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 レビューの検討 2 スティーヴンソンの研究への批判について

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はじめに

 超常現象の研究に対しては、19世紀末にその科学的研究が欧米で始められた時から、信じがたいほど非論理的な批判はもとより、その研究者への見境のない人身攻撃までもが、性懲りもなく繰り返されてきました。超常現象の研究者は、かつての西洋における“魔女”のような立場に立たされ続けてきたのです。死罪の宣告こそ受けることはないものの、そうした状況は、本質的には今でもあまり変わっていません。この由々しき問題は、既に本サイトのいくつかのページ(たとえば、「超常現象批判の論理学と病理学」「ことの重大性と超常現象研究」「超常現象と出版社」「奇術と超常現象」)でもとりあげています。

 この問題については、いくつかの拙著でも、かなり厳密な検討を行なっています(『サイの戦場――超心理学論争全史』〔平凡社、1987年刊〕、『超常現象のとらえにくさ』〔春秋社、1993年刊〕、『超心理学研究』〔おうふう、1994年刊〕、『超心理学読本』〔講談社プラスアルファ文庫、2000年刊〕)。それは、こうした没論理的批判に対して、単に反論しているということではありません。今さらそのような反撃を加えたところで、状況は何も変わらないからです。百年以上も膠着状態が続いてきたのです。それを打破するには、これまでとは全く異なる、新しい大局観や戦略が必要になるはずです。私がこの問題に強い関心を持っているのは、膠着状態が異常に長く続いてきたこと自体にこそ、重要な手がかりがあるに違いないと考えるためです。

 いずれにせよ、超常現象の研究者とその批判者たちとの間では、百年以上もの長きにわたって、大小の論争が際限もなく繰り返されてきたわけです。それは、この間、ほとんど進歩がなかったということです。この戦いは、言ってみれば、正規軍の兵士たちが数を尽くして頑丈に守りを固めている、巨大かつ堅牢な城砦に、小人数の騎馬兵が、急所と思しき一角をねらって奇襲をかけるようなものでしょう。案の定、まもなく衛兵に見つかり、圧倒的な火力で反撃されてしまいます。騎馬兵たちは、それによって全滅したとしても不思議はないのですが、ここでいつも奇妙なことが起こるのです。

 正規軍側からすると、騎馬兵たちに壊滅的な打撃を与えたはずなのですが、当の騎馬兵側から見ると、その反撃は的が大きくはずれていたため、損害らしいものもほとんどなく、自らは依然として高い士気を堅持しています。一方、騎馬兵たちの眼には、その城壁に大きな亀裂を入れることに、場合によってはその一角を占拠することに成功したように映るのですが、正規軍の兵士たちの眼には、その反乱軍はいとも簡単に撃退され、自陣は浅手ひとつ負わなかったように映るのです。この食い違いの原因はともかくとして、両者は、ここに重大な齟齬が発生していることにほとんど気づかない様子です。そして、両者ともが、次こそは完全なる勝利を収めようとして、自陣や戦術の弱点を補強し、あらためて陣容を整え、再び相まみえるのですが、どういうわけか同じような結末になってしまうのです。

 このように、なぜか奇妙にして深刻な食い違いを見せる戦いが、現在に至るまで、何度となく繰り返されてきたわけです。百年以上が経過する間には、周囲の風景は、当然のことながらまるで変わってしまっているのですが、その城砦だけは相も変わらず、両陣営にそれぞれ見えていた通りに見えるのです。つまり、騎馬兵たちの眼には、これまでの戦いで城壁につけた大小の亀裂がはっきりと見えるのに対して、正規軍側には、自陣は相変わらず無傷で安泰なように見えるということです。なぜ両者は、百年以上もの間、ほとんど前進も後退もすることなく、同じ前線で戦いを繰り返してきたのでしょうか。これは、科学論争史的に見て、きわめて異例なことと言わざるをえません。どこかに、大きな問題が潜んでいるということです。

 ある科学社会学者は、一般の科学分野で起こった「膠着状態の解決もしくは決着は、『科学的』と普通考えられる方法とは別の強引なやり方でもたらされるのである。こうしないことには科学論争が収まることはない。〔中略〕多くの科学上の論争がそうであったように、反対意見を打ち負かすものは事実でも理屈でもなく、力と数の論理なのである。事実と理屈は常に確実な根拠とはならない」(コリンズら、1997年、148、153ページ)と述べています。いわば非科学的な方法でしか決着がつかないというのです。この点については、どの分野でも似たり寄ったりなのかもしれません。とはいえ、超常現象にまつわる論争は、これともどこか違うようです。

 ひとつには、このように、圧倒的な「力と数」で敵を殲滅したかに見えても、反乱軍側は全くと言ってよいほど打撃を受けず、再び新たな作戦を練りながら力を蓄え、次の戦いに臨むからです。正規軍側からすれば、徹底的に打ち滅ぼしたはずなのに、いつもどこかに残敵がいて、しばらくすると必ず息を吹き返すように見えるでしょう。もうひとつの違いは、攻撃に際して用いられる兵器や戦法が、ほとんどの場合、他の分野で用いられるものとは質量ともに異なっていることです[註1]

 超常現象の研究者でもある、デューク大学工学部のエドワード・ケリー研究員(現、ヴァージニア大学医学部精神医学科研究教授)は、この点について、次のように指摘しています。「他の点では有能な、場合によっては著名ですらある科学者が、その発言を聞く限り何も知らないことは明らかなのに、この問題に関して十把一からげ的に白黒をつけたがる〔中略〕。この分野の批判者を自称する者は、学問的な礼儀作法の基準に縛られていないと思っているらしい」(ケリー、1987年、380ページ)。ケリー教授の言うように、一般の科学者たちは、建前としては公明正大を謳っているにもかかわらず、相手が超常現象となると、お家の一大事とばかりに浮き足立ち、国際法違反とも言うべき兵器や戦法をさまざまな形で繰り出して、われらこそ正義とばかりに、有無を言わせず反乱軍を鎮圧しようとしてきたのです。

 超常現象の主張をなきものにしようとして繰り出す武器や戦術は、各方面で名を馳せた著名な科学者の場合でも同じです。私は、ある小さな講演会で、イアン・スティーヴンソン教授の生まれ変わり研究について話した時、ひとりの聴衆から、超常現象の研究やその研究者を見下していることが誰の耳にも明らかな質問を、例によって受けたのですが、この時がまさにそうでした。その没論理的な質問の主は、世界的に著名な科学者であることを後で知ることになったのですが、それは、何とその科学者がノーベル賞を受賞したことを知らせる新聞の写真を見た時だったのです(まさかと思って調べてみたのですが、その科学者は、まちがいなくその講演会に来ていたことがわかりました)。関心があるからこそ、わざわざ講演会に足を運んだのでしょうが、それと完全に矛盾するような態度をとるのはなぜなのでしょうか。見下すことで満足感に浸るためなのでしょうか。それとも、何か別の理由があるのでしょうか。

 ケリー教授が指摘しているように、超常現象の主張をなきものにしようとしてきた一部の科学者たちは、ほとんど、あるいは全く知識がないまま、他の専門領域にまで堂々と口を出してくるわけですが、そればかりではありません。自らの専門分野であったなら、科学者としての資質や品性を疑われるような発言を、なぜか恥も外聞もなく行なってきたということです。その実例は、先の『サイの戦場――超心理学論争全史』にたくさん掲載されています。そうした事実を冷静に見すえる限り、それ自体が説明を要する現象(ルシャン、1987年、425ページ)であるのはまちがいありません。

 以上述べてきたのは、主として欧米の事情です。では、わが国の場合はどうなのかと言えば、ここには彼我の差がかなりあるのです。欧米では、スティーヴンソン教授のいたヴァージニア大学など、超常現象専門の研究機関が設けられた名門大学が存在することに加えて、超常現象を扱った論文が、一流とされる科学専門誌や医学専門誌に掲載されることも、少なからずあります。そのことは、アメリカの国立医学図書館が運営する PubMed というオンライン・データベースで調べれば、すぐにわかるはずです。翻ってわが国では、少なくとも私の知る限り、きちんとした科学専門誌や医学専門誌に、超常現象を扱った研究論文が掲載されたことは全くと言ってよいほどありません[註2]。わが国の科学者たちは、その現状に疎いまま、自分たちの基準で考えるため、この断絶ともいうべき隔たりがあることに気づかないのです。本稿で問題にするのは、まさにこの部分です。

 わが国の状況は、深刻な状況にある欧米の状況と比較してもさらに深刻で、寛容度もさらに低く、この方面の研究は、さらに“うさんくさく”見られてしまっているわけです。そのため、真理の探究ということに関心が薄いこととも相まって、超常現象の研究者はきわめて少ないという現状があります。後ほどふれるように、わが国で活動する研究者は、そのほとんどが、抵抗が圧倒的に小さい“気”の研究を標榜しているのです(Japanese Studies on Anomalous Phenomena in the 1990s 参照。日本語版は、「特異現象に関する1990年代の日本の研究」)。加えて、大学院の学生であれ大学の教職員であれ、個人的なレベルであっても超常現象の研究にかかわっていると、学位が取得できなかったり、昇進できなかったりすることが、欧米にも増して少なくないようです[註3]。実際にも、大学院に進学するために、あるいは学位を取得するために、それまで続けてきた超常現象の研究をあきらめたという話を、周囲から聞いたことがあります。

 今回、この問題をあらためてとりあげるのは、最近、非常に興味深い実例が得られたためです。これは、専門の科学者によるものではなさそうですが、ウェッブ上の匿名による発言であるため、問題点がそのままの形で露呈しています。したがって本例は、超常現象研究に対する、科学者や科学啓蒙家の側の抵抗の強さを知るうえで、非常に参考になると思います。

事例の紹介と検討

1 スティーヴンソンの生まれ変わり研究に関する質問

 本例は、入試問題ネット投稿事件で一躍有名になった公開質問サイトである「ヤフー知恵袋」に、昨2010年夏に投稿された質問に対する回答として掲載され、4通の回答の中から、質問者によって「ベストアンサー」に選ばれたものです。まず最初に、その質問をそのまま引用します。

◆ 科学論文雑誌、医学論文雑誌に発表されている研究は、信頼性のおける研究発表ばかりなのですか?(joy917harkさん )

「生まれ変わりという考え方の説明的有用性」、という論文を、イアン・スティーヴンソンが一流医学雑誌である『神経・精神病学雑誌』に発表して、この論文の別刷りを請求する手紙が世界中の専門家から1000通以上届いたそうです。また、スティーヴンソンは相当数の医学論文を書いている、と『続・あの世からの帰還』に本書訳者の笠原敏雄氏が記しています。
スティーヴンソンのオカルティックな「生まれ変わり」の研究それ自体は、信頼できる(嘘の無い)ものだとみていいと思いますか?

 最初に、言葉の問題にふれておきます。ここに、オカルティック[註4]という言葉が出てきます。広辞苑によれば、オカルトという言葉は、わが国では神秘的な事柄を指して使われるようです。しかしながら、スティーヴンソンは、自分の生まれ変わり研究を「神秘的」なものとは考えていなかったので、既にこの段階でゆがみが生じています。これは、ささいな問題のように見えるかもしれませんが、大変大きな問題なのです。

 ここで引き合いに出されているのは、拙訳書『続・あの世からの帰還』(日本教文社、2003年刊)の巻末に収録されている「訳者後記」の註1(323ページ)にある次の文章です。

 この年〔1977年〕、一流医学雑誌である『神経・精神病学雑誌 Journal of Nervous and Mental Disease』に発表した「生まれ変わりという考えかたの説明的有用性」という論文の別刷りを請求する手紙が、世界中の専門家から一〇〇〇通以上届いたそうです。スティーヴンソンは、それまで相当数の医学論文を書いていますが、これほどの反響はさすがに初めてだったそうです(Stevenson, 1989)。同じ年に、スティーヴンソンの生まれ変わり研究が、同じ雑誌(第一六五巻三号)で特集されました。

 スティーヴンソンは、心身医学の黎明期に活躍したハラルド・G・ウォルフやスチュワート・ウォルフなどの著名な研究者たちと共同で研究を行なっていることをはじめ、各方面で先駆的な業績を残している、きわめて優秀な医学研究者でした。その業績は多方面にわたっており、実際に数多くの医学論文を書いています。したがって、1960年前後に着手した超常現象の研究は、何もないところから思いつきで始めたものではなく、そうした基盤に立って、明確な問題意識のもとに心血を注いだライフ・ワーク的な領域なのです。それまで、細心の注意を払って厳密に研究を進めてきたため、スティーヴンソンの令名はつとに高く、評価の高い医学雑誌にも、受け入れられやすい態勢が整っていたのでした。

 この質問者は、「一流医学雑誌である『神経・精神病学雑誌』」に掲載されたと明記してあるにもかかわらず、この記述に疑問を持ったため、その信憑性について不特定の回答者を求めて質問したわけです。

 神経学や精神医学の専門家であれば、『神経・精神病学雑誌 Journal of Nervous and Mental Diseaseという専門誌は、メリーランド大学医学部精神科の長老格の教授(当時は、ユージン・ブローディ教授。現在は、その後継者である、元アメリカ精神医学協会会長ジョン・タルボット教授)が編集長を務め、Williams & Wilkins という老舗の医学出版社(現在は、Lippincott 社と合併)が刊行している、月刊の科学雑誌としては世界で最も古い(1874年創刊)、折り紙つきの雑誌だということを、多少なりとも知っているでしょう。したがって、その専門誌がスティーヴンソンの生まれ変わり研究の論文を掲載し、さらには、その研究の特集(Ian Stevenson on Reincarnation)を組んだとすれば、それがどれほど大きな意味を持っているかが、ある程度にせよわかるはずです。わが国で言えば、『日本精神神経学雑誌』という、この方面で最も権威のある専門誌が、生まれ変わり研究の特集号を出すようなものです。しかも、『神経・精神病学雑誌 Journal of Nervous and Mental Disease』は、『日本精神神経学雑誌』(1902年創刊)のようなローカルな医学雑誌とは違って、押しも推されもしない世界の一流専門誌なのです。

2 その質問に対する驚くべき回答

 論文の別刷りを請求する手紙が、世界中の科学者から1000通も届いたことについては、スティーヴンソン自身がある講演で語っています。その講演(Some of my journeys in medicine)を収録した資料は、文末の参考文献リストに明示されているので、質問者は、もし疑問があるのなら、自分でそれを調べて確認するのが筋なのですが、その講演記録の入手に手間どることや英語の論文を読むことを嫌ったためか、あるいはあまりに信じがたく、その疑念を共有する相手がほしかったためかはわかりませんが、ヤフー知恵袋という公開質問サイトで質問するという、安易な道を選んだわけです。それに対して4通の回答が寄せられ、質問者は、その中から次の回答を「ベストアンサー」として選びました。この回答者は、このサイトの常連回答者のようで、たくさんの質問に精力的に答えています。文章上の問題はいちおう別にして、その内容を見ると、科学者というよりは、むしろ、科学知識の吸収に熱心な、中学・高校の理科教師か農業高校の教師を思わせる人物です。この質問に対する回答も、悪意によるものではなく、おそらく善意で答えているつもりなのでしょう。

◆ ベストアンサーに選ばれた回答(kanjuhrouさん)

Ian Stevensonの研究そのものは別にオカルトではありません。
他の回答者の通り、質問者が読んでいる本において、意図的にねじ曲げた引用をしてい可能性がありますね。 いくつかIan Stevensonの論文要旨を読むと、まったくオカルトな内容ではありません。
生まれ変わりなどのオカルトな訴えをする当人は、それをおかしな事だと感じた家族が、精神科の診療を受けさせることがあります。Ian Stevensonは、そういう医学的訴えについて、「症例分析・報告」をしている医学者です。 ですから、「こういう訴えをした”患者”がいる・その訴えは次のようなものであった」という報告が、信頼のおける医学雑誌に掲載されるのは当然のことです。同じような”患者”に興味のある精神科の医師・医学研究者が別刷りを請求するのも当たり前です。
たとえばStevensonには、「前世についておぼえていること」を子どもの患者が訴えるとき、その家族がアメリカ人かインド人かで患者の訴え方・家族の反応には違いがある、というような論文もあります。結論は、診察時に患者・親の訴えを聞くときにはそういう背景に気をつけるべきだ、となっていますから、全然オカルトでも何でもありません。非常に医学的です。
生まれ変わりという現象を信じている人物が、「こういう生まれ変わりの経験をした人がいる」と同じ医学雑誌に投稿しても、掲載されるかどうか、わかりません。常識的には無理でしょう。
また、さも「生まれ変わりがあったと医学雑誌に載っている」かのように誤解させる文章が書いてあれば、そのような本は Ian Stenenson や医学雑誌の意図と全く違う形で「論文の掲載・別刷り請求」に関しての事実を語ったことになります。こういう引用・紹介の仕方は、オカルト本の常套手段としてよく知られた手法です。
質問者は、生まれ変わりという現象を信じている人物または、信じる人がいれば得をする人物の書いた本を読んではいませんか?

 要するに、イアン・スティーヴンソンはふつうの精神科医なので、生まれ変わりの妄想を訴える(小児)患者を診療し、その「症例」を「分析」しているにすぎず、診察する際に注意すべき点を論文にまとめて医学雑誌に発表しているだけなので、スティーヴンソンの研究は「非常に医学的」なものであって“オカルト”的なものではない、したがって、笠原敏雄という訳者がそれを「意図的にねじ曲げ」て引用している可能性がある、と言っているわけです。スティーヴンソン教授の研究をよく知っている者には、この回答者は、うそを承知で重ねていることが即座にわかります。質問者は、4通の回答のうち、ほとんどが作話で構成されたこの回答を、あにはからんや「ベストアンサー」として選んだのです。やはり、この回答者のように考えたかったということなのでしょう。

 先述の講演記録に目を通すだけでも、スティーヴンソンという不世出の精神医学者は、偏見や非難をものともせず、真理の探究に邁進する一生を送ったことがわかるはずです。スティーヴンソン教授は、自らの関心をひたすら追究するために、生化学、心身医学、精神分析、精神医学、超常現象研究と、さまざまな研究領域を渡り歩く中で出会った有名な研究者たちが、自分の主張や学説と相容れないデータや考えかたに直面すると、建前とは裏腹に、それを抹殺すべく、いかに自らの権威を振りかざすものであるかを、つまりは、自説をかばうために真理をゆがめるという、科学者にあるまじき態度をどれほどとるものであるかを、身をもって知ったのです。スティーヴンソンは、このようにきわめて旺盛な探究心と、世界に貢献したいという強い自負心とを併せ持った科学者なので、そもそも、回答者が書いているような、何の意味もない研究になど関心を持つはずもありません。

3 この回答を検証する

 この回答者が書いていることは、事実とはまるで正反対です。次に、問題点を各段落に分けて解説します。なお、見ての通り、文章自体にも、接続がおかしいなど文法上のまちがいその他がひどく目につきますが、何とか意味は通るので、その点は特に問わないことにします。

生まれ変わりなどのオカルトな訴えをする当人は、それをおかしな事だと感じた家族が、精神科の診療を受けさせることがあります。Ian Stevensonは、そういう医学的訴えについて、「症例分析・報告」をしている医学者です。

 前世の記憶を持つ子どもたちの場合、本人が生まれ変わりを主張するとは限りません。意識がなくなって、次に気がついたら今の小さい体になっていた、という認識の子どももいるからです。文化圏によって違うでしょうが、「それをおかしな事だと感じた家族が、精神科の診療を受けさせる」ということは、あまりないでしょう。ここで問題なのは、先にもふれたように、「Ian Stevensonは、そういう医学的訴えについて、『症例分析・報告』をしている医学者です」という部分です。これは、スティーヴンソンが精神科教授だったことから、事実を調べることなく、常識に基づく推定を重ねた結果なのでしょうが、スティーヴンソンの著書や論文に一度でもきちんと目を通したことがあれば、このような“曲解”は起こらないはずなのです。

ですから、「こういう訴えをした”患者”がいる・その訴えは次のようなものであった」という報告が、信頼のおける医学雑誌に掲載されるのは当然のことです。同じような”患者”に興味のある精神科の医師・医学研究者が別刷りを請求するのも当たり前です。

 スティーヴンソンはそのような報告を書いていないので、それが医学雑誌に掲載されることなど、あるはずもありません。世界中から1000人の科学者が別刷りを請求してきた論文とは、スティーヴンソンが1977年に発表した「The explanatory value of the idea of reincarnation(生まれ変わりという考えかたの説明的有用性)」という論文のことです。その抄録を見てもわかる通り、スティーヴンソンは、現行の科学理論では適切に説明することができない、人間の人格や生物学上のいくつかの側面が、生まれ変わりという考えかたを使えばうまく説明できるのではないか、と言っているのです。それは、たとえば、早期小児期に見られる恐怖症や偏愛、生後に身につけたはずのない技術、幼時に観察される親子関係の異常、特定の相手に対する復讐心や頑強なナショナリズム、幼児期に見られる自分の性別に対する強い違和感、生まれつきの母斑や欠損や内科的疾患、一卵性双生児に見られる不一致、妊娠中に出現する奇妙な食欲などのことです。そうした偏りが生後間もない時点から、あるいはごく幼少期からあるのはなぜか、という難問を解くのに、生まれ変わりという考えかたが使えるのではないか、と主張しているわけです。

 別刷りは、たいていは抄録や本文を読んでから請求するものなので、別刷りを請求してきた科学者とは、したがって、回答者の説明とは逆に、生まれ変わりという考えかたに関心を持った人たちです。そのような科学者が、世界中に1000人もいたということです。

たとえばStevensonには、「前世についておぼえていること」を子どもの患者が訴えるとき、その家族がアメリカ人かインド人かで患者の訴え方・家族の反応には違いがある、というような論文もあります。結論は、診察時に患者・親の訴えを聞くときにはそういう背景に気をつけるべきだ、となっていますから、全然オカルトでも何でもありません。非常に医学的です。

 この部分は、回答者の説明の中でも、作話がきわだっている部分です。「アメリカ人かインド人」や「子ども」という単語を使っているところを見ると、全く事情を知らないわけではなさそうですが、ごく一部の情報しか持っていないのでしょう。乏しい知識と、それまでの行きがかりから、こうした“結論”を導き出さざるをえなかったのでしょうが、それにしても、匿名とはいえ、公開のサイトで、いかにも事情に通じていることを装って、よくここまで平然とうそを書き連ねることができるものです。そこで、この回答が寄せられた3週間ほど後に、同じヤフー知恵袋に、「Ian Stevenson の研究について」というタイトルで、そのことがどの論文に書かれているのか教えてほしいという要望を、質問として掲示してみました。しかしながら、この質問を、同じ回答者が見たとしてもまともに返答できるわけもなく、別の方から好意的な回答が1件寄せられたのみでした。

生まれ変わりという現象を信じている人物が、「こういう生まれ変わりの経験をした人がいる」と同じ医学雑誌に投稿しても、掲載されるかどうか、わかりません。常識的には無理でしょう。

 自信のなさが少々言葉に現われていますが、このような考えが、わが国での常識なのでしょう。ほとんどの日本人は、いくら何でもそんなばかなことがあるはずはない、と考えるのです。ところがさにあらず、さすがに欧米は科学の発祥の地だけあって、「こういう生まれ変わりの経験をした人がいる」という程度のものではむりにしても、しっかりした論文であれば、有力な医学雑誌に掲載されることがあるのです。スティーヴンソンの超常現象関係の論文が掲載されている医学雑誌や心理学雑誌だけあげても、Journal of Nervous and Mental Disease, American Journal of Psychiatry, Archives of General Psychiatry, British Journal of Psychiatry, JAMA (Journal of the American Medical Association), Lancet, Psychological Reports, American Journal of Clinical Hypnosis, Medical Hypotheses などがあるのです。精神医学や心理学の関係者なら、このリストを見ただけで非常に驚くと思います。

 なお、スティーヴンソンの論文に限らなければ、他にも、たとえば遠隔治療(祈り、いわゆる心霊治療、手かざし)の効果を検証する総説論文(The efficacy of "distant healing": A systematic review of randomized trials)が、Annals of Internal Medicine という、やはり由緒ある内科学雑誌に掲載されているなど、わが国の基準からすると信じがたいことがたくさんあります。ちなみに、私は、今から三十数年前に、こうした欧米の実態を目の当たりにして、超常現象の研究を真剣に考えるようになったのです[註5]


笠原敏雄編著『死後の生存の科学』
図1 笠原敏雄編著『死後の生存の科学』(叢文社、1984年刊)死後生存研究を扱った編著書。医学雑誌などに掲載されたスティーヴンソンの論文がほとんどを占める、

スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち
図2 イアン・スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社、1990年刊)スティーヴンソンが初めて一般読者に向けて書いた著書。

スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち 2 ヨーロッパの事例から』
図3 イアン・スティーヴンソン著『前世を記憶する子どもたち 2 ヨーロッパの事例から』(日本教文社、2005年刊)生まれ変わりの事例は、ヨーロッパ人の中からも見つかることを示した著書。
 スティーヴンソンの生まれ変わり研究に関する特集号の巻頭で、当時の編集長であったユージン・B・ブローディ教授は、この特集を組んだ理由について、次のように述べています。

 科学界も科学研究に不可欠な雑誌も、これまで、新しいことを探究してゆくうえで妨げとなるような制限を少なからず加えてきた。一流雑誌の多くは、ESPをはじめとする超常現象の研究を、現代の科学観に合わないという理由で、自動的に退けてきた。超常現象には、通常の論理的検討の枠組を越えるような雰囲気があるが、人によってはこれを、今までの科学知識の体系を無にするものととる。こういうテーマを扱った論文を掲載すると、編集者は非科学的だとのそしりを受けるかもしれないが、それは私たちの本意とするところではない。このような特集を組んだ理由は、執筆者が、科学的にも個人的にも信頼に足る人物であること、正当な研究法をとっていること、合理的な思考をしていること、といった点にある。以上の条件が満たされるなら、人間の行動に関する知識の増進をめざす雑誌が、このようなテーマの論文を自動的に不採用にすべきではないし、そうしてはならない義務があると思う。生まれ変わり問題を特集した本号は、科学的・医学的情報の自由という問題ともかかわっているのである。(Brody, 1977, p. 151)

 この特集号は、世事に疎い専門家が、事情を何も知らないまま編んだものではなく、その意味を完全に承知したうえで、出すべくして出したものなのです。このような度量を持つ科学者は、残念ながらわが国にはほとんどいないでしょうし、欧米にこのような科学者がいることも、わが国の実情からは想像できないのではないでしょうか。1967年から編集長を務めていたブローディ教授は、2010年に死去して現在のタルボット教授に交代するまで、この特集号から数えて33年間、通算で43年間も同誌の編集長を務めてきたのです。その間には、他にも生まれ変わりに関する論文を何度か掲載しています。それを考えただけでも、ブローディ教授に対する関係者や読者の信頼が、いかに篤かったかがわかろうというものです。

さも「生まれ変わりがあったと医学雑誌に載っている」かのように誤解させる文章が書いてあれば、そのような本は Ian Stenenson や医学雑誌の意図と全く違う形で「論文の掲載・別刷り請求」に関しての事実を語ったことになります。こういう引用・紹介の仕方は、オカルト本の常套手段としてよく知られた手法です。

 前半については、上述の通りなので、ここで問題になるのは、後半の部分です。前半が完全な作話であることが既に判明しているので、後半は全く意味を持たなくなるわけですが、せっかくの機会なので、この点についてもう少し考えてみることにしましょう。事情通を装いながら、「こういう引用・紹介の仕方は、オカルト本の常套手段としてよく知られた手法です」という書きかたをしているところから推定するに、これが先に結論としてあって、その結論にもってゆくため、調べもせず強引に作話を重ねたという可能性がきわめて高そうです。生まれ変わりなどあるはずがないという頑強な否認を別にすれば、ここには、大きく分けてふたつの問題があります。ひとつは、超常現象の研究やその研究者を一段も二段も下に見ていることであり、もうひとつは、自分たちを(悪から)守るためには何をしても許されるという、“体制派”科学者や啓蒙家の、いわば思い上がった態度です。表裏一体の関係にあるこの問題については、次章で検討します。

質問者は、生まれ変わりという現象を信じている人物または、信じる人がいれば得をする人物の書いた本を読んではいませんか?

 この文章は、いまひとつ意味が不明です。ここに出てくる「本」が、質問者がとりあげた拙訳書を指しているのか、それ以外の本を指しているのかがよくわからないからです。とはいえ、生まれ変わりという現象はありえないことが大前提になっていて、その方面のことが肯定的に書かれた、カルトの教祖のような人物の手になる、自説へと誘導するたぐいの本に近づくことほど愚かなことはないと、高所から説教を垂れるような侮蔑的口調で反問しています。いずれにせよ、この回答者は、科学とは何かということはもちろん、科学研究とは何かということについても、少なくとも意識では全くわかっていないことを、自ら暴露しているということです。

超常現象の研究が蔑視されるのはなぜか

 超常現象の研究も、その研究者も、先述のように、昔から蔑視されてきたわけですが、1882年にロンドンで設立された心霊研究協会(SPR=Society for Psychical Research)の歴代会長を見るとわかるように、ノーベル賞受賞者を含む、世界的に著名な科学者や研究者が、特に初期にはたくさん参加していました。わが国でよく知られている名前だけをあげても、アメリカ心理学の泰斗であり哲学者としても著名だったウィリアム・ジェームズ、クルックス管の発明で有名な物理学者ウィリアム・クルックス、アナフィラキシーの発見でノーベル医学賞を受賞したフランスの生理学者シャルル・リシェ、やはりノーベル賞を受賞したフランスの哲学者アンリ・ベルクソン、獲得形質の遺伝に関する実験も熱心に行なっていた、本能の理論で有名なアメリカの心理学者ウィリアム・マクドゥーガル、生気論で名を馳せたドイツの発生学者ハンス・ドリーシュといった巨星たちが、SPRの会長を務めてきたのです。スティーヴンソン教授も、第53代の会長(1988-89)を務めています。このことからもわかりますが、超常現象の研究者といっても、超常現象の研究だけをしているわけではなく、それぞれが本来の分野を別に持っているということです。


スティーヴンソン著『前世の言葉を話す人々』
図1 イアン・スティーヴンソン著『前世の言葉を話す人々』2例の応答型真性異言の事例を収録。一例は、その一部が『アメリカ精神医学雑誌』に収録されたもの。

スティーヴンソン著『生まれ変わりの刻印』
図2 イアン・スティーヴンソン著『生まれ変わりの刻印』写真を多数収録した総計2300ページを越える、母斑と先天性欠損を示す事例を扱った2巻の著書の一般向け要約書。

タッカー著『転生した子どもたち』
図3 ジム・タッカー著『転生した子どもたち』スティーヴンソン教授の後継者である児童精神科医タッカー准教授による、ヴァージニア大学で調査してきた、生まれ変わり型事例に関する集大成的研究。

 超常現象の研究者は、本来の領域でいくら業績を上げても、それが超常現象研究の信頼性を高める役にはほとんど立ちませんでした。それどころか、事実は全く逆で、超常現象の研究にかかわると、本来の業績まで低く見られてしまうきらいがあるのです。特に、ハンス・ドリーシュのように、本来の研究分野ですら他の研究者たちから侮蔑の眼で見られていた研究者の場合には、超常現象の研究にかかわることで、さらに評価が下がってしまいます。しかしながら、科学の目的に思いをいたすと、これは、非常に奇妙な処遇であり対応であると言わざるをえません。

 先のブローディ教授は、引用文の中で、「科学界も科学研究に不可欠な雑誌も、これまで、新しいことを探究してゆくうえで妨げとなるような制限を少なからず加えてきた。一流雑誌の多くは、ESPをはじめとする超常現象の研究を、現代の科学観に合わないという理由で、自動的に退けてきた」と明言していました。もし超常現象が実在するとすれば、特に生まれ変わりが事実であるとすれば、現在の科学知識体系が、根本から大変更を迫られるのはまちがいありません。人間が、その一部にしても生まれ変わるとすれば、肉体や脳とは別個に心というものが存在することになります。それだけでも大変なことになるのは、誰であれすぐにわかるでしょう。だからこそ、その真偽を明らかにするため、超常現象の研究に真剣に取り組む必要があるのです。それこそが、真理の探究を旨とする科学者の使命であり責務であるはずです。

 このように考えてくると、超常現象の研究がなぜ見下され、なぜ避けられるのかが、自ずとわかってくるのではないでしょうか。それは、この分野が人間の本質を知るうえできわめて重要な領域であることが、ほとんどは意識下でわかるからではないかと思います。この問題については、既にいくつかのページ(たとえば、「ことの重大性と超常現象研究 2」「超常現象批判の論理学と病理学」)や著書(たとえば『隠された心の力』)で扱っているので、ここではふれません。うさんくさく見えるのは、原因ではなく、むしろその結果なのだと思います。新たに提示された真理が強い抵抗に遭うものであることは、これまでの科学の歴史を振り返ればはっきりするはずです。

 そのような視点から振り返ってみると、本稿でとりあげた、顕著な作話による超常現象否定の事例は、実は、超常現象の重大性を心の底ではよく知っているため起こしたゆがみの結果と考えることができるのです。

[註1]たとえば、一般の科学分野では、研究者が不正行為をしたとしても、その研究者が罰せられるだけで、それ以上の処分は求められません。それに対して、超常現象研究の場合には、研究者が不正行為をすると、それだけで、その研究者の所属する研究機関が存続を許されなくなったり、超常現象研究という分野全体にまで非難が及んだりするのです。

[註2]ただし、超常現象(あるいは、念力やテレパシー)という言葉ではなく、“気”という言葉を使うと、同じ現象を対象にしても抵抗が格段に小さくなり、大学の中でも研究できるようになります。この点に関心のある方は、国際生命情報科学会のホームページを参照してください。
 また、狭義の超常現象ではありませんが、アメリカの一般向け科学雑誌 Scientific American の日本版である『サイエンス』に、UFOの観察報告が2回にわたって掲載されたことがあります(永延、1988年a,b)。また、私たちが行なったマクロPK(念力)の研究(「念力現象実験下における精神生理学的変化」)が、医学専門誌に掲載を拒否された後、医師向け一般週刊誌である『日本医事新報』(第3365号, 45-49ページ)に掲載されたこともあります(郡他、1988年)。
 ついでながらふれておくと、このような現状を鑑みるに、東京帝国大学で透視と念写の研究を正々堂々と行ない、最終的に大学を追われることになった先駆的心理学者の福来友吉が、いかに突出した存在だったかがわかります。念写の実験的研究も行なったことのあるスティーヴンソン教授は、福来先生を大変尊敬していると語っていました。

[註3]指導教授が個人的に超常現象に関心を持っている場合、卒業論文や修士論文としてなら、認められ受理された例はあります。それに対して、杏林大学医学部高齢医学科の山村尚子さんは、臨死体験の調査を行ない、それにより1989年に医学博士号を得ています。しかしながら、これは、超常現象の研究ではなく、あくまで「高齢者の終末医療」のための“医学的”研究なのです。

[註4]occult 自体が形容詞なので、occultistic という単語ならともかく、本来 occultic という用法はありません。この言葉は、確かにウェッブなどには出ていますが、OED(second edition on CD-ROM, ver. 4.0, 2009)を調べても載っていないので、英語圏ではまだ通俗的な用法のようです。

[註5]その方面の文献を渉猟している中で、スティーヴンソン教授に論文の別刷りをたまたま請求したところ、スティーヴンソン教授から、その別刷りとともに、Journal of Nervous and Mental Disease に掲載された論文(Southeast Asian interpretation of gender dysphoria)の別刷りが届きました。その封筒には、この論文でとりあげられている、ビルマ人として生まれ変わったという元日本兵の身元を調べることは可能か、という問い合わせの手紙が同封されていました。これを契機として、スティーヴンソン教授との交流が始まったのでした。なお、この事例「性別異和症の東南アジア流解釈」(スティーヴンソン、1984年b)は、拙編著『死後の生存の科学』に収録されています。

参考文献

  • 笠原敏雄編(1987)『サイの戦場――超心理学論争全史』平凡社
  • E・ケリー(1987)「ディアコニスの反論に答える」笠原敏雄編『サイの戦場――超心理学論争全史』(平凡社)所収
  • 郡 暢茂他 (1988)「念力現象実験下における精神生理学的変化」『日本医事新報』第3365号, 45-49ページ
  • H・コリンズ、T・ピンチ(1997)『七つの科学事件ファイル』化学同人
  • T・シュローダー(2002)『前世を覚えている子どもたち』ヴォイス
  • I・スティーヴンソン(1984a)「人間の死後生存の証拠に関する研究――最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後の生存の科学』(叢文社)所収
  • I・スティーヴンソン(1984b)「性別異和症の東南アジア流解釈」『死後の生存の科学』所収
  • I・スティーヴンソン(1990)『前世を記憶する子どもたち』日本教文社
  • 永延幹男(1988a)「調査船『開洋丸』が遭遇した未確認飛行物体の記録」『サイエンス』第18巻9号、46-56ff
  • 永延幹男(1988b)「特別いんたびゅー 筆者が語る『未確認飛行物体』」『サイエンス』第18巻11号、48-51
  • L・ルシャン(1987)「超常現象の非受容に関する心理学的仮説」笠原敏雄編『サイの戦場――超心理学論争全史』(平凡社)所収
  • Brody, E.B. (1977). Research in reincarnation and editorial responsibility. Journal of Nervous and Mental Disease, 165, 151.
  • DuBreuil, S.C., and Spanos, N.P. (1993). Psychological treatment of warts. In J.W. Rhue, S.J. Lynn, & I. Kirsch (Eds.), Handbook of Clinical Hypnosis (pp. 623-48). Washington, D.C.: American Psychological Association.
  • Stevenson, I. (1977). The explanatory value of the idea of reincarnation. Journal of Nervous and Mental Disease, 164, 305-26.
  • Stevenson, I. (1989). Some of my journeys in medicine. The Flora Levy Lecture in the Humanities, delivered at The University of Southwestern Louisiana, Lafayette, Louisiana.
  • Magherini, G. (1995). Sindrome di Stendhal. 2nd ed. Firenze: Ponte Alle Grazie.
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