的”態度をとることについてです。このような姿勢は、訓練すれば仕事としてはできるようになるかもしれませんが、日常生活にまで延長させるのは難しいでしょう。ところが著者は、先述のように、実生活の中でも同じような姿勢を貫いているようなのです。その結果、当事者たちは、「安心して現実に降り立つこと」ができるわけです(245 ページ)。これこそが、向谷地流がその本領を発揮できるゆえんなのでしょう。

 著者はまた、次のような姿勢についても語っています。ここでは、当事者宅を、家族に依頼されて、しかし当事者には知らせないまま電撃訪問するという「暴挙」について述べています。

 突然訪問のポイントは、先々を考えないことである。それは一瞬一瞬に起きてくる場面や出来事に対して、そのつど状況を判断して、一歩一歩と現実に迫っていく。その瞬間瞬間にもっとも必要な言葉と一体となった振る舞いを繰り出す。いわゆる暗黙知の世界である。
 それはたしかに暴挙であるが、その面では幾多の失敗と修羅場をくぐり抜けてきたという自負がある。「出て行ってください!」と警察を呼ばれたこともあるし、ドアを開けた途端に殴られたことも、玄関からつまみ出されたこともある。
 しかし大切なことは、何事もなかったようにまた人の前に出かけていくことである。
 警察を呼び、追い返したにもかかわらず、当事者のかかえる困難な現実というドアをコツコツと叩きつづけ、威圧する言葉にも怯むことなく、腹も立てずにたたずむ。そんな不思議な人として「関心をもたれる」ことを、私はずっと心がけてきた。(54 ページ)

 これは、よほどの修行をしているか、敬虔な信仰でもなければ相当に難しいことなのではないでしょうか。このような姿勢を自然にとることと治療効果とがもし密接に関係しているとしたら、“技法以前” の伝承は、さらに難しくなるはずです。

 べてるの家は、当事者たちとともにこれを作りあげた著者がいつも中心にいることで運営されているのは、少なくとも現時点では、誰が見てもまちがいないところです。著者は、当事者研究を、べてる以外でもできることの証拠として、札幌近郊の町に住み「独学で当事者研究を続けている」森亮之さんの例をあげています。「浦河だから、べてるがあるから、当事者研究はできる」という通説がまちがいであることを、森さんはそれによって証明したというのです(173-174 ページ)。これは、当事者研究であって、べてるの家を作ることではありませんが、それにしても、著者とは別個に行なわれたわけではありません。統合失調症の場合、当事者研究にしても、おそらく稀な例外を除いては、どうしても著者の関与が必要なのです。

 もうひとつの問題は、川村先生という精神科医の存在です。「私と向谷地さんがパートナーシップを持ってやっていけば、状況を変えていけるという思いはありました」(川村、稲葉、2003年)と述懐する川村先生がいなかったとしたら、今のべてるは、まちがいなく存在しなかったでしょう。それは、わが国にオープンダイアローグのような方法を導入するのがおそらく難しい(高橋、2016 年)のと同じ理由によるものです。

 「退院から外出まで、あらゆる許可を与える権限が医者に集中するという権威的な構造があって、皆が医者の顔色をうかがって」いるわけですが、それは、精神科の患者ばかりではありません。その点については、病院に勤務する各専門職員も同じなのです。医療行為は原則として医師の指示によってしかできないことが法律で規定されており、ソーシャル・ワーカーもその例外ではありません。そして、この “医療行為” が現場では往々にして拡大解釈されてしまうのです。ところが、「公私一体」を旨とする著者は、それをものともしなかったようです。そのため、勤務先から「不興を買った」著者は、「精神科病棟出入り禁止」「患者との接触禁止」を言い渡され、その措置が足かけ5年にも及んだというのです(浦河べてるの家、2002年、37 ページ)。

 しかしながら、「限界、分際をわきまえる」、「治せない医者」を標榜することになる川村先生が1988年に再赴任し、その翌年にその措置を解いたことで、浦河赤十字病院精神科とべてるの家との連携が本格的に始まったわけです。川村先生は、精神科医としては出色の人で、「他のやり方〔すなわち、向谷地流〕のほうが優れているのはわかってますから、無力感は感じ」るが、「いろんな人の可能性、役割を生かす役割」を果たすべく、「相手のやり方を潰すのではなく、一歩引く方向に自分をコントロールする」ようにしていると、自分の立場を “わきまえ” たうえで率直に語っています。このことからもわかるように、川村先生は、自分のことではなく、当事者にとって何がよくて何が悪いのかを絶えず真摯に考えている、ごく “当たりまえ” の人なのです。

 べてるの家を作るためには、このような当たりまえの精神科医がどうしても必要です。つまり、べてるの家は、たぐい稀な存在としての著者と、同じくたぐい稀な、当たり前の存在としての川村先生という絶妙の組み合わせがあって初めて作りあげられ、運営が続けられたということなのです。これは、願っても叶うようなことではありません。

 では、こうした絶望的に見える状況を打破するには、どうしたらいいのでしょうか。その “技法以前” は、どうすれば他者に伝えることができるのでしょうか。著者はどこかに、「私の背中を見ろ」と書いていたように記憶していますが、要するにそういうことなのでしょう。つまり、著者のもとに弟子入りし、昔の職人や芸人のように、長い時間をかけて “師匠の技を盗む” 必要があるということです。どこの世界でも、高度な技芸はそのようにして伝えられてきたのです。

 既に始まっている自閉症などの障害や疾患の当事者研究(たとえば、綾屋他、2013 年;Kumagaya, 2014)を個別に行なうことであれば、それほど難しくはないでしょうが、統合失調症の “べてるの家” の分家を作るとなると、このような手順を踏んだとしても、このふたりに匹敵するような筋金入りの人たちが、一から始める必要があるように思います。

 もしそれを、著者の薫陶を長年受け続けた当事者たちが独自にできるようになったとしたら、それこそが著者の最も喜ぶことだろうと思います。万が一それが可能であるとすれば、統合失調症という最も難治性とされる精神病の “治癒” への道が、本当の意味で開けることでしょう。べてるの家の分家を作って継続させることは、両者に均等に課せられた大いなる課題と言えるのではないでしょうか。

参考文献

2018年1月11日
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