私が大学を卒業する頃の建築界は、都市の再開発として東京湾に展開する丹下健三の海上都市等都市のスケールで考えること、そして菊竹清訓、黒川紀章や大高正人等メタボリズムグループの都市建築の新陳代謝の建築思想等、刺戟的とも云える自由な発想に学生は酔い痴れていた。
又一方超高層建築も当時第一号として霞ヶ関ビルが完成し再開発の一つの大きな手法が生まれた。
そのような社会状況の中で私も大学院の頃、大高建築設計事務所で約2年間の研修時代に、人工地盤の手法による都市再開発のプロジェクトを目の当たりにした。私に与えられた仕事も常盤橋の再開発プロジェクトで、3つの超高層建築による再開発のパイロットプランの提案であった。そしてこの街区のパースペクティブスケッチの作成を任された貴重な体験を今でも忘れられない。
その後大学院を修了して日建設計工務に就職が決まったが、大高事務所での超高層再開発の仕事に携わったお陰で最初の仕事が浜松町の40階建て高さ約150Mの世界貿易センタービルで、その後日本で霞が関ビルに次ぐ2番目の高さを誇る超高層ビルが実現することで、夢中になって仕事に励んだ。日本における超高層建築のあけぼのの時代であった。
又早大建築科の学部の卒論には松井源吾、菊竹清訓先生のご指導を得て、海上都市の構造的研究そして卒業計画で東京湾における海上都市の計画を行うことも出来た。
当時60年代頃には建築産業が大きく進み、各地で建築ラッシュが続き若い人たちは将来を見越して仕事に夢を追っていた時代であった。私はこの都市再開発と海上都市の二つのテーマをこの生涯の建築設計上での礎として自然の仕事の流れに添ってその方向で研究を続けることにしようと心の中に秘めていた。
その後の仕事で、結果的には東急設計時代の超高層建築を含めた土気の集合住宅地の開発、そして私の事務所での約3年半に及ぶ50年前のディプロマのテーマであった海上都市計画の研究等を基に更に研究を続けることが出来た。それに加えて開発計画の基本は住居計画に在ることを知り、東急設計の時代に集合住宅の計画を多く手掛けることが出来たことは大変幸運なことであった。
都市そして建築又そこに住む人々に造形の美を持って語りかけられることの大切さを手ごたえを持って感じていた。
50年以上に亘る都市・建築の設計活動を通じて創造活動の重みを益々感じ入る昨今である。
著 者
第1集 収録 プロジェクト
巻頭文 「私の仕事――建築から都市へ――」 17
― 早稲田大学建築学科 学部・大学院在学時 ―
■ 早稲田大学建築学科3年度 設計製図4課題 5
■ 卒業論文(海上都市の構造的研究) 16
■ 卒業制作(海上都市)
17
■ 修士論文(四谷駅地区再開発計画)
22
― 日建設計在職時 ―
■ 世界貿易センタービル
28
■ 新東京国際空港 旅客ターミナルビル
35
■ 自治医科大学病院 女子宿舎・教職員住宅
39
■ 建築学会競技設計応募案
50
― 千秋事務所在職時 ―
■ 千駄ヶ谷テイタンビルの改修・豊洲病院の一部設計監理
57
― 東急設計コンサルタント在職時 ―
■ 東急柏ビレジ・管理棟
60
■ 金沢香林坊 市街地再開発事業
62
■ 東急ドエル・鎌倉ビレジ
69
■ 東急ドエル・アルスあざみ野
75
■ 洋伸不動産・能見台マンション
86
■ 文京関口マンション
89
■ プレステージ磯子
96
■ ハイラーク戸田公園
105
第2集 収録 プロジェクト
― 東急設計コンサルタント在職時(続き) −
■ かしわ台クラルテ
3 ■ 日本住情報交流センタービル
10
■ 筑波学園都市 二の宮地区
17
住宅・都市整備公団事業コンペ 応募案
■ 千葉ふるさと住宅提案・設計競技応募案
26
■ 土気あすみが丘集合住宅街づくり構想案
31
■ 土気あすみが丘集合住宅基本設計(抜粋)
41
企画物件
一般建築 6物件
49
集合住宅 5物件
79
第3集 収録 プロジェクト
― 河田建築設計事務所 −
3
■ ミサワホーム「住宅設計募集」応募案
8 ■ 東急ドエル・宮崎台テラス外壁改修 その他工事設計監理
9 ■ さいたま広域合同庁舎・設計
14
■ 警視庁万世橋署警察庁舎改修工事・監理
20
■ トヨタホーム住宅設計アドヴァイザー・指導邸宅7物件
24
■ 鷺沼の家 増築・新築計画案
51
企画物件 集合住宅2物件
58
MARINE CITY
77
■ 海上都市端書き −海上都市と私−
78
■ スマートアイランド研究会及びサロンについて
81
■ 3 Projects of Marine City
86
@ 東京湾・防災機能を備えた海上小都市の提案
87
A カリブ海・Architectural Design Contest 応募案
94
B 洋上都市理想郷・10000人のコミュニティの提案
104
■ 第3回建築家 河田新一郎個展
119
「海上都市への夢・一つの提案」
第4集 収録 著作・論文・図版等
■ 四位一体で監理を(雑誌 −マンション再生― )
3 ■ オフィス
レイアウト(日建設計)
4 ■ 防災設計・挿絵(日建設計)
22
■ 防災ノート(東急鷺沼スカイドエリング管理組合)
33
■ パターンランゲージ シート(東急設計コンサルタント)
40
■ 高規格住宅応募図書(東急設計コンサルタント)
71
■ 集合住宅標準設計基準(東急設計コンサルタント)
81
■ マンション百科(新日本建築家協会/共著)
93
■ 住居学概論(お茶の水女子大学/共著)
107
■ 防災機能を備えた海上小都市における一考察
113
(日本海洋工学会・日本船舶海洋工学会/河田新一郎・野口憲一)
●
■ 河田新一郎 経歴
119
巻末文 「私の仕事の編集を終えて」
2016年8月の第三回個展を終えて早や3カ月経ち立春を迎える時節となった。ようやく私の仕事の設計資料集も終えることが出来た。
全4集となったこの資料集は私の傘寿を迎える2020年を目途としたが、3年程早くまとめてしまったことになる。この後更に仕事が続けば続刊としてまとめておきたく思っている。
この作品集は私の設計したり関与した物件の中で特に意を込めたものをほゞ年代順に並べたものである。よく考えてみるとハード的な建築の基礎については日建設計時代、一方人々の生活に関するソフト的な要素については東急設計時代に学んだことが解る。勿論建築設計はハード面とソフト面両面から検討しなければならず、結果的に云うと働いた場での勉強は十分であったように思われる。
四半世紀勤めた大組織事務所を離れ私の事務所を開設してからは、綜合的視点に立って設計及び監理の仕事をした積りである。仕事量が少なく思うようには発展出来なかったが、2013年から
3年半研究と提案してきた海上都市の計画で、特に計画上の点で綜合的見地からの仕事に着手出来たと思っている。どこまで個性が表出されたかは私個人には知るすべもないが、国際コンペにも入選出来たことは第三者の評価も良かった事と思っている。
この結果は都市計画での住計画に負うところが多く、私の東急設計事務所時代に携わった比較的大規模な開発の仕事や集合住宅の計画の経験がそれに継がったと考えている。
私は東急グループの住居のプランニングを生かしつつ閉鎖的な環境になりがちな住環境を如何にオープンで公共性を持った建築文化を物語れるような提案が出来るかを夢みていた。当時社内の企画部では東急電鉄が行った南多摩田園都市の計画のまとめの作業をしており、それが後に建築学会賞の業績部門で受賞に到っている。又都市計画の商品化の作業も行い後に東南アジアに輸出したことがあった。これらは東急グループでなければ出来ない仕事でありその環境の中で仕事が出来たことがその後に生きていると思っている。
今後も海上都市計画にこの住環境の創造の成果を参考にして、新しいビジョンを持った世界を構築する努力を続けたく思っている。
この資料集の作成については、事務所開設以来四半世紀に亘り良き相談相手となってくれた妻敦子の協力無しには纏まらなかった。纏めには2016年秋
11月一杯の1カ月を要したが、その間色々貴重な参考意見そしてコンピューター作業はほゞすべて行ってもらう等何時もながらの惜しみない協力に対してこの場を借りて感謝の気持ちを記しておきたい。
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